
DESTINYというよりも、無印SEEDで描いたテーマをミクロな物語の中で再構築してる感じ。
以下、<続きを読む>でネタバレ感想です。
DSSDというエリート機関を目指した理由を答えて、序盤で「コーディネーターで2年かかるなら、ナチュラルの自分は6年かければいい」みたいに語ってた、今回STAGE-Iの主人公、おっさんナチュラルのエドモンドがこんなことを語ります。
一番テーマ的にSEEDっぽいなぁというのを感じた部分がここ。あれです。無印SEED最終回でクルーゼが言ってた、「人間は競争の果てにお互い傷つけ合って行き着いて滅ぶんだよ」という趣旨の長い演説に対する、ナチュラルの一おっさんの立場からの一つの解答です。
この優劣、競争、他者への嫉妬や劣等感、ひいてはそこからくる差別意識なんてあたりのテーマは、やっぱり無印SEEDのキラとサイ、カズイの物語で一旦は描き終わってると思う部分ですね。カテゴリ依存から脱却した後に再びアークエンジェルに合流したキラの言葉を聞いて、キラはキラ、サイはサイとサイも気付いて自分に出来る勉強を始めるサイに、最後はアークエンジェルを去ろうとするカズイをそれもカズイはカズイだとサイが笑って見送るシーン……あの場面で決着してると思います。『スターゲイザー』のエドモンドおっさんの台詞もそれに似た着地を見せそうな台詞です。自分は上を向いた上で、自分は自分、他は他と着地すればまさにSEED的です。
それに関連して、エドモンドおっさんがナチュラルとコーディネータの違いに言及してるのも含めて、今回はサトーのカテゴリ依存型ナチュラル排斥思想が発端になってる辺りが再び描かれていたりと、自由か運命か、理想か現実か、あるいは真か偽かといったより込み入った対立で物語を描いていったDESTINYに比べて、もう一度無印SEED的にナチュラルとコーディネーターの対立を一番の軸に構成しているような印象を受けました。おおまかには、サトーに代表されるザラ派過激派VS今回の主役機ストライクノワール率いるファントムペインでのミクロな戦いという構成の印象。原点回帰のナチュラルVSコーディネーターです。
そんな基本的には無印SEEDと重なるテーマを掲げたお話を、本編ほど大きい話じゃなくてミクロな部分で描くのが今作という感じ。『ファーストガンダム』に対する『ポケットの中の戦争』や『08MS小隊』的な位置づけというか、そんな感じで民レベルでの戦争被害の悲惨さとか、派手なヒーローモビルスーツ同士の戦いではなく、地味な地に足がついた戦闘シーンなんかが描かれてます。一体のMSが脅威で、それに向かって戦車一台で突撃を仕掛けるクライマックスなんかは、まさにミクロなガンダムという印象です。
ラスト、プルディエル、ヴェルデバスターと共に主役機、ストライクノワールが発進するところでテーマ曲、『STARGAZER~星の扉』が流れ始める演出なんかはまさにSEED作品という感じ。そんなカッコよく発進した主役機に期待しつつ、ストライクノワールのバトルも入るであろう次回配信分(STAGE-II)に想いを馳せます。次回配信は8月11日から。とりあえずこんな所で。
→DVD

→主題歌
根岸さとり『STARGAZER~星の扉』
→総合1位狙ってます。現在の順位は?
→次回の感想へ
→ガンダムSEED DESTINY感想のインデックスへ
→「ガンダムSEED-DESTINYにおけるシンという主人公の役割」へ
公式サイトの監督インタビューに「人の感覚とは所詮相対性」という文章があったのですが、最終的に描きたい「何か」の輪郭を相対的に際立たせるために、ミクロな視点での「現実」を描いてきたのかな?なんて思いました。
上を向きたいと言っていたエドも、上を向きながらも、まずは今できることをしようと命がけで特攻していったわけで。そういった「現実」を描いたからこそ、シャトル打ち上げという夢や、搭乗しているセレーネへの想いが際立って感じられたんじゃないかな?なんて。
あいばさんがクローズアップされたクルーゼ的終末論へのアンチテーゼと併せて、このあたりの「現実」「理想」の話が気になりつつ、主題歌で歌われた「星の扉の向こう」に描かれるであろう「何か」と、そこまでの過程に、静かに期待しています♪