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前回第21話「学園祭宣言!」の感想記事では140を超えるトラックバックを頂き、5100PV/WEEKあまりを達成できました。皆さんご協力ありがとうございましたm(_ _)m。当ブログの感想記事は管理人在住地域の放映日(金曜深夜)以降になりますが、今回も早い放映の地域にお住まいの方のために、早めにTBできるよう記事は立てておきます。今回もふるってトラックバック頂けたら幸いです。引き続きトラックバックセンターとしてご利用下さい。
<追記:感想書きましたー>
<以下、本編感想>
個人レベルにしろ、国家レベルにしろ、様々な揺れの中から(作中では主に様々な二面性/多面性の中から)「自分」というアイデンティティを自立意志で選び取る過程が是として描かれてる作品ですので、相手の自立意志を無視して、いわば人格を蹂躙しながら強制的に命令が下せるルルーシュのギアスというのは、マオの強引に他者の秘匿を暴いてしまうギアス同様、作中では負の力なわけですよ。仮面ライダー的に、否定されるべき敵側の力によって主人公が戦ってた物語だったというか。ゆえに、第20話「キュウシュウ戦役」では、ギアスという強制命令の負の力によってではなく、スザクの自立意志に託す形でスザクに「生きる」という行動を起こさせるルルーシュという図が、ギアスではない右瞳のアップという演出を使いながら、まさに作中の一つの「正しさ」として描かれたワケです。
で、一方で今回のラストは、逆にギアスである左瞳のアップで涙を流しながら、「ユフィを殺せ」という命令を下さざるを得ないルルーシュの絵という、これまた、第20話とは逆の意味での神演出でのラスト。誰しもどこかで世界を思い通りに動かしたいと思うから、夢の能力のように一見みえるギアスも、一番下したくない命令をそれでも下さなければならないとしたら、何て哀しい能力なんだろうという、一種のギアスの作中の意義の転覆。
「君はいつも副総督や皇女殿下である前に、ただのユフィだったな」
と、二面性の中からの自己の選択という作中テーマにおいて、ようやく、副総督や皇女殿下である「ユーフェミア」の側面ではなく、ただの優しい一個人「ユフィ」であるというのを、「ナナリー(弱者の象徴)」のためというお互いの共通項からルルーシュ側から認めとって、まさに作中の是的に相互理解に落ち着いたや否やの悲劇ですよ。ギアスの暴走によるユーフェミアの日本人虐殺命令。一番差別に懐疑的だったユフィが、純血派どころじゃなく、日本人・即・殺の超差別サイドに本人の人格とは無関係に移行してしまうという悲劇。および、そういう事態にまで発展させてしまった、ギアスを持つ者としてのルルーシュの悲劇。やはり、これまでギアスを使って自立意志を蹂躙して、それなりの殺人も犯してきた以上、因果応報的にこの展開は不可避だったのかのう。
おそらく今話をきっかけに、前回のブリタニア人と日本人の差別が無化された学園祭の夢のような空間に、その続きであるかのような今回のルルーシュとユフィの和解をあざ笑うかのように、次回から完全に差別の下におけるブリタニア人VS日本人の構図に移っていくと思われますが、そういった大局的な部分の他に、ルルーシュは救われ得るのか?という部分に残り3話のフォーカスは当たっていくと思われます。
「王の力はおまえを孤独にする」
第01話に出てきたC・C(シーツー)の台詞ですが、思うに、その頃からルルーシュが孤独から救済され得るかが見所だった作品だったんだなぁ。マオ編にて、ギアス能力者で孤独に落ちて破綻するのはルルーシュのifとしてマオの役割で描いておいて、ルルーシュはその分成功を収めるかに思ったんですが、ここに来て、やはり無秩序に強制命令を下してしまうという孤独に落ちる運びとなってしまいました。
が、
もの凄いと思ったのは、ここで、作中のギアス使用済み陣の意味合いが逆転したこと。もう、「俺は救世主じゃない」「俺が責を負うのか?」と、既に世界の改変の指導者であるゼロよりも、どこかただの「ルルーシュ」に戻りたい潜在的願望をルルーシュが見せてるような箇所を今回見てとったんですが、そういう意味で、もはやギアスの暴走状態ゆえにただの「ルルーシュ」には戻れず、第01話の予言よろしく孤独に落ちていきそうなルルーシュに対して、そこからただの「ルルーシュ」としてルルーシュを救い出すラインナップに、これまでのギアス使用済み陣が昇格したということですね(ギアスが効かないから、まだ普通の「ルルーシュ」を見れる)。これは凄いですよ。今までは「ギアスがもう効かないゆえにルルーシュにとって強敵だった面々」から、「ギアスが効かないゆえにルルーシュを救ってくれ得る面々」に逆転したわけですから。ここまで考えて「一度だけ使用可能」という設定を準備していたのだとしたら、本当に凄い。
以下、主要ラインナップ。
●C・C(シーツー)
ご存じ、ギアスが効きませんし、ルルーシュの全ての側面を知ってて、マオ編を経て双方向の関係にもなってる、ルルーシュの伴侶。だけどC・C(シーツー)にのみ救いを求めるのでは、ギアスが暴走してC・C(シーツー)依存に世界を閉じてしまったマオと同じになるので、ここは、ルルーシュの救済を担うのは別のキャラなのでは?という印象。C・C(シーツー)は、遺跡の謎関係の壮大な伏線の回収にかかる物語的負荷を、C・C(シーツー)の本当の名前の同定シーンでそれを凌駕するカタルシスに昇華するのが残りの役割という印象。
●ナナリー
ご存じルルーシュの行動原理の源泉。目が見えない彼女にだけは、強制命令を下さずに済むというのが一つの救いでしょうか。
●カレン
地味にエースカードきました。超序盤でくだらない命令かけておいて良かった。ゼロへの心酔が、ゼロ=ルルーシュと分かったあとでどうなるのかに注目。
●シャーリー
伏線上本命。彼女がギアスを打ち破れれば、ルルーシュはルルーシュとして同定されます。
●スザク
ど本命。第01話から書いてるけど、第01話のスザクがルルーシュの手を引いて引っ張り上げる構図が物語の最後の回帰点になると思うので、ルルーシュに救われて死にたがりが回復したスザクが、今度はルルーシュを引き上げるというのは熱い構成。
というか、誰か一人が救うという問題ではなく、マオにはC・C(シーツー)しかいなかったのに、ルルーシュにはまだ正体を秘匿してるとは言え、仲間がいるということです。この作中で真に打倒されるべきは、悪いブリタニア軍でも悪い黒の騎士団でもなく、自立意志を奪う/蹂躙する存在だと思うので、そういう意味では、マオの強制秘匿暴露の能力にしろ、ルルーシュの強制命令の力にしろ、遺跡の力というのは、作中で打倒され得る対象になります。間接的にはそれを求めているブリタニア皇帝やシュナイゼルも(シュナイゼルは純粋な知的探求心からって感じもしてますが)。なので、実は作中で負の力だったギアスが何らかの形(上のラインナップの仲間パワーによってとかね)で破られれば、それこそが勝利であり、大団円になるんですが、何とか、そうならないものかのう。個人的な嗜好として、悲劇エンドよりはそういった大団円の方が見たいんだけど。シャーリーがルルを思い出し、アッシュフォード学園で毎日定刻に印を刻んでた女子生徒が解放される、そんなラストは望めないのかのう。特にユフィを悲劇キャラでドロップアウトさせないには、もうギアス破りしか無いと思うんですが。
◇この感想記事はトラックバックセンターの役割も兼ねています。今話の感想(レビュー、考察、etc、関係する記事なら基本的になんでもOKです)をお書きになった方がいらっしゃいましたら、報告義務とかありませんので、気楽にこの記事にトラックバックして頂けたら幸いです。後日僕の方からも返させて頂きます。色んな感想を読みたい人のための一つのインデックスみたくできたら嬉しいと思います。ご協力頂ければ幸いです。
それでは!
パームアクション コードギアス 反逆のルルーシュ ランスロット
→前回stage21「学園祭宣言!」の感想へ
→次回stage23「せめて哀しみとともに」の感想へ
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今回のサブタイ、日本人を我が手で撃った返り血に染まるユフィ、だなんて一切考えてもいませんでした・・・それだけに、ダメージがデカイです・・・orz
あいばさんの記事を読んで、ルルーシュにはまだ傷つきながらも救いの手は微かに残されているんだな、とは思いました。が、ユフィは、これはもう・・・(汗
今回初めて、ギアスの力に心底嫌気がさした・怒りを覚えました。思えば自分、火渡さんじゃ無いですが不条理とか理不尽な展開は最悪に苦手なんですよ。良く有るものだと誤解・すれ違い・勘違いの話とか。何とも言えない後味の悪さ、やるせなさがあるので・・・。