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事実上の最終回でしょう、コレは。ラクスとミーアのペアでの、過去最高の「君は僕に似ている」でした。
もう、救いエンドとしての最終回と受け取りましたよ。
大まかにでも、
A、真、役割から自由
B、偽、役割を全う
と、前作のようなカテゴリ依存に根ざした単純な対立ではなく、かなり込み入った所にある二つの異なる価値観、思想の対立が様々な手法で今作DESTINYでは描かれ続けていたんですが、その二つそれぞれの代表者であるラクスとミーアが最後の最後で理解し合えたのが救いです。Aだけを絶対に正しいと作品全体で主張するなら、Bの代表のミーアは自分がラクスだと言い続けたままネガティブチックに死んだはず。されど実際はラクスを演じていたミーアではなく、ミーアはミーアとして、真−偽の境界をクロスオーバーしてラクスを庇うという救いエンド。守りたい気持ちは真でも偽でも同じだった。ミーアの死は悲しくともこれは救いエンドです。これだけ異なる思想背景のもとにいた二人でも、直接出会って言葉をかわすことで分かり合うことができたという、作品全体の救い。
全ての救いとなる作品の最終地点的な語りがラクスとミーアが直接対面している(ここが重要)時に出たんで、全文引用。
「私達の誰も自分以外の何にもなれないのです。でもだから、あなたも私もいるのでしょう、ここに。だから出会えるのでしょう、人と、そして自分に。あなたの夢はあなたのものですわ。それを歌って下さい。自分のために」(ラクス)
Bサイドにいる、クローンとしてのクルーゼの「偽」の文脈にいるレイにも、未だ与えられた役割を全うし続けるシンにも、救いを与える言葉です。この救いエンドとしての作中最重要語りを語れるのは登場人物中ラクスしかいなかった。やはり今作でも最重要キャラでした。満足。
逆に、異なる者同士の理解という救いエンドとしての最終話的な話が今話で描かれたので、残りのラストは異なる者同士が戦わねばならない悲哀でいってくれてももう作品全体としては満足です。救いエンドと悲哀エンド、両方やってくれても良い、みたいな。
◇今週のピコポイント
・衣装ショーを見せるラクス
この終盤の忙しい時期にコスチュームエンタメせんでも(笑)。
・「本当にいつも、ゴメン」 「いえ、はい、まあ」
アスランは最終回までにメイリンの気持ちに気づくのだろうか。微妙な課題を最終章に持ち越してます。
◇次回サブタイ「ミーア」
「真−偽」テーマを担うミーアの帰結はなんと今話も含めて二本立て。ラクスを演じてたミーアの内面が語られそうなんで、自分から進んで「偽」に、自分から進んで「役割」を受け入れて、確かに満足もしていたと、議長サイドの正義も語られそうな予感。ピコポイントとしてミリアリアを少し絡めて欲しかったり。カメラでミーアを激写してた描写とか、ミーアの放送をバックにカッコ良く登場したりとか、ミーア絡みで何かあるという伏線と取れるような描写があったんで、回収して欲しいです。
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ミーアがミーアとして、死ぬことができた。今週のツボはココに尽きます。
議長の『ディスティニープラン』は、人は自らに課せられた任務を全うしてこそ生きる意義がある、という価値観に貫かれています。であるなら、議長サイドの構成員であるミーアは、ラクスとして生き、ラクスとして死ななければならなかった筈。しかし、実際にはミーアは最期の瞬間にミーアである自分を取り戻して逝きました。ラクスとの共同声明は叶わなかったけれど、ミーアの死は紛れもなく議長の『ディスティニープラン』に叛旗を翻したものでした。こうした細かな描写の積み重ねが、やがて議長の支持を切り崩してゆくのなら、もういうことないっス……って、そんな悠長な描写をやってるほど、残り話数もないんスけどね(汗)。