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『コードギアス 反逆のルルーシュ』、第24話「崩落のステージ」&第25話「ゼロ」の感想&トラックバックセンター記事です。1話の感想記事に140を超えるトラックバックを頂き、PVは9000/WEEK超え、Google検索では「コードギアス 感想」のキーワードで1位表示と、コードギアスの感想に特化してはたぶん日本一のブログコンテンツ記事だと思われる当方ですが、先行試写会で放映された分に関しては、プレミアム先行上映会、ネット試写会分共にネタバレ感想は……
<追記:感想書きました>
<(8月9日追記)以下、本編感想>
今回の最終回の感想は、まずはこれまでの僕のコードギアス感想で折に触れて注目してきた視点である、
1.二面性/多面性の中からの自立意志によるアイデンティティの選択
について。
次に、番組開始当初から制作者サイドが打っていた広告でも明示されていたこの作品のテーマの一つという、
2.結果VS過程
の最終回でのかかり具合について。
そして、ブリタニア人とイレブン(日本人)との相克を中心に、近年のカテゴリ対立モノの系譜も担っていた作品という観点からの、
3.差別感情
に関しての最終回時点での着地について。
最後に、最終回仕様として、
4.大事な人のために
という視点から書いてみようと思います。
まずは、
1.二面性/多面性の中からの自立意志によるアイデンティティの選択
ですが、詳しくこの視点を追いたい方は過去ログのこの辺りから遡って読んで頂けたらと思うんですが、このコードギアスという作品には二面性/多面性がほとんど全てのキャラに設定されており、そこから各キャラが自分のどの側面を選ぶのか?という部分にフォーカスがあたっている作品でした。代表は、勿論主人公のルルーシュで、ルルーシュは、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア−ルルーシュ・ランペルージ−ゼロ……という三つの側面を持った主人公として描かれており、それぞれの側面をそれぞれの側面に関係するキャクター達に秘匿しているという設定が、物語を進める原動力になっていました。ちなみに、ユフィ、シャーリー、カレンといったヒロイン達が、ルルーシュのそれぞれの側面にヒロインとして配置されています。
ルルーシュの側面−対応するヒロイン
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア−ユフィ
ルルーシュ・ランペルージ−シャーリー
ゼロ−カレン
という配置ですね。そして、3つの側面全てのルルーシュを知っていて、ルルーシュ側からは何も秘匿されていない別格のヒロインとして、C・C(シーツー)がいます。
ルルーシュ・ランペルージとしての日常のヒロインだったシャーリーにギアスを使用して記憶を消去し、本当の意味でアッシュフォード学園で日常を過ごすルルーシュ・ランペルージには戻れなくなった(ルルーシュ・ランペルージとしての側面の消失)、ギアス暴走の悲劇で解り合えたはずのユフィを殺すはめになってしまい、同じ皇族として幼少を共に過ごしたユフィとの時間には戻れなくなり、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアとしての側面も失ってしまった。このように対応するヒロイン一人の喪失と共にその側面のもつ優しい部分が消えていくのが描かれるという構成を取っていたわけですが、そのうちの二つを失った時点までが第23話までで、だからこそ第23話のラストはもうゼロとして俺は進むしかない!みたいな感じになっていたわけですね。
で、最終回、描かれたのは、ゼロの側面のヒロインであったカレンの信頼を失って、ついにゼロとしての側面までも失われてしまったルルーシュ(カレンはゼロを支持していたキャラ達の代表で、実際にはラストに黒の騎士団の統率を捨ててナナリーに走った所でゼロを崇拝する皆の支持を失っています。また、前述した対応するヒロインを失うたびにルルーシュの一側面が失われていくという構成上、最後の銃声はカレンのものと考えるのが僕的には一番すっきりします)という図でした。3つの側面全てをロストしての、ルルーシュの完全なアイデンティティロスト、それが、第一部最終回の帰結。
そして、三人の対応するヒロインを失って、全ての側面、アイデンティティを失ったからこそ、唯一全ての側面に対応している破格のヒロイン、C・C(シーツー)との絆のみが、最後の救いとして最終回では描かれます。これも詳しくは過去ログのこの辺りを読んで頂きたいのですが、ナリタ攻防戦のおりに、雪を比喩にして、C・C(シーツー)がアイデンティティを失った存在であることが示唆されています。つまり、最終回ラスト付近のルルーシュとC・C(シーツー)の絆の描写は、同じアイデンティティを失った者同士が、魔王と魔女として落ちていく……という、美しくも、ちょっと悲しい場面。
こうして全てのアイデンティティを失った二人が、どう再起していくのか、それは二期に持ち越しで、一期の帰結としてはアイデンティティロストエンドということ。この「失ったアイデンティティを取り戻す」という物語が、物語冒頭からの失われた日本という名前を取り戻すという、国としてのアイデンティティを取り戻す物語とシンクロさせて描かれているのはまず間違いないと思うので、結局、第一期の最終回では日本が独立できたのかできなかったのか分からないのですが、おそらく、ルルーシュのアイデンティティロストで終わった以上、それと連動して日本の方も自分をアイデンティファイ(独立)することはできないで終わっているのではないかと思います。そんな帰結を受けて、物語の第二章に想いを馳せて、二期に期待です。
次に、
2.結果VS過程
ですが、これはこれまでとにかく結果を出すことを優先してきた「結果」のキャラとして描かれてきたルルーシュが、逆に自分が出してきた結果(過去)に追いつめられるという構成を取っていたラスト2話で、非常に燃えるものがありました。代表は、ジェレミアさんとヴィレッタさんですね。オレンジ事件で失脚させたという結果を作ったルルーシュが、逆に結果として超人ジェレミアを作り上げてその存在に追いつめられる。ルルーシュが起こした戦争の結果チグサさんだったヴィレッタさんに魔の手がせまり、結果として純血派の戦士だったヴィレッタさんを甦らせてしまい、扇さんが撃たれ、またゼロ=ルルーシュを知る存在として迫ってきて追いつめられる……と。そういう感じで最後の敵は自分が出してきた結果(過去)という構図だったので、C・C(シーツー)の、
「勝てよ、ルルーシュ。自らの過去に。そして、行動の結果に」(C・C(シーツー))
には痺れました。結局勝てたのか勝てなかったのかは第二期に持ち越しなわけですが、何にしろ自らの行動の結果とは向き合わねばならない、時には結果自体と闘わねばならないという強烈なメッセージが込められていた最後の展開でした。単純に結果と過程、どっちが正しいのかという話ではなかったです。世の中の結果主義者の人達に、あなたは結果が自分の敵として立ち向かってきた時それに向き合えるのか?と、覚悟を持って貰うためにも見て欲しい作品です。
そして、
3.差別感情
ですが、ネガティブな方に振れてしまったのは、ヴィレッタさん。学園祭の回で、純血派の差別主義者のヴィレッタさんと、ブリタニア人とイレブンのカテゴリを無化して扇と結ばれようとしていたチグサさんと、どっちが幸せなんでしょう?とこの部分のテーマ的に究極の問いを発していたヴィレッタさんが、純血派のヴィレッタさんに逆戻り。希望として提示されていた、ブリタニア人のヴィレッタさんとイレブンの扇さんとの関係は水泡に帰してしまいました。
一方でポジティブに振れたのがコーネリア様とスザクの関係。あれほどナンバーズは信用しないみたいに差別意識を持っていたコーネリア様が、物語を通して徐々に変わってきて(漸進的にスザクに信を置くようになっていくのが物語を通して描かれていた)、最終的に大事だった人(ユフィ)が同じだったという一点に回帰して、最後にスザクに全てを託して行かせる部分が感動的だった。略式で騎士侯位をさずけるシーンは泣いたよ。コーネリア様のこのシーンが希望として描かれた点をもって、きっと、このテーマに関しては安心していても大丈夫。
最後に、
4.大事な人のために
ですが、皆、多大でマクロな目的のために闘っているように見えて、結局は自分の大事な人のためという小さな視点の中で闘っているというのが色濃く描かれていたと思います。ルルーシュは、作り上げた独立戦争の全てを秤にかけても、自分にとって一番大事なナナリーのもとに走った。コーネリア様とスザクは、ユフィという失われた大事な人のために闘った。カレンは作中ではお母さんのためというのが一番描写量的には描かれていますが、今回の扇さんのナオト絡みの語りからすると、むしろナオトや扇さんといった、カレンを大事な人だと思って闘っている/闘った人の方が物語としては重要そうです。
ナナリー、ユフィ、カレンと、皆、大事な存在が妹キャラなのは奇妙な一致なのか、狙ってやってるのかは少し解釈が難しい所ですが、それでも、ルルーシュとナオトは、同じ妹のために闘った存在としてシンクロさせる狙いはあるのではないかと思います。たぶん、第二期はナオトの話ももっと掘り下げられるよ。
◇
以上で第一期『コードギアス反逆のルルーシュ』の感想を終わりにしますが、最後に、第一期でだいぶ作中の否の要素と是の要素というのが分かりやすく見えてきたと思います。
否の要素、一つ目は秘匿の強制暴露。強制暴露能力を持ったマオが現れるマオ編辺りから顕著になってきましたが、本人が隠している秘密を強制的に外部から暴いてしまう行為は全体的に否として描かれているように思います。ラストのルルーシュのゼロの仮面を拳銃で壊す(ルルーシュの秘匿を暴露する)スザクの絵とかとても肯定的とは言えませんし、そもそも、V.V.(ブイツー)が秘匿を暴露したのが、ラストシーンの救いようのない状態の引き金のように思います。
これに対応して是的に描かれているのが、自分から自立意志で相手を信頼して自分の秘匿を打ち明けるシーン。ネット上での書き込みを自分から明らかにしてシャーリーに謝るリヴァルのシーンからなんか始まる部分ですが、今回ラスト2でも、生徒会の皆の安全のために自分の正体を自ら明かすカレンや、コーネリアに正体をつげるルルーシュ……なんて場面は是的に描かれていたように思います。もし、ルルーシュが自らの意志でスザクに秘匿を明かし、ギアスの暴走の件も伝えきっていたなら、状況はだいぶ違っていたと思いますし。
次に否の要素その2は第23話の感想で書いた通り、自立意志の蹂躙ですね。ギアスはその最たる例。それに対応する是の要素は、そういった強制や命令に立ち向かう自立意志です。第23話でユフィが見事にギアスを破ってみせましたが、続いてシャーリーも何らかの形で破りそうな伏線が続いていますね。シャーリーはなんだかんで言って記憶を失った状態でも、ゼロが自分達を撃つわけが無いと言い切っていて、ルルーシュを信じて同定してあげるフラグが積み重なってるような印象を受けます。あとは、ギアスの力で失脚したのに自分はオレンジじゃなくジェレミアだ!とルルーシュを追いつめに来るジェレミアなんて図も、そういう観点からは捉えようによっては是の要素です。
そして否の要素3は差別感情ですが、これは上記した通りですね。差別感情を取り戻したヴィレッタさんで否的に描かれている一方で、それでもヴィレッタさんを案じてるような扇さんは是的ですし、コーネリア様とスザクの信頼関係の構築、生徒会メンバー(基本ブリタニア人)に信頼をおいて正体を明かすカレン(日本人主義のはず)なんていう辺りに是としての希望が描かれています。
最後の否の要素4は「復讐心」ですが、そもそも番組中盤の冒頭ナレーションで「過去への道」なんて表現されていたように、母親の復讐という方のルルーシュの動機はあんまり是的には描かれてませんね。ユフィの復讐に燃えて敵を殺しまくるスザク、ユフィの復讐に燃えて核を作りだしたニーナなんていうのも否的です。これに対しては明確な対応する是の要素が思いつきづらいですが、あえてあげるなら誤解の解消による復讐心の緩和が希望として残ってる点でしょうか。母親であるマリアンヌ様が殺されたというルルーシュの復讐のバックボーンにも何か裏というか誤解がありそうなのが最後に明らかになってますし、ユフィの復讐のためにルルーシュを撃とうとするスザクの部分には、ギアスを暴走させた存在がいるという点に誤解があるままになってるのは明らかです。その辺りの解消が、光明になるのかも。
そんな感じで、第二期ではこれらの否の要素が是の要素で上書きされていくカタルシスを是非とも期待したいと思います。第一期の最終回がこれだけ救いようのない状態で終わったので、それくらい前向きな夢を持たせてくれたっていいじゃない。
それでは、また第二期の感想でお会いしましょうm(_ _)m。
◇この感想記事はトラックバックセンターの役割も兼ねています。今話の感想(レビュー、考察、etc、関係する記事なら基本的になんでもOKです)をお書きになった方がいらっしゃいましたら、報告義務とかありませんので、気楽にこの記事にトラックバックして頂けたら幸いです。後日僕の方からも返させて頂きます。色んな感想を読みたい人のための一つのインデックスみたくできたら嬉しいと思います。ご協力頂ければ幸いです。
それでは!


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→次回TURN1「魔神が目覚める日」の感想へ
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終始どきどきしながら見てましたよ!
と、いうか。
最後のシーンがDESTINYに似てるなぁと思ったのは自分だけだろうか?w
カレンが、ごめん・・・なさい・・・みたいな。
状況とかは結構違いますけど、
安直に繋げてしまいましたw