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 普段はメルマガの方で書くようなトピックなんですが、このブログを読んでるような人向けに公開した方が有益な気がしたんでこっちに書きます。
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 さて、このブログを読んでるような漫画やアニメの感想/批評をネットで見て回っているような人は、一度や二度、その作品の設定や展開の矛盾に突っ込んで批判している人を見かけたことがあるんじゃないかと思います。一方で、逆にそんな細かい所をとやかく言うのは野暮だと批判し返している言説にも出くわしたことがある人もまた多いんじゃないかとも思います。

 まだ仮定の段階ですが、わりと真実もそうだろうと思っている僕の前提として、物語においてははったりや荒唐無稽さを押すことで出てくる勢いやノリの部分のプラス要素と、現実を写像しているかのような無矛盾性、整合性を押すことで出てくる安心感のようなプラス要素とは、基本的に性質として相反するもので、中々両方同時には成立しがたいものです。

 何の矛盾もなく整合性も抜群でしかもエンターテイメントとしてノリもけれん味も効いている。そんな物語はおそらくは幸せの青い鳥です。しかも、気が付けば身近にあったとかいう幸福なオチすらない、永遠の見果てぬ夢。全員救済はこの世の原則として無理、何かを選ぶというのは何かを捨てるということ。もし、どんな矛盾も指摘されず誰もが整合性を認め、しかも世の中皆が面白いと判断する物語が現在、過去を含めてどこかに存在するとしたら、是非メールにて作者と作品タイトルを教えて下さい。そんなこと真面目に送ってくる人のメールは僕は読みませんが(笑)。

 荒唐無稽さで出てくる魅力と整合性を重視した魅力とが両立しがたいというのを前提とした上で、じゃあ、物語としてはどちらがイイのか?より優れているのか?という記事タイトルの命題にかかってくるワケですが、これは、結論から先に言うと、その物語を創る上で対象とする読者のターゲティングによる、です。

 これは僕独自の発想でもなんでもなく、マーケティングとコピーライティングを学ぶなら今最高の教材はこれだとこのブログではしばしばお勧めしている和佐さんと木坂さんのネットビジネス大百科という教材の中の木坂さんのコピーライティングパートで扱われている、コピー(セールスレター)は長い方がイイのか?短い方がイイのか?というトピックの部分に関して、その内容を僕なりに創作に写像して考えているだけなんですが、こういう高額教材の中身を交えて語ってイイのかと思いつつ、まあ、僕なりにトピックを創作に変えて再構築しきってるんで著作権上問題あるまいと勝手に語っちゃうわけなんですが、とにかく、一消費者に埋没して無意味な憤りや虚構の義憤に踊らされるのではなくて、送り手の立場に立ってマーケティングやビジネスの視点を持つことが大事です。経験上、自分が作品に感じていた不満が理性的に解体されることがしばしばなんで。

 まず前提として、この世の中の読者達は十人十色の主観を持っていて、それの主観全てを満足させる思想統一コンテンツみたいなモノはこの世に存在しないということです。今回の記事のテーマでいくと、荒唐無稽ではったりが効いてる作品を好む主観を持ったAさん、あるいはA層と、整合性や無矛盾性重視の物語を評価するBさん、あるいはB層というのが同時に存在していて、その中間層のCさんとか色々でてきて、わりと全体を見ると好みが混沌としているのが現代ということです。イデオロギーとか宗教なんかである一定の国であったり地域であったりの主観がある程度統一されていた頃はその範囲を満たす大きな物語(東浩紀氏なんかが言う所の)が存在したのかもしれませんが、現代は様々な要因でそういった物語が生まれにくく、読者の嗜好は千差万別で混沌としています。こういう状況を、一般に価値観の多様化と言ったりします。

 そんな価値観が多様化した世界で、コンテンツの軸をはったり、荒唐無稽さの方にグッと持ってくると『テニスの王子様』になり、整合性、無矛盾性の方にぐっと持ってくると『学術論文』になります(例は極端かつ恣意的です)。この両者が混じり合って現代に存在している部分に、価値観の相克による争いが生まれます。整合性や無矛盾性に価値を見いだすBさん、B層は、『テニスの王子様』を「こんなのテニスじゃない」「あり得ない」と批判し、はったりやノリに価値を見いだすAさん、A層は、『学術論文』なんて、「そんなお固いの読みたくないよ」とまた反発するわけです。

 それでは、このような全ての価値観が相対的な状態で、送り手、受け手は何を基準にして善し悪しを判断するのか?ですが、ここで登場するのが、最初に結論ですと書いた、「その物語を創る上でどういった読者をターゲティングするか?」という観点です。すこぶるビジネス的な観点からのお話になりますので、物語や創作に芸術的絶対基準が存在して良いものは良いし悪いものは悪いの、と考えている人はここまででこの文章を読むのはおやめ下さい。

 ターゲティング、大まかにはその作品を読んで貰う人達の属性を定める戦略ですが、これがピタリとハマると、一般的にその作品から創出される喜び、幸せの総量は増大します。

 また別な例を出してみますが、『ガンダムSEEDシリーズ』、この作品、僕も全話感想書いて感想サイトを運営していましたが、よく、実際の物理学や遺伝子工学の例を持ち出してきて、「設定がそれらと矛盾してるから駄作」というような書き込みを残していく人がおりました。しかし、これは後から知人からまた聞きした話になりますが、商業的に成功した『ガンダムSEEDシリーズ』の成功要因を、あるライターは「設定をあんまり見せない点」だと分析したりしたそうです。お分かりでしょうか?確かに膨大な設定を前にして、それらの設定の整合性や無矛盾性をつついて快感を見いだすタイプの人達(上で書いた例ではB層の人達)にはウケが悪い作品だったのかもしれませんが、実は、『ガンダムSEEDシリーズ』はハナからターゲットをそういう人達よりは、はったり的、ノリ的な部分に価値を見いだす視聴者に向けてターゲティングして創られていた作品だったのです(無印SEED時代にアニメ誌に載った監督インタビューの、「毎回なんとなく盛り上がるように創ってる」といったお話からも、この辺りは伺えます)。

 ここで人によっては残酷に感じられるかもしれない事実をお話しいたしますが、この事例のように、一線の創作の世界では、こういう読者/視聴者のために作品を創ろうとターゲティングすると同時に、こういう読者/視聴者のためには創らないようにしよう……という部分を、それ以上に設定します。つまり、残酷なようですが、あらかじめ切り捨てる読者/視聴者を決めておくということです。この事実を知らずに、最初から切り捨てられてる読者/視聴者が(送り手としては)想定の範囲内で熱心なアンチになって批判の声をあげたりという現象が起こるわけですが、これは僕に言わせればマーケティング(ターゲティング)の世界を知らない無知ゆえに起こる、一種の悲劇です。ハナから自分が切り捨てられている作品に執着するよりも、ちゃんと自分をターゲットの中に入れてくれている作品をさっさと見つけて楽しさを増大させた方がはるかにイイのではと。もっとも、これも粘着質に批判することに楽しみを見いだすキモイ人もたまにいますので、十人十色を掲げるなら僕の一見解ということになりますが。

 ビジネスの上で何が一番困るかっていうと、変なお客さんにつかれちゃうことなので、このあらかじめ切り捨てる読者/視聴者を決めるというのは非常に重要なプロセスです。キモイ、非道いのになると頭がおかしいお客さんにつかれちゃうと本当に送り手が疲れるだけじゃなくて、一般のお客さんも多大に不快な思いをしてしまうので、なるたけそういうお客さんにつかれないよう、切り捨てると決めたお客さんにはなるたけ早い段階でいなくなってもらうように上手くコントロールするのがビジネスの、マーケティングスキルの見せ所なわけですが、いかんせん、ガンダムとか、ジャンプとか、必然として視聴者/読者の母数が莫大な数になることを前提で創らなければならないケースでは、その辺りのコントロールができなくて大変です。お客さんの母数が多くなれば多くなるほど、如何に送り手の側でうまく切り捨てようとしても、どういうわけかそのハードルを乗り越えて不快をバラまくお客さんが出やすくなってしまうんで。そういう意味ではジャンプやガンダムといったブランド付き一線創作で活躍されてるクリエイターの方々には本当頭があがりません。超、ストレス多そうです。なので、僕はその辺りのターゲティングを自力でコントロールしてしかも費用対効果も上げたいのだったら、僕がよくメルマガで提唱している情報時代型創作の方がこれからの時代はイイと思います(メルマガ、バックナンバー非公開なんで今は読めませんけど)。

 というわけで、判断基準に「その物語を創る上でどういった読者をターゲティングするか?」という観点を持ち込むことで、「物語は荒唐無稽な方がイイのか、整合性があった方がイイのか?」という問いの答えは変わるというお話でした。荒唐無稽を好む層に荒唐無稽な作品を送り込めばそれは「イイ」作品ですし、整合性重視の層に整合性をチェックさせて確かに整合してるような作品を送り込めば、それも「イイ」作品です。

 ちなみにこの基準を持ち込むと、『テニスの王子様』は結構イイ漫画だと思いますよ。これ、うまい具合に整合性重視、無矛盾性重視の読者を切り捨ててるじゃないスか。もはや、テニプリが整合性がある真っ当で現実的なテニスを扱ってる漫画だと思って読んでる読者はめったにいないワケですよ。その上で、荒唐無稽なスーパーテニスを、燃えベクトルにしろ(たぶんまだこういう人もいると思うんだけど)笑いベクトルにしろ楽しめる読者だけが生き残って今読んでるわけじゃないですか、これは一つのターゲティングの成功例じゃないかと。逆に、設定の整合性とかをつつくのが好きな読者向けで成功してる漫画というと、何とかあげてみるなら『魔法先生ネギま!?』かな。本当に整合してるのかはともかく、赤松先生ご自身が日記で、自分の漫画の読者は細かい所にこだわってネチネチするのが好きみたいだから、その辺りは意識してるみたいなことを書いてらっしゃったことがあります。僕もネギま!?の感想書いてる関係でたまに他所のネギま!?感想書いてるブログなんか見ますが、確かに、設定の細かい所をそれこそ重箱の隅をつつくように考察、分析することに生き甲斐を見いだして楽しんでるフシのある方のブログが結構ありますね。そういうニーズを満たす要素を提供するのも、立派なターゲティング戦略を踏まえた娯楽の創り手のあり方なんじゃないかと思います(ネギま!?は個人的にははったり、ノリの方でも楽しめるブレンドパターンかなと思いますけど)。お金持ちになるには?系の書籍を読んでると必ずやお金持ちになるための要素の一つに「マーケティング能力」があげられてますけど、『世界バリバリ★バリュー』に出るだけあって(笑)お金持ちな赤松先生はやっぱりマーケティング(ターゲティング含む)能力に長けてると思いますよ。だから、好き。

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魔法先生ネギま! 19 (19) (少年マガジンコミックス)

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