「祟殺し編」を読了いたしました。以下、「続きを読む」でネタバレ簡易感想です。

 一緒に楽しんで行きたいという方は、とりあえず「07th Storming Party」様から体験版の「鬼隠し編」をどうぞ。

 謎呼びまくり。脳噛まれてます。

<以下ネタバレ>

 「……いつか終わってしまう平穏。……。それはとても悲しい言葉だった」

 事件編三編で読者が十全に体験したように、また『ファウスト vol.5』では作者の竜騎士07氏本人も述べているように、平穏な日常の中に潜む非日常の怖さを描くというのが『ひぐらしのなく頃に』のコンセプトの一つなんですが、と同時に、裏メッセージとしてはいつ日常が非日常に裏返ってしまうか分からないからこそ、平穏な日常を一生懸命大事に生きていこうということなんだろうなと思いました。「祟殺し編」中盤の圭一とレナのもし火山の噴火とかで皆死んじゃって一人だけ生き残ってしまったら日常をもっと大事に生きなかったことを後悔する……レナはある日日常が突然終わってしまうことを知っている……なんて辺りの会話にはそんなメッセージが込められてるような気がします。

◇共通する物語構造

 何の推理の助けになるか分かりませんが、三編とも、「綿流し」の夜に圭一が何らかの後ろめたさを背負い、それを隠そうとするウチにいつの間にか日常が非日常に裏返っていた……という構造が共通してますな。その圭一が背負う後ろめたさが、「鬼隠し編」では「富竹さんと鷹野さんから連続怪死事件にまつわる話を聞いてしまったこと」、「綿流し編」では「祭具殿に忍び込んでしまったこと」、「祟殺し編」では「殺人を犯してしまったこと」とエスカレートしていきます。

 また、終盤に圭一が意識を失ってしまい、その間の出来事はボカしてしか読者に伝わらないという形も共通。全編とも、その間の出来事に一つ謎が仕掛けられています。

◇「祟殺し編」では圭一の立場が反転

 「鬼隠し編」ではレナがレナじゃないような感覚を圭一が味わい、「綿流し編」では取り憑かれてしまったかのような魅音に対して本当の魅音を返せみたいなことを圭一が言う……というように圭一視点から豹変を見ていたのですが、「祟殺し編」では逆に、圭一自身がレナに圭一くんじゃないみたいと言われ、ラストには沙都子に圭一は何かに取り憑かれているというようなことを言われる……というように圭一の方が豹変している……と豹変する立場が裏返ってます。単に誰しも豹変し得るということを描いているだけなのか、雛見沢の謎を解く推理材料になっているのかは今のところ謎。

◇明かされはじめる作品の仕組み

 今回の「お疲れ様会」より、キャラクター設定は全シナリオ共通ということが明らかに。つまり前回の「綿流し編」の簡易感想で謎だと思ってた、「鬼隠し編」のレナと「綿流し編」のレナは共通なのかIfなのか?という部分は、共通だということでファイナルアンサーが。つまりは「鬼隠し編」の非日常の部分を持ったレナが、「綿流し編」ではその側面を見せずに描かれていた……というワケですな。こうなってくると、あとは最大の謎として、今回のシナリオの二人同時に存在した前原圭一をはじめ、Ifではない登場人物が何故か同時に存在したかのように見える謎ですな。死んだハズの人間が生きている……というメインの謎もこれに繋がります。既に死んでいたはずの魅音が現れて圭一を刺した、既に死んでいたハズの鷹野さんに綿流しの夜に圭一も大石さんも会っている、殺したハズの北条鉄平が生きている……全て、死んだ人間と生きていた人間との二人が存在したかのように見える。これは、個別の人間、個別の事例にそれぞれにトリックがあるのか、それとも雛見沢全体にドッペルゲンガーシステムみたいな大規模なトリックが仕掛けられているのか(それが祟りでもいいんですが)の2パターン今のところ僕は思いつきますな。解答編が4つも予定されてる所をみると個別トリックなのかな。でも、一つ一つの個別の解答の他に、全部明かされた時になってみるとそれぞれ個別に見えた解答に一つ縦軸にドカンと共通のトリックが入っていた!という山田風太郎『明治断頭台』みたいなタイプの結末を希望。というかその結末が明かされるまでに(もう1年くらい?)自分なりに推理メモみたいなのを書きつつ推理しながら楽しもうと思ってますが。


ひぐらしのなく頃に 特別編 雛見沢村連続怪死事件 私的捜査ファイル(仮)


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