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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 (EVANGELION:1.11) [DVD]  「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」に感銘を受けた興奮のまま、旧シリーズから新劇場版に至る『エヴァンゲリオン』を、テーマ的な側面からちょっと解釈してみる。
 注意1:旧TVシリーズのTVアニメ版&劇場版、貞本氏の漫画版を「エヴァ」、今回の新劇場版を「ヱヴァ」と便宜上表記します。
 注意2:記事中には、エヴァとヱヴァ、双方に関して、また「涼宮ハルヒの憂鬱」に関して、結末までを含むコアなネタバレを含みます。
 ◇

 エヴァの方はよく「終わってない」、「投げっぱなし」と言われることがあるんですが、TVアニメ版の最終回はともかく、劇場版「Air/まごころを、君に」までで一連の旧シリーズと考えると、テーマ的にはちゃんと着地してると僕は思っていたりします。貞本氏版の漫画版はこの辺りのTVアニメ版部分と劇場版部分の連動性が顕著で、結局カヲルくんを自分の手で殺さねばならなかったシンジくんがまたふさぎ込んでる所から劇場版冒頭が始まると解釈すると、ちゃんと繋がった物語として一つの結末に向かって描かれているような気がします。その点は、現在最新刊の11巻部分のラストに顕著でした。

 で、そういった連動して一貫して描かれていると思うエヴァのテーマは何かといったら、使徒って結局何なの?とか、死海文書って一体?とか、そういう(たぶん)わざと謎が謎を呼ぶようにしたまま明確な解答は出さないで終わらせた部分はとりあえず置いておいて(エヴァブームは、この意味深な謎を視聴者任せにしたのが一因という評論も読んだことがありますが)、やっぱりエヴァ作中終盤で明かされる「ATフィールド=人間が持つ心の壁」という代表ガジェットなんかから一番想起されるように、「人間関係における人間同士の精神的な繋がりって?」というのがエヴァの一番のテーマだったと思うんですよ。

 で、エヴァは結構込み入った話で、

1.内向的ながら漸進的に他者と精神的な繋がりを構築していくんだけど、いつも結局失ってしまうシンジくん

 と、

2.そもそも煩わしい人間関係間の精神的な繋がりを群体としての人間の限界と捉えて、「人類補完計画」という自分も他者もない世界に作り替えてしまおうという計画を実行しようとしているゼーレの人達

 と、

3.世界云々というか、ただユイさん(シンジくんのお母さん)一人との繋がりを取り戻したいために一大計画を実行しようとしてるゲンドウ

 ……の三軸で主に話が進みます。

 そう、タイムリー視聴時の中学生の時はこの辺りがさっぱり解らなくて、大学生になってから見かえして初めて気付いたんだけど、ゼーレの人達とゲンドウの思惑が異なってるっていうのがストーリーラインのポイントなんですよ。その求めてる世界の差異が顕著になって争いが始まるって状況が旧劇場版の部分なわけで。

 で、自分とユイさんの世界再びを夢見てコツコツとゼーレに反逆する形で計画を進めていたゲンドウなんだけど、最後の最後で、ユイさんの分身として計画のために作りだした綾波から、拒否られるという結末を迎えてしまいます。綾波の中にユイさんの分身としてだけではなくて、「個」としてシンジくんが好きという気持ちが芽生えてしまったがゆえにゲンドウは拒否。上記の1〜3で行くと1>3の形で、ゲンドウが計画していたユイさんと再び繋がろう計画よりも、漸進的に形成されたシンジくんと綾波の絆(繋がり)の方が勝った形になります。この時点までは。

 でも、残る2のゼーレさん達の壮大な人類補完計画があるので、あれやあれやといううちに旧劇場版はクライマックスを迎え、1のシンジくんがこれまでなんとかやってきたように沢山の他者がいて、辛くても人間関係を結んでいくことに意味がある世界がいいか?、3のゼーレさん達が提唱する自分と他者の区別がない、群体としての精神的存在の境目が消失した楽な世界がいいか?という選択が、シンジくんの決断一つに委ねられる(当然視聴者にも問いかけている感じで、旧劇場版は映画館の鑑賞席にいる視聴者達の映像が作品内に組み込まれている)という展開に物語は発展していきます。

 で、ここでシンジくんがはっきりと1を選んで、自分と他者の区別のない人類補完計画の世界よりも、傷つくことがあっても他者との精神的繋がりに希望が開けている世界の方がいいよね、と、沢山の他者がいる世界が戻ってくる……というラストだったらメデタシメデタシだったのですが、なんと、ラストシーン、世界に戻ってきたのは、シンジくんとアスカだけ、という結末。

 解釈多々あるでしょうが、これは結局、シンジくんは3的に、ゲンドウがユイさんとのみの繋がりを求めたように、シンジくんはアスカとのみの繋がりを求めてしまったというラストだったのだと思います。シンジくんも色々と「皆」との絆を漸進的に構築しようと頑張ってたんですが、トウジやケンスケとの絆はトウジの死でもって崩壊し、綾波との絆は綾波の死、別な綾波の登場で崩壊し、カヲルくんとの絆は結局シンジくん自身が手を下すという風に決着してしまった。たいそう傷ついたシンジくんは「皆」とまで再び絆を構築できる希望が持てず、最終的に残ったアスカと二人だけのセカイに逃げた。それがエヴァの結末。

 そしてあまつさえ、最後のワンシーンの一言として、シンジくんもまた、ゲンドウが綾波に拒否られたように(綾波だけじゃなくて、綾波を通して、ユイさんもそんな世界は望んでいないという暗喩だったと思われる)、選んだアスカから「気持ち悪い」と拒否られるという結末を迎えます。エヴァが父親殺し、一種のエディプスコンプレックスの物語だというのは少しエヴァに関する言説を読んだことがある人は聞いたことがある話だと思いますが、結局、シンジくんも父親殺し所か、父親と同じ末路を辿った。ユイさんと二人だけの繋がり、それがセカイ……みたいなキモイゲンドウの行動原理に物語を通しては抗いつつも、最後の最後で自分もアスカと二人だけ、それがセカイ……みたいなキモイ願望を実現させてしまった、それが、エヴァ旧シリーズの結末。

 このゲンドウとシンジくんのダブル拒否られは、セカイ系否定の先駆けとも取れます。セカイ系の代表作にあげられる『最終兵器彼女』がエヴァより先か後かちょっと記憶があやふやなんですが、私と彼女のあり方が、そのまま世界のあり方にまで繋がっているという(諸説ありますが、概意で)いわゆるセカイ系の話において、エヴァで描かれていたのは、セカイ系的世界の否定。人類皆一つ、自分と他者の軋轢に悩むことはないよという人類補完計画もキモいけど、私とあなたがセカイ、それこそアダムとイヴよ状態のセカイ系もキモくないか?これが旧エヴァのラストシーンだったと思います。勝手に「僕と君はセカイ」とか言われても、アスカも綾波(を通したユイさん)もそりゃいや、私はちょっと……と拒否るよ、みたいな。

 この一種の「セカイ系の否定」は、エヴァがその後の作品に多大な影響を与えたという言論が多々ある中、単純に綾波に似た無口キャラが増えた……とかよりもcrucialだったんじゃないかと僕が思う部分。

 『仮面ライダーカブト』はセカイ系否定の作品なんて話を前に僕書きましたが、もうちょっとエヴァ後にムーブメントが巻き起こった作品としては、『涼宮ハルヒの憂鬱』なんかもこのエヴァから提示された「セカイ系の否定」を発展させた物語だったと思います。「ハルヒ」にはガンダムパロとかの表面的なパロの他に、『ビューティフルドリーマー』や『ハイペリオン』のように、ちょっと思索的にcrucialな観点から、既存作品の要素を意識的に取り込んでいるフシがあります(虚構と現実の交錯というテーマ上のガジェットだと思うんですが)。そんな中に、意識的か無意識的か、作者の谷川流先生もエヴァ世代に入らないこともないですし、エヴァの影響があったとしてもおかしくはないと思います。

 「ハルヒ」も、物語の最後の最後に、エヴァで世界のあり方がシンジくんに委ねられたように、ハルヒとキョンに世界のあり方が委ねられるんですよね。クライマックスの最後の最後までハルヒの方が願っていたのは、それこそ古泉が語っていたようにハルヒとキョンがアダムとイヴになるかのような新しい世界。それこそ、ハルヒがその世界を望みきって、ラストシーンは世界にハルヒとキョンだけ、ハルヒはキョンから「気持ち悪い」と拒否られる……という、エヴァを踏襲したまんまのラストも一つはあり得たわけです。ところが、「ハルヒ」の方は最後にキョンが男を見せて、ハルヒと二人きりのセカイじゃなくて、SOS団の仲間をはじめとする「皆」がいる世界に戻りたいんだ!という語りをシャウトして、ハルヒにキスをするという形で、新しいセカイなんか作らなくても、今までの世界でお前(ハルヒ)は圧倒的に重要なんだ!という気持ちをハルヒに補填してあげます。幼い頃に野球場で自分が重要な存在でないと気付いてしまったハルヒを癒す、必殺の一撃。このアニメ版最終回の名シーンも、結局既存の「皆」がいる世界には戻りたいと思えなかったエヴァのシンジくんの心境なんかを踏まえると、既存の世界に戻りたいと思えるほどの、仲間との、SOS団との絆が「生きて」いたハルヒは幸せだ……と涙できる部分で、こういう感覚はエヴァ時代からサブカルチャーを追ってる人だけが感動できる、オタクのちょっとした特権です(笑)。エヴァはシンジくんがラストにセカイ系に逃げようとしてアスカに拒否られた。「ハルヒ」はセカイ系を志向したハルヒが、キョンや仲間達に連れ戻された。そう捉えると、やはり、セカイ系是か非かというのは、エヴァくらいの時代から連綿と続いている一つのテーマなのだと思うのです。

 そしてようやく新劇場版ヱヴァの話。先にネタバレ感想で書いた通り、綾波が「皆との絆」という、キーワードである「皆」が含まれる言葉を口にします。エヴァから一周したっぽいヱヴァの世界。シンジくんが、まだ従来通り内向的ながらも、ミサトさんと、綾波と、トウジとケンスケと、そういった「皆」との人間関係に、ちょっとだけ開けた態度を見せます。そして、クライマックスにその「皆との絆」を求めるかのように、地を這って陽電子砲を取りに行くシンジくん。10年前ある種のセカイ系に逃げて「気持ち悪い」と拒否られて終わったシンジくんの物語に、違った結末を見せてくれそうな期待が高まります。エヴァ〜色々〜ハルヒ〜ヱヴァというループの中で、人間関係における精神的な繋がりと、世界(セカイ)について、そういったテーマに、区切りとなる解答を見せてくれるんじゃないかと期待して、続く「破」以降を待ちたいと思います。

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→前回:ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序/ネタバレ感想へ
→次回:選択される世界/エヴァ&ヱヴァ・ハルヒ・ひぐらしのなく頃に(解)へ