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 「C・C(シーツー)、私はどうして雪が白いのかは知らない。しかし、白い雪は綺麗だと思う。私は嫌いではない」(ルルーシュ)

 前回第10話「紅蓮舞う」の感想記事では100を超えるトラックバックを頂きました。皆さんご協力ありがとうございましたm(_ _)m。当ブログの感想記事は管理人在住地域の放映日(金曜深夜)以降になりますが、今回も早い放映の地域にお住まいの方のために、早めにTBできるよう記事は立てておきます。今回もふるってトラックバック頂けたら幸いです。引き続きトラックバックセンターとしてご利用下さい。
 <追記:感想書きましたー>
 ◇



<以下、本編感想>

 今週も凄かった(毎回この出だしですが)。

 先週の感想で書いた、「二面性とそれに対応する名前」に関するテーマ的な深みの部分が、より明示的に、そして美しく描かれた1話だったんですが、今話のハイライトのルルーシュとC・C(シーツー)との会話の部分に入る前に、前提として、このテーマにおける今話のもう一人のキーパーソンはユーフェミアという点にも注目。スザクに出撃を許可する場面で「ユフィ」というボイスが入る分かりやすい(笑)演出と、コーネリアが死に場所かと覚悟した段階で「ギルフォードよ、ダールトンと共にユフィを補佐してほしい」と、「ユーフェミア」ではなくユフィと名前を呼ぶシーンですね。

 ユフィは、「ユーフェミア副総督」としてではなく、一人の少女「ユフィ」としての顔で、信頼できる(つーかもう恋心までいってるのかな)一人の少年に姉を託したという、ユフィが一人の少女「ユフィ」としての顔を前に出した場面。

 一方で、名前が複数あるキャラクターでそのキャラクターの「二面性」を表現してるのは勿論なんですが、名前が二つ無いキャラも、名前が複数あるキャラのどの名前を呼ぶかで「二面性」のどの顔が出てるかを表現してるんですね。コーネリア自身には名前が二つ無いんだけど、ユフィを「ユーフェミア」を呼ぶ顔のコーネリアと、「ユフィ」と呼ぶ顔のコーネリアというコーネリアがいるという表現。命のピンチの際で出てきたコーネリアの顔は、「ユフィ」と呼ぶ方のコーネリアの顔だったというお話。

 このように、今回に関してはユフィは「ユーフェミア」ではなく「ユフィ」の方の名前でアイデンティファイされて描かれたというのがキーポイント(ここ、逆に「ユフィ」ではなく「ユーフェミア様」としか認識できないニーナの物語がかかってくると思われる今後の注目ポイントです)。

 ……と、ここで「ユフィ」としてアイデンティファイされたユフィというのを持ってきておいて、それと対比されるルルーシュとC・C(シーツー)の会話ですよ。

 C・C(シーツー)の本当の名前を知って、呼んであげた上で、ルルーシュは、

 「C・C(シーツー)、私はどうして雪が白いのかは知らない。しかし、白い雪は綺麗だと思う。私は嫌いではない」

 と言ってあげるんですね。前回の感想で書いた通り、「雪=名前(自分)をロストしてる状態」の比喩ですので、おそらくは複数のアイデンティティが共存してるゆえに本当の自分をロストしてるC・C(シーツー)に対して、そんな、ロストした状態でも、綺麗だ……と、複数のアイデンティティ(今まで使ってきた言葉にすれば、「二面性」、「多面性」)が混在するゆえに自分を同定できない状態を肯定してやる言葉なんですね。これは、勿論、

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア−ルルーシュ・ランペルージ−ゼロ

 と、三つも名前を持っていて、自身もアイデンティティを同定できてないルルーシュだからこそでてきた言葉です。ルルーシュが一度だけ言うぞと「ありがとう」を口にするシーンと、ルルーシュがC・C(シーツー)の本当の名前を呼んでやるシーンは、ルルーシュツンデレ(笑)!状態ですが、そんな深い負の背景を共有してる者としての、ルルーシュとC・C(シーツー)という、何だか切なカッコいい関係が描かれた部分でもありました。

 このシーンがまた、さっき書いた通り、自身を「ユフィ」としてアイデンティファイされて描かれたユフィに対して、アイデンティファイされてないルルーシュ&C・C(シーツー)という感じで対比されてるだけじゃなく、「リフレイン」で描かれたカレンとルルーシュの共有部分に対して、今回はルルーシュとC・C(シーツー)の共有部分が描かれた回でもあるという凄まじい構成。ラストはそんなルルーシュと共有部分を持つカレンとC・C(シーツー)の二人がご対面という図で引きという、完璧な構図です。カレンはちょっとC・C(シーツー)への嫉妬フラグでしょうか。せめて、仮面の中見てから嫉妬しろよ、という感じでしょうか。

<補遺:C・C(シーツー)の正体は、梶尾真治『エマノンシリーズ』のエマノンみたいなものではないかという気がしてきた。説明しだすとビックリするほど長くなるから、興味ある人は1作目の『おもいでエマノン』から読んでみて。ジュブナイルSFの傑作だと思いますんで>

 あとは「名前」関連では、ジェレミアと日本人が、それぞれ「オレンジ」−「イレブン」という名前を奪われて蔑称で呼ばれてる存在でシンクロさせて描かれてるのだと今回でほぼ確信。第01話のカレンの、

 「イレブンじゃない!日本人だ!」

 と、今回のジェレミアの、

 「オレンジじゃないんだ〜」

 が完全にシンクロしてました。

 というわけで、個人レベルでの「名前」のテーマと、大局的なレベルでの「日本orエリア11」というレベルでの「名前」のテーマが後半でシンクロしてくるというのは、僕の中でほぼ確定の予想。この辺り、超序盤から、ナナリーだけは絶対に「イレブン」とは呼ばずに「日本人」と呼んでるなどという伏線まで張り巡らせてあります。本当、構成美がすごい作品です。

 このテーマ、着地はどうなるんだろうなー。今回のルルーシュの台詞を回帰点にして、「複数の名前でも(多面性)があってもいいじゃない、綺麗じゃない」と着地するのか、そこから進んで、「自分の名前一つを選び取る」までが描かれるのか。C・C(シーツー)の本当の名前をまだ視聴者には伏せてる所をみると、後者かな。前者だと、個人レベルはともかく、エリア11でも日本でもいいじゃない!ってのはちょっと違う気もするし。

◇スザクの過去

 ランスロット登場で戦局が一転までは誰しも予想する所でしたが、さらにそれがC・C(シーツー)の存在によってもう一度一転するという展開までは予想外でワクワクできました。しかもそれをスザクの過去伏線のさわりに使ってくるのだからステキ。C・C(シーツー)、無駄に戦場までやってきたわけじゃなかったんだ。数話前までピザ食ってるだけのヒロインとか言っててごめんなさい。

 過去に何かしら重い悲劇を体験してることまでは伝わってきたんですが、これはやはり母親関係で過去に悲劇経験があるルルーシュと、父親関係で過去に悲劇経験があるスザクという対比ですかね。過去との決別……というか乗り越えて前へ……というのもテーマにあるのかなぁ。まあ、どっちにしろ、スザクは軍を居場所と定めるかたくなな姿勢から変化していくのがスザクの物語だと思います(今回もロイドから矛盾認定受けてたしね)。ルルーシュとの友情の日々、生徒会での楽しい風景、実はスザクを思ってくれてるロイドとセシルさんとの場所……と、スザクが着地していく場所は沢山ありますからね。

◇ランスロットVS紅蓮弐式の超絶バトル

 燃えたー。11話でやるレベルのバトルじゃねぇ。絵が動く動くで激燃え。最終バトル級。パイロット同士も日本サイドにいれたはずなのにブリタニアサイドにいることを選んでるスザクVSブリタニアサイドにいれるはずなのに日本サイドにいることを選んでるカレン……という感じで、信念と信念のぶつかり合いも十全。二人ともカコイイよ。僕は何故かカレン応援視点で見てたけど。

◇無頼改の堅実バトル

 ランスロットや紅蓮弐式といったエース機に比べて地味なのに、刀状の武器を振り回してたり、4人の部下(しかも名前が四聖天)と一緒に特殊なフォーメーション名を叫んだりと、そこはかとなくバカっぽいのが気入りました。コーネリア機が槍にマントで登場した時もかなり熱いと思いましたが、こっちも負けてません。どんどん不思議フォーメーションが出てくることを希望です。名前からは想像がつかないフォーメーション。むしろフォーメーション名を叫ぶことで相手を惑わす、みたいな。

 ◇

 次回はついにOPの少女(少年?)登場かー。サブタイからして、「キョウト」のキャラだったんですね。作中のどういう役割を担ったキャラとして登場してくるのか今から楽しみです。



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 それでは!

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