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 『金持ち父さんの起業する前に読む本』というのを読んでたんだけど、「『従業員』は『完璧』になるまで待ち続ける、すなわち信号の色が全部青になるまで行動しない」、一方で「『起業家』は『未完』のまま行動する、つまりは例え信号の色が全部赤でも行動する」という趣旨のことが述べられており、まったくその通りだと思った。
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 「従業員」は学校教育で「間違いは悪いこと」と教え込まれて骨の髄まで安全志向の精神が叩き込まれてるので、とにかく間違いが少ないように、間違う危険があるうちは行動しないように大人になっても志向する(それはあたかも学生時代にテストで100点を目指すかのよう)。一方で「起業家」は「間違いは学ぶべき契機」と捉えるから、間違いを恐れずにどんどん行動に移し、間違いにぶつかったらそのつど対応して前進し続ける。

 リリース済みのゲーム機に不具合が見つかったから交換します、アップデートします……といった現象が起こると、鬼の首をとったようにリリースしたメーカーを叩きまくる人っているんですが、ああ、そういう人は根っからの「従業員」なんだなぁと笑ってしまいたくなる。

 たぶん今の日本は90%くらいの人が「従業員」で、「起業家」は10%程度だと思うから世の中全体としては不具合、不完全性に対して「叩き」が横行して2ちゃんねるなんかが盛り上がるのは理解できるんですが、一方で起業家が不具合や未完のリスクを取ってでも市場に製品をリリースする決断を下してくれなかったら、世の中こんなに豊かにならなかったのも真実。

 僕が尊敬するマーケターの木坂さんも、「誤解を恐れずに言えば、ビジネスは全て見切り発車なんだ」と『ネットビジネス大百科』の中で言っていた。マイクロソフトがリリースした後のウィンドウズに、絶えずアップデートを送ってくるのは何故か?それは、リリースした時点では製品は未完であり、不具合品でもあったからだ(初期のウィンドウズがよくクラッシュしたのは知っての通りだし、現在ではビスタにタイムリーに色々と問題が生じている)。

 それでも、マイクロソフト社が、完璧な製品になるまでリリースはしないよ、という従業員思考でウィンドウズのリリースを遅らせていたらどうだったか?おそらくは今になってもウィンドウズはリリースされず、これだけのPC社会は到来してなかっただろう(PC社会是か非かという幸福論的議論は割愛)。

 この金持ち父さんシリーズのロバート・キヨサキ氏の話を読んで、漫画とかアニメで、一旦イマイチな状態でリリースしてしまったものに対して、後からコミックス修正とか、DVD修正とか、特別版放映で補完とかの手法でアフターケアすることについて、僕はとってもイイことだと思ってたんだけど、一方でリリースする時点で責任をもって完成品を出すべき……という対抗意見を頂いていた件について、やっぱり僕の見解に僕自身は納得できてると確信できました(これはもちろん僕が従業員ではなくて起業家だからという個人的背景も多分にあるとは思うけれど)。

 リリースする時点で責任を持って完成品を……ってなんだよ?という感じです。ビジネスが全て見切り発車のように、娯楽も全て見切り発車なんですよ。世に出回ってるものは「完全」でしかりというのは、「完全」になるまで何も行動しようとせずに時間を浪費して、時には人生の終わりまで何も行動しない従業員の一方的な見解に過ぎないんじゃなかろうかという感じ。

 「完成」してからしかリリースしてダメなら、きっと『エヴァンゲリオン』も世に出てこなかったですよ。

 結局、市場にリリースするタイミングというのは、ユーザーが満足を得てくれるかどうかというお客さんの主観的指標に委ねられるわけで、マイクロソフトは不完全な不具合品をリリースしてもお客さんがそれなりに満足してくれるからビジネスとして成り立ち、一方で自動車会社がブレーキが利かない車をリリースしちゃったりしたら顧客満足度はゼロで、リコール問題に発展しちゃうわけですが、そういう風に「未完成品〜完成品」までの間にリリース時期においてグレイダブルな灰色領域がある点を、娯楽の場合皆忘れすぎのような気がする(これも、娯楽享受者の90%が従業員という社会状況によると判断)。

 TV版エヴァは未完成品的な色合いも濃いけれど、あの時代あのタイミングでリリースしてくれて、沢山の人が夢中になった、外国でも「ネオンジェネシスエヴァンゲリオン」の名で雷鳴轟き、日本のイメージアップに貢献した。それでいいじゃない。そして、何かしらの不具合的要素を、あたかもマイクロソフトがウィンドウズをアップデートするように、庵野監督自身の手で旧劇場版や今回の新劇場版で上書きして、リリース後のアフターケアとしてより高いレベルに修正してきた。これでいいのだと思うのです。エヴァをはじめ、娯楽の送り手は多くが起業家精神を持っている。それを、自分だけ安全な(だと思いこんでいる)所から、リリース品が完全じゃない……と批評家きどりで叩いて、自分の方は結局いつまでも「完成」しないゆえに死ぬまで何も行動しない……という人間には心底なりたくないと思います。

 WEB漫画描きはそういう点で僕は尊敬しますね。時代はそっちに向かってるとも感じる。完成してない、不具合、至らない所多々あれど、とりあえずできたらWEBで即アップ。これは起業家精神のなせる技です。いつか「完成」したらものスゴイ作品を描いて投稿して、認められて僕も漫画家に、小説家になるんだ……と夢想して、そんなモチベーションで完成するわけないので、結局死ぬまで一作品も自分では創作せずにただの批評家として消えていく人間よりも、数段カッコいい存在です。媒体がWEBだから、リリースした後にお客さんからクレームがきたら、細かい絵なんかはすぐ直せるし、やる気だせば1話まるまる描き直しとかも軽いフットワークでできますしね。それはあたかもウィンドウズをアップデートするかのよう。起業家気質の創作家は、これからは圧倒的にWEBの時代のような気がします。

 それで最後にこの記事のタイトルの話ですが、これまで書いた理屈で行くと、冨樫先生が「HUNTER×HUNTER」の未完成原稿をジャンプに掲載していたのは、起業家スピリットジャッジからするとアリなような気がしてきた。顧客満足度との兼ね合いで、この程度の未完状態でもリリースすることに意味があるとジャッジしてのリリース。で、たぶん実際にああいう原稿でも載らないよりは載ってくれた方がイイと思ってた読者も結構いたはずなんで。それを、単行本修正とかで、アフターケア。起業家的視点からすると、だいぶあり得る話です。そのうちもっと技術が発達して、紙媒体の漫画コミックスにもナノ的なマイクロ機器が埋め込まれていて、「冨樫先生のHUNTER×HUNTER第○○話ver.2.4がリリースされました。アップデートしますか?」みたいな通知がモバイル経由で来る時代になるんじゃないかなぁ。コミックスの後ろにディスプレイとボタンがついてて、ボタンを押すと作画修正された原稿に書き変わるイメージ。

 だから、冨樫先生は来る起業家的創作時代、WEB型創作時代の先駆けだったんだよ!な、なんだってー!

 このブログの管理人は冨樫先生の「HUNTER×HUNTER」再開を応援しています。

 わりと大胆な話をしてますが、僕は起業家なんで気にしない。書いた文章は市場との相対指標のジャッジで素早くリリース。いろいろ不具合があった場合は、次の記事で追加見解などを書いて「アップデート」すればいいだけなのです。

金持ち父さんの起業する前に読む本 -ビッグビジネスで成功するための10のレッスン

ハンター×ハンター (No.23)

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