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本日劇場公開されたばかりの「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」のネタバレ感想です。いやー、良かった。エヴァンゲリオン好きは観に行った方がいいよ(もちろん、この新劇場版からエヴァに入る新規のファンも)。大まかに、第4使徒(作中で最初に出てくるヤツ)撃破、第5使徒撃破まではほぼ原作通りで、あんまり感想書くこと無いかもなーと思って観てたんだけど、VS第6使徒戦、「ヤシマ作戦」にあたる部分がかなり大きくリメイク(再構築)されていて僕的には断然こっちの方が胸にキました。以下、「続きを読む」から先は、それらのリメイク要素とそれらにどう感動したかを完全にネタバレで語ってますので、お気をつけ下さい。
仙台唯一の公開劇場「仙台フォーラム」は満員御礼で、僕は14時の部から観ようと思って行ったんだけど、40分前に行っても、もう14時の部も16時の部も満席ですと言われて、結局18時の部から観ることになりました。18時時点では、急遽24時の部を設けることがアナウンスされていたりと、大マジの超満員御礼。とりあえずは、12年ぶりのリメイク作品でこれだけ集客力があるアニメ作品が存在するという事実にまず感動。その他にも、我が青春の林原めぐみの綾波レイボイスが10年ぶりに聞けただけで、もうパブロフの犬的に感動曲線が上昇、とか、色々と感動要素はあったんだけど、何といっても素晴らしかったのは、原作アニメ版の「ヤシマ作戦」部分の大幅リメイクが、非常に熱く、感動的なテイストで成されていた点。
言うまでもなく、作中終盤の方で「心の壁」と明かされるATフィールドというガジェットに代表されるように、エヴァンゲリオンは人間関係、人と人との精神的繋がりが一つのテーマになってる作品なんですが、そのテーマにあたって、原作放映当時よりもさらに様々な心理的人間関係の問題に直面するようになった現代に生きる人々への、メッセージ性が強く追加されていたような印象を受けました。エヴァンゲリオンはシミュラークル的な作品で、模造品やパロディを生み出すためのデータベース的作品。そこに強いメッセージなんかないという感じの評論的言説も読んだことがありますが、少なくとも、この新劇場版ヱヴァンゲリヲンに関しては、明確なメッセージが込められているような気がしました。新劇場版発表当初のティーザー広告に載った庵野秀明監督のメッセージの中に、
「エヴァ」はくり返しの物語です。
主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。
わずかでも前に進もうとする、意志の話です。
曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話です。
という箇所がありますが、この「ひたすら立ち上がっていく」「わずかでも前に進もうとする意志」「覚悟」といったテイストが、クライマックスに十全に詰め込まれていました。なんと、あのシンジくんがごく自然な流れでそういった「熱さ」の片鱗を見せるのです。
具体的には、相変わらず原作通りに、人間関係に不器用で、何処にも居場所がなくて、生きてる意味も分からなくて……という暗いシンジくんの内面が垣間見えるエピソードが淡々と描かれるんですが、しかも、第5使徒戦後の、トウジ、ケンスケとの人間関係の確認(トウジとケンスケがシンジを心配してマンションに来るエピソード)、ミサトさんとの人間関係(絆)の確認エピソード(エヴァに乗るのを辞めて電車に乗って帰ろうとするシンジくんを、ギリギリの所でミサトさんが迎えにくるエピソード)がカットされていたので、どこでシンジくんのそういった孤独、人間関係への絶望に救いや希望が与えられるのかとハラハラして観ていたんですが、全部、まとめてヤシマ作戦エピソードのクライマックスに再構築要素としてブチ込まれていました。
まず、リメイクの新要素として、一旦第6使徒のビーム攻撃でシンジくんがやられてから、反撃のヤシマ作戦が開始するまでの部分に、ミサトさんとシンジくんがジオフロント最下層のリリスを見に行くというイベントが挿入されてます。そこで、今一度使徒がこれに接触したらサードインパクトが起こってミサトさんも皆も死ぬんだ……と、シンジくんが再びエヴァに乗る動機を補強してる点があります。そして、さらに熱いテイストとして、未だにエヴァに乗る意味も生きる意味も見いだせないままヤシマ作戦に突入しようとしているシンジくんのもとに、ヤシマ作戦開始直前に、レコーダーに録音されたトウジとケンスケの「頑張れ」というメッセージが届くというアレンジ(そこではじめて、トウジが「碇」ではなくて「シンジと呼ばせて」くれと言ってくれて、初めてシンジくんが「独り」じゃないことを意識させられるようにアレンジしてある)が成されています。極めつけは、あの日本中の電気が消えていって綾波と二人きりになって語り合う場面のシンジくんと綾波の会話が、原作では「綾波はどうしてエヴァに乗るの?」と問いかけるシンジくんに対して、綾波が「絆だから」と答え、シンジが「父さんとの?」と返し……というやりとりだった部分が、今回の新劇場版ではシンジくんの「父さんとの?」という問いかけに対して、綾波が「ううん、皆との」という風に答えるというようにリメイクされている点。ここが今回すごくメッセージ性が強くなってると感じられる部分で、原作では受けとる人それぞれに受けとってくれればいい的なテイストが強かった気がするこのエピソードが、今回は明確に、生きる意味は?エヴァに乗る意味は?という問いに対する回答として「皆との絆のため」という解答を強いメッセージとして描いている点。この部分が、最終クライマックスにも見事にアレンジされながらかかってきます。
ファイナルクライマックス、第6使徒への陽電子砲第一射が効かなかった後、再び鬱に囚われかけるシンジくんに対してゲンドウが砲撃手の交代を指示するという新劇場版オリジナル展開。そして、そのゲンドウの指示に、ミサトさんが「どうであれ彼は自分の意志でエヴァに乗ったのだから、最後まで彼にまかせるべき、少なくとも私は彼を信じている(概訳)」と反論するという熱い展開にリメイクされている点。ここで、駅までのお迎えエピソードをカットした分のミサトさん→シンジくんへの絆要素を圧倒的に補填。結局ゲンドウはミサトさん案を採用し、そのままシンジが砲撃手続行。「もう一度日本中の電力を、全人類の生命をあなたに預けるわ」というミサトさんの言葉のもと、再び陽電子砲に集まってくる電力、日本中の避難民達のカット、そして、フラッシュバックするトウジとケンスケの「頑張れ」の声。そこで、ミサトさんの声が、トウジやケンスケの声が聞こえてかどうか定かではないけれど、鬱になりかけた心を振り払いながら、シンジくんが第一射をハズした時点で手放してしまった陽電子砲を、地面を這いずりながら、必死で取りに行く「意志」を見せるのが本当に感動的だった。人間関係に不器用で、居場所はなくて、エヴァに乗る意味も分からなくて、生きる意味さえ分からなくて……というシンジくんが、ただ綾波が「皆との絆」だからと言ったエヴァに乗って闘うという行為に対して、本当に、ミサトさんの、トウジとケンスケの、皆との絆がそこにはあったから、微かにでもそれをつかみ取ろうとするかのように、必死の形相で陽電子砲を取りに行くのがひたすら熱かった。
まさに、
主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。
わずかでも前に進もうとする、意志の話です。
曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話です。
この言葉を再現してるかのような、シンジくんが見せる「意志」がひたすらカッコよかった場面。
この、皆の絆パワーがつまった一射で撃破的な、元気玉的シチェーションが、僕が原作版で感じていたエヴァのイメージからだいぶ飛翔して、熱いテイストでした。いやー、マジでここは熱かった。新劇場版、少なくとも「序」は燃えアニメだよ。
ラストは原作の名シーン。ゲンドウとシンクロさせるように、綾波を助けにいったシンジくんが、戸惑う綾波に対して、「そういう時は笑えばいいと思う」と伝えて、フィナーレ。ここにも、人間関係に不器用な者同士のシンジくんと綾波に構築されはじめた「絆」を見せることで、おそらくは人間関係の希望を描いてまとめてる部分なわけで。
まだ新劇場版が最後まで行った時にどうなるのかは分からないけれど、群体としての人間の限界を一つのテーゼにしながら、じゃあ人類補完計画が遂行されてそもそも他者など存在しない世界がいいのか?と問いかけられて、結局アスカの「気持ち悪い」で終わった旧劇場版よりも、群体のまま、ATフィールドがあっても、人間関係に不器用でも、絆は結ぶことができるかもしれないじゃない。「覚悟」を持って他者と接すれば、そこに希望はあるかもしれないじゃない的テイストで「序」は結ばれていて、非常に良かった。ラストの元気玉展開が、「群体としての人間の限界」というテーゼを圧倒的に否定している感じ。群体としての軋轢に悩まされ続けながらも、絆を欲して必死になれる人間の姿というのは非常に美しい。『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』、非常に堪能いたしました。
◇
以下は、気になったリメイク(再構築)ポイントなど箇条書き語りで。
・シンジくんと綾波が人間関係を構築していく過程が、ゲンドウらのコントロール下にあるかのようにリメイクされている。
ゲンドウと冬月が、シンジくんと綾波を近づけてみるか……的な密談をしてる場面が挿入されます。綾波の部屋に更新されたIDカードをシンジくんが届けるのも、ゲンドウの息がかかったリツコさん経由で行われているあたり、そういったゲンドウらのコントロール下にあるシンジくん−綾波関係の構築作戦の一貫みたいです。後半にどう作用するのか、読めない所。
・渚カヲルくんが目覚めて引き
ゼーレの人との「死海文書に新たな一文が加わった」云々という対話、シンジくんを指して、「『今回も』三人目(サードチルドレンという意味だと思われる)とはね」と語ってる箇所などから考えると、最近のサブカル界隈の作品では『ひぐらしのなく頃に』のように、物語が輪廻して何回もくり返されているという設定を新しく持ち込んでるみたいです。つまり、原作版の結末からは、輪廻してもう一度くり返された世界が、この新劇場版っぽいです。だから、ゼーレの人(というか死海文書?)やカヲルは、一つの結末を知ってるっぽい(『ひぐらしのなく頃に』で言う所の、梨花ちゃん&羽入のポジション?)。庵野監督のメッセージにあった、「『エヴァ』はくり返しの物語です。」という部分にもマッチするっぽい。
・そして、案の定かなりの新展開になりそうな次回、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」以降の予告編
やってくれたら嬉しいな的に思っていた部分をちゃんとやってくれた、ミサトさんの予告で、「次回もサービス!サービス!」が10年ぶりに聞けたのは嬉しかったですが、それ以上に、だいぶ原作ブレイクしての新しい世界を描くっぽい「破」以降の予告。どうやら「破」は、これまでのエヴァンゲリオンを破壊します的な意味合いでの「破」っぽいです。とりあえず、エヴァンゲリオン三号機〜六号機までが今回の新劇場版では普通に登場するっぽいという点と、それのパイロットらしき謎のメガネっ子の女の子新キャラのカット。どんな新しいエヴァになるのか、今から次回が楽しみです。
◇
そんな感じで早くも次回は楽しみですが、「序」が非常に良かったので、もう一回くらい観ようかなぁ。
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→前回:「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」は原作者による二次創作か?へ
→次回:ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破/ネタバレ感想へ
→次回:エヴァとヱヴァを繋げて解釈してみるへ
アップダウンが激しかったっつーか、同じ所を行ったり来たりしてたTV版に対して、あえてまだ伸びしろを残していると言うか、今回は着実にちょっとづつシンジが成長してくれそうで、次回以降も楽しみになりましたねぇ。
それと、ラミエル戦敗退後の電車シーンで既にシンジのエヴァへの依存が見られ、ヤシマ作戦で「絆」を掴んだ事で、シンジとレイのやりとりも大筋は変わらなくとも意味合いが変わってくるってのは面白いなぁ、と。
あとどーしてもツッコまざるを得ない、多分誰も予想してなかっただろうラミエルの超アグレッシブなアクションw
空に浮かぶ玉ッコロ使徒とか宇宙の鳥使徒なんかもあんな風に大暴れしてくれるんだろーか。