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1/12日の『完結編 自由の代償』のブロードバンド配信に合わせて、当ブログのコメント欄に反映された放映当時の世評などを踏まえながら、スペシャル・エディション版で『ガンダムSEED DESTINY』という作品を忌憚無い語り口で振り返ります。第三回は『運命の業火』を視聴しながら飄々と。
・どんな生命(いのち)でも生きられるなら生きたいだろう
シンのステラ返還にレイが助力しての一言。単純に長くは生きられない自分の境遇とステラを重ねてエンパシーを感じていたという解釈と、「どんな生命でも=兵士としての役割しかない生命だとしても」生きたいだろうと、議長のデスティニープランを後押しする思想が混じった台詞だったという解釈と二通り解釈可能なんだけど、僕的には前者と解釈したい所。その位、ときどき「個」としての本音が見え隠れしたほうが、最終回でキラに「個」を同定されて価値観が転覆する仕込みとして適切だと思うから。
無印でのキラのラクス返還と徹底対比させた返還劇も見物。この辺りの構造美はSEED〜DESTINYの十八番です。
・優しくて、温かい世界へ彼女を帰すって!
ネオに吼えるシンの精一杯。勿論そんな上手くいくはずは無いんですが、この時シンがステラに返した貝殻が、記憶を洗浄されてしまうがゆえにこれまで「過去」がなかったステラが、初めて貰った「過去」(最終回のステラの台詞参照)の象徴として機能します。これは同じく「過去」が無いのが動機の一つとして現存の世界に諦観して議長のデスティニープランを推してるレイにも重なる部分で……と、さすがにTVタイムリー視聴時はそこまで気付かないで見てたんですが、こうしてスペシャル・エディションにまとめてもらって見返してみると感慨深いものがありますね。
・ただ祈って明日を待つだけだ俺たちは皆
上述した、クルーゼの文脈を継ぐ、過去も自分という「個」も無い(と思いこんでる)がゆえに明日に諦観しているレイの台詞。この価値観が最終回のキラによるレイの「個」の同定によって転覆し、最後には「彼の……明日は……!」と、諦観して祈るしかない「明日」ではなく、自分たちの力で変えていける「明日」にレイが涙するという結末。主人公……とは言えないかもしれないけれど、この作品の隠れ最重要メッセンジャーがレイというキャラなのでした。
・本件に関しては不問に処す
・あなたの言う正しさが全てじゃないってことですよ
ステラ返還の罰則を不問にされて増長するシン。この辺りから前作で同じ頃にラクスからNOを与えられたキラに対して、議長からYESを与えられてそちらに引かれていき、どんどん本当の想いとは違う方向へ誘導されていくシンというお話が始まっていきます。第34話のシンVSキラへの仕込み開始です。
・VSデストロイ戦の結末
戦いと武力を肯定してるはずのシンが武器を収めて言葉によって解り合おうとして(カガリがやった時は「いつまでそんな綺麗事を!」と否定して襲いかかった)一旦は成功し、戦いを否定してるはずのキラが武力でもって脅威を排除(結果ステラは死んでしまう)して幕を迎えるという、双方が抱えてる矛盾が色濃く出ていた高密度な場面。「戦い、武力」に関する双方の矛盾が一番出てたのがこの辺りかな。あとは、この「運命の業火」終盤地点でアークエンジェルサイドは戦う決断を下し、最終回(FINAL PLUS)のラストシーンでシンは戦いによって荒れ果てたオーブの地に対して「こんなのはもっと嫌だ」と本音を口にし、双方、相手側の主張を飲み込む形で止揚され、矛盾が解消されるように落ち着いていきます。
・シン……好き……
事切れたステラを抱いて絶叫するシン。妹とステラを重ねての、「また守れなかった」演出。当然、エルを、フレイを同じシチェーションで「また守れなかった」キラとのシンクロ演出も兼ねているわけで、ここから、同じ悲しさを背負っているのに、パラメータが逆に入ってるがゆえに戦わねばならないシンVSキラが否応なく盛り上がっていきます。
・議長のロゴス討伐演説
この辺りはこのスペシャルエディション版良かったですよ。ちょうど議長の演説の「果てなく続く憎しみの連鎖を」の言葉の所で、ステラの死から憎しみをキラに向けるシンの眼光のカットが入ったりと、技アリの再構成。ここでステラを失ったシンのいいようのない気持ちの矛先として、シン自身は憎しみをフリーダムへと向け、さらに議長からはロゴスという戦うべき敵を分かりやすく与えられる……と、シンはどんどん戦いへと誘導されていきます。
議長の演説を聞いた民衆達の「デュランダル!デュランダル!」のシュプレヒコールが舞う場面も見事。何度も書いてますが、DESTINYで描かれたテーマの一つは、絶対で無いがゆえに「転覆し得る価値観」。ここでデュランダルコールをあげてた民衆達が(「議長は正しい」で思考を停止できていた)、オーブ戦後の真・ラクス登場で再び混迷へと投げ出され、「一体どっちが正しいんだ?」と視聴者とシンクロしながら否応なく自立選択(思考開始)が迫られていくという流れは見事。
・シン、大丈夫だ、お前なら討てる
フリーダム戦の前にレイからかけられる言葉に「サンキュ」と答えるシン。一方で何かを言いにきたアスランには耳を貸さずシャッターを閉めてしまうという場面。既に、シンは自分に対してYESと言ってくれる人(ここではレイね)の言葉にしか耳をかさず、NOをつきつけに来る人(ここではアスランね)の話は聞かなくなってるという演出。これは前作でラクスから言葉責め(NOばっかり(笑))にあった、キラとアスランとは対照的で……と、そこまで仕込まれた所でいよいよシンとキラがぶつかります。
・海へ、カガリをオーブへ、それを第一に
ミネルバからの投降要請にゆれるアークエンジェル艦内に届くキラからのメッセージ。もう、お前、どれだけカガリを好きなんだと。僕キラカガ(カガキラ?)好きなんで今回もう一回吼えます。ただ、作品的にも、カガリの窮地には必ずキラが!という、どんだけ頼りになる弟なんだ的なテンプレートは一貫してた印象。そういえば、伴侶(アスラン)じゃなくて弟(キラ)が助けにくる所が、敢えて王道を外して見せた所……なんてインタビュー記事も読んだ記憶あるなぁ。
・あんたがステラを殺した!
放映当時のコメント欄でも好評かつ、最終回後のベストエピソード選定でもベストエピソードにあげる人が多かった、シンVSキラでのシン勝利。前作とバク転斬り演出をシンクロさせて、憎しみを断ち切るために戦った(前作で)キラVS憎しみを全うするために戦ってる(今作で)シン……を強力に演出したり、ラストのフリーダム串刺しは、前作ラストで結局憎しみに駆られてクルーゼのプロヴィデンスに突撃して串刺しにするしかなかったキラが、今度は逆にクルーゼの文脈を継ぐレイがバックにいるシンに串刺しにされるという絵的な演出……など、とにかく出色な回でした。
個人的にあえて想像するなら、この時点でキラは自分がシンの大事な人(ステラ)を奪っている、憎しみの連鎖を断ち切るために戦ってきたはずが、今度は自分が憎しみを買う側に回ってるということを知って、逡巡するがゆえにパワーが出し切れず敗北、その後落ちパートに入った後にストライクフリーダム受領と共に復活……というのが熱いのではないかと考えたんですが、それだと最終回(FINAL PLUS)の慰霊碑の前で初めてシンとキラはお互いをあの時(第08話相当)の人だっんだと知るという展開にもっていけないのと、というかこの想像だとまんま『るろうに剣心』の人誅編になってしまうので、この展開で良かったのか。
・それを決めるのはあなたではない、我々はザフトですから
フリーダムを撃破したシンに向かって、キラは敵ではなかったと主張するアスランに、敵を決めるのは個ではなくザフト…とするレイの正論。アスラン、ここにきて、ようやく迷走の末に前作でラクスに糾弾された「ザフトのアスラン・ザラ」に自分が戻ってしまっていたことに気付きます。そして、フリーダム撃破でいよいよ波に乗るシンに新しい「おもちゃ」であるデスティニーガンダムが議長から与えられて(この場面のシンは本当におもちゃを与えられて喜ぶ子どものよう)、シン、いよいよ議長のコントロール下に。そして、対照的にフリーダム撃破を機に議長への疑念がつのり始めたアスランは、いよいよ名話、「アスラン脱走」相当回へ。
・彼もまた戦士でしかないのにな。余計なことを考え過ぎるんだ。それがせっかくの力を殺してしまっている。
・確かに俺は、彼の望む通りの戦う人形になんかなれやしないさ。いくら彼の言うことが正しく聞こえても。
「考えるのをやめて役割だけこなすべし」とする議長VS「それだけはできない」とするアスラン。この思考を放棄するべきか考え続けるべきかどうかが、序盤のネオの「記憶はあった方が幸せなのか無かった方が幸せなのか」から仕込まれつつ、ラストのデスティニープランの是非を問う形で、最終戦の一大ポイントになります。悩み続けるがゆえに迷走もしたけれど、考え続けることだけはやめることはできないアスランは、勿論思考放棄しての役割遵守を拒否します。それと分かたれる形での、ミーアの「役割だっていいじゃない!ちゃんと、ちゃんとやれば!そうやって生きたっていいじゃない!」の悲痛な叫び……と、アスランとミーアとで雨の中手を差し伸べ合う名場面。ここでの分岐点を機に、最終回の最後のキラと議長が銃を向け合う場面まで、「思考維持、変化の受容、自立/自律意志」の自由サイドVS「思考放棄、変化の拒否、役割遵守」の運命サイドとでの正義相対へとシフトしていきます。この辺りは正義の対立っていうより、哲学的な幸福論の対立って感じだなぁ、今改めて見返してみると。
・惑わされるなシン!
・あんたが悪いんだ!あんたが裏切るから!
シンの自立思考を喚起しようとするアスランの必至の説得に対して、徹底して邪魔するレイ。結果、ついに様々な価値観の奔流に耐えきれなくなったシンが、思考放棄の種割れ。そのまま、アスランとメイリンを串刺しに。シンが運命サイドのキャラになった瞬間にして、同時に流してる涙から、シンの本当の想いとは遠い所まで来てしまったという悲しい場面。
・シンとルナマリアのカップル成立
当時コメント欄にて唐突だという意見が多かった一件。僕はカップル成立というとポジティブなイメージがあるけど、どちらかというとこれはネガティブなカップル成立……といった返信を返してた気がするんですけど、その辺りがこのスペシャルエディションではより上手く演出されておりました。悲劇に耐えられなくなったシンとルナが、しきりにその悲しい感情をロゴスが悪いんだ的に敵に向けるように誘導されていって、二人に出来ることはお互いに傷を舐め合うように泣きながら抱き合うしかない……みたいな感じが、シンとルナの過剰なまでのVSロゴスの戦闘シーン&合間に涙の抱擁を重ねるシーンを切ないBGM付で流す……という演出で上手く表現していてくれました。まあ、そんな負の感情から始まったカップルも、最後にはお互いが救いになるからイイんだけどね。
・行け、キラ。絶対守るんだラクスを。彼女を失ったら全て終わりだ
アスランついにアークエンジェルと合流。ここでのラクス尊守の語りは、議長の目指す世界を知ったアスランが、具体的に議長の世界誘導を断ち切る切り札としての本当のラクスが必要だというだけじゃなく、やっぱり議長の役割遵守に対して、自立思考を推すラクスというのを、前作の体験からアスランが知ってるからでしょうね。ここでアスランが守りたいと思った「自立思考」が、この「運命の業火」のクライマックスでアスラン自身がラクスの言葉によって奮い立たせることになるというのがまた熱い部分なのでした。
また、ラクスらがデスティニープランのノートを見つける場面もこの辺り。このトピックは、当時のコメント欄で、僕的に「なんで?」と思うほど、「ノート一冊を根拠に議長を否定するラクスはおかしい」というコメントが寄せられたんだけど、これは行間を読むべき事柄としか言えなかった感じ。ラクスが議長の思惑を言い当ててアークエンジェルサイドがそれに反対する意志を決めるのはオーブ戦の後なので、ノートは象徴演出の一つで、その後後発情報を手にしていた&普通に合流したアスランから議長の思想を聞いていたと普通に補完できるんじゃないかと僕は思ってた部分。それでもなお情報不足と言う人もいた気がしますが、一視聴者の僕自身、アスランが議長の思想を聞く第36話時点でほぼ完璧に議長の真意であるデスティニープランの内容を言い当てて当時の感想に書いているので、僕より聡明であるはずの(笑)ラクスがアスランの話を聞いて議長の思惑を同定できるのはまあ普通だろうという感じ。自分ができなかったからといって、他の人やラクスが(笑)できないと思って批判してはいけない。ラクスが議長の思惑を同定していくプロセスがしっかりと描かれてないから駄作的なことを言う人もいたけれど、これは本格ミステリへの批判としては至極真っ当なれど、SEEDシリーズは僕的にはどう見てもミステリというよりははったりロボットバトルエンターテイメント。その批判を推していくには、SEEDシリーズはミステリ的枠組みで描かれてしかるべきという点を論証しなきゃならなくなるんだけど、実際にはそういうことはせずに、単純にミネルバサイドに感情移入して見てた人が、何とかアークエンジェルサイドを否定したい、そしてアークエンジェルサイドにも正義を置くこの作品を否定してやりたいと、必死にあら探しに従事した結果の「ラクスはノート一冊で……」コメントが多かったというのが大まかな印象。まあ、大まじめに正義の議長とシンが悪のラクスとアークエンジェルを打倒する話だと思って見てた人にはこの辺りの展開は辛かったと思いますが、この辺りは前の感想でも書いた通り、大人視聴者ならもう少し俯瞰視点も持とうよとしか言えない部分。それに限らず、自分の好き/嫌いを、作品の良し/悪しに結びつけて感情的なコメントをよこす人がちょっと多かった印象。好き/嫌いと良い/悪いが別の概念だと言うことが分からない人は、自分のためにも世の中のためにもアニメなんかみてる場合じゃないので、少し概念の差異を学ぶトレーニングに時間を使った方がいいのではないかと老婆心ながらに心配していた頃のコメント欄でのお話でした。
・ありがとう、これで僕はまた戦える。僕の戦いを
キラ、「戦う」ことを宣言してストライクフリーダム発進と共に矛盾解消へ。この時点ではキラはまだデスティニープランのことを知らないので、結局キラの原点は前作第34話にあったのだという解釈。涙を流しながらそれでも「戻る(戦いに関わる)」と言った、前作の回帰点となる第34話です。今回は泣いてないのがポイント。知られざるポイントですが、あれだけ前作で泣いていたキラが今作では一切泣かないのは、恐らく前作ラストのフレイの「泣かないで」にどこかで守られてるのだと解釈すると非常にステキです。ラクスを守るため、諦めないで考え続けて世界と関わっていくため、キラ、「僕の戦い」を続けるために発進。放映当時は「Vestige」初かかりに燃えたなぁ。
・しょうがないのかな……?
・いや、そんなはずはない、絶対に……!
理想に流されていったカガリと、現実に流されていったアスランの、ようやくの合流。一点、カガリが「諦め」の言葉をもらしかける所をアスランが否定するのが燃えポイント。議長は諦観が一種の幸福になる世界を作ろうとし、レイも諦観しながら生きていたけれど、アスランはそうは生きられない。この辺りから、ジャスティス発進に向けてフライング燃え。
・優しさは弱さ/シンへのネビュラ勲章・フェイスの授与
一方でどんどんと議長とレイに誘導されていくシンは、色んなものを与えられる場面が切ないBGMで演出されます。何を得ても、本当の想いとは離れていってしまってるという演出です。このシンに最終回で一撃を加えるアスランと平行して描いて言ってるのが上手い。アスラン視点のスペエディ、最後のシンへの一撃のシーンが楽しみです。
・もしもお前が力欲する時来たれば、その希求に答えて、私はこれを贈ろう
カガリ、アカツキ搭乗で、ついに現実を受け入れる所に着地。力と戦いを否定する所から今作は始まって、随分と迷走もしたけれど、どうしても守りたいものを守るために必要な力と戦いもあると、泣きながらアカツキに搭乗。「力と戦い」のテーマはこれにて決着。以後、そのテーマを担ってたカガリもフェードアウトしていきます。
・オーブを撃つなら俺が撃つ
そして、そんな力を手にして戦う決意を固めて出陣したカガリの前に、序盤からの力と戦いの肯定者シン降臨。圧倒的なデスティニーの前に苦戦するカガリ。ようやく当初のシンの主張をも飲み込んで、戦うことを決意したのに、戦いで守るべきは本当はシンも欲してたはずのオーブなのに、こんな形でまたオーブを守れないのか……という所で、弟、降臨。フリーダムとジャスティスが手を繋ぎなら、「Vestige」をBGMに…キターーー状態。カガリが本当に助けて欲しい時、キラは必ず来るのです。TV放映時もだったけど、今回もここは目頭が熱くなる。
・アスラン・ザラ、ジャスティス出る!
そして、キラVSシンの激闘をバックに、アスラン視点たるスペシャルエディションのスーパークライマックスが訪れます。
再び今、ジャスティスをアスランの元に届けたラクスに対して、「君も俺はただ戦士でしかないと言いたいのか。ただ戦えと」と問いかけるアスラン。ラクスの返答は「それは私には分かりませんわ」。
議長は考えるのをやめろと言ったのに、だけどやめられなかったアスランに、考えてしまうからこそ迷走して傷ついてきたアスランに、それでもただ自分で考えて決めなさいと言うラクス。ここ、(たぶん)前作のキラのフリーダム受領時と同じBGMなんだよ。「個」の矜持が描かれたあの前作第34話と同じく、再び、ただ「個」のみを突きつけるラクス。
「なんであれ、望む心があなたですわ」(ラクス)
アスランの迷走劇すらも是とするような、圧倒的な「個」と「個として考え続けること」の是。ここで、アスランが一歩ジャスティスに向かって歩を進めて、一度だけラクスを振り返って視線を交わすシーンと同時に、
強く響き合ったまま離れていった幼い記憶♪何かが終わって僕らは始まりを感じていた♪
と、スペエディオリジナルテーマ曲「遠雷〜遠くにある明かり〜」がスタート。ここでぐわっと泣いてしまった。アニメで泣いたの久しぶりだ。やっぱりDESTINYすげー。元婚約者だったアスランとラクスの関係もここで決着した場面なんだよな。「幼い記憶」とか、歌詞もハマり過ぎ。
幼い頃婚約者だったけど、今は「個」として離れていってしまったラクス(しかも相手が親友のキラ)から、悩んだ時間も、迷走した時間も飲み込んで、それでも「個」として考え続けて「自分」で「自分」のあり方を選びなさいという言葉を受け取って、アスラン、あの時父の命ずるままに搭乗した時とは違って、今度は自立意志でジャスティスに搭乗。
「アスラン・ザラ、ジャスティス出る!」
で(「発進する」から「出る」に変わってるのがポイント)、蒼天に飛び立つインフィニットジャスティスという絵でエンディングへ。か、かっこいい!泣きながら最後だけ3回くらい見た。TV放映時も好きだった場面だけど、スペエディ版の方が感動指数上じゃね?放映時から1年ちょっと経って、僕も迷走の中からそれでも選び取るという経験をさらに重ねたからかなぁ。いやー、良かった、良かったよ、ラスト。
◇
とりあえず、第三回はこんな所。すげー燃えたから『自由の代償』もすぐに視聴しよう。ラストは、やっぱりアスラン視点だと、最後のシンとのバトルが見所かなぁ。楽しみだー。
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天空星と言います。
どうぞよろしくお願いいたします。
さて、スペエディ3のロゴス討伐のシーンなのですが、巷ではよく
「また前作と同じで民衆が偉い人に簡単に扇動されるのかよ!」
と、批評されているのですが、これはただ単に、「扇動されてない民衆」をわざと描いてないのかなと個人的に思います。
実際のメディアでもそうなのですが、TVのニュースとかで街頭デモを行っている人達などは、実は世界中のほんの一部だけなのです。
よく錯覚する人が多いのですが、メディアというのは10%の真実しか流さないものであると言われています。
報道されているもののほとんどは、やや誇張されているものが多いんです。
(続きます)