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『ひぐらしのなく頃に解』強攻放送…かと思いきやどらみそら。さん

 TV放送も経済活動の一環ですので、ネガティブ世論から受けるリスクと、スポンサーやファン視聴者の顧客満足度というベネフィットを比較して、前者の方が勝ると判断した場合は、まあ企業として放送休止は普通の判断なんですが……
 ……「ひぐらし」の場合、「祭囃し編」まで形にして世間に出さないと意味ないじゃんっ!て一ファンとしてはもどかしいのはあるよなぁ。最近このブログでよくしてる、CLAMPの大川さんが前にトップランナーに出たときに語っておられた、起承転結の「承」を省いて作劇しているというお話や、奈須きのこ氏のグレンラガン語りの中の「承転」省き物語のお話にも通じるけれど、「承」というか、物語前半〜中盤の「タメ」の部分で主人公が問題行動を行っても、終盤でそれを否定して昇華するならそれは意味がある問題行動を描いてる部分だと思うのですよ。問題視されてると思われるひぐらしの残酷描写部分も、全ては「タメ」の部分なわけなので、その「タメ」が昇華される「祭囃し編」まで世に出さないと、ますます「タメ」の部分だけで勘違いして理解したままの視聴者が増えてしまうというか。最後まで視れば作品で否定されてる行動なのに、途中までしか視れないゆえにその否定されてる行動の方に視聴者が影響を受けてしまうのは相当バットサイクルというか。

 特にひぐらしは、「主人公達が疑心暗鬼に囚われたまま『敵』を作り上げてそれこそ残酷に殺してしまうそれまでの物語の「タメ」の部分に対して、「祭囃し編」ラストでは『敵』=『ジョーカー』が存在しない世界のあり方はあり得ないのか?というのが、物語第1話「鬼隠し編」冒頭の「ジジ抜き」のシーンから続く長い伏線を回収する形でメッセージとして描かれる」ので、その肝心の最後の部分を世に出さないで終わってしまっては、本当、意味ないじゃん!的な。

 この辺り、

1.ユーザーがタメや伏線を理解してくれなくなってきたので創り手は「承」を抜いた物語創りをはじめてる。
2.「承(「タメなど」)」を抜いた物語に慣れたユーザーは、従来の「承(「タメなど」)」アリの物語に対しては、「承(「タメなど」)」=「結(メッセージ)」だと誤解して受けとってしまって影響を受ける。
3.誤解したままの影響で問題が起きて、世論も「承(「タメなど」)」部分だけのマイナス描写を視て叩く。
4.叩かれたので、メディアは「結(メッセージ)」の部分までを世に出せなくなる。
5.ますます「承(「タメなど」)」のマイナス描写は誤解を受け、誤読するユーザーも増え、しょうがないんでその部分を省く創り手も増える。

 みたいなコンビネーションが一つあるような気がする。「承(タメ)」を抜いた物語は一つの物語作成法として魅力があって、その価値を否定する気は全然ないんですが、何事もバランスがあった方がイイっていうか、従来通りの途中で主人公が問題行動を起こすんだけど、後半にかけてその行動は否定されて、終盤にメッセージ提示へ……パターンのお話も引き続き勢いを保って欲しいというのが僕的な私見。ガンダムSEEDなんかも2クール目でキラが暴走して殺しまくるけど(勿論3クール目でこの行動は否定される)、そこだけ見て、こんなアニメはけしからん!っていうユーザーばかりになったらなんか嫌だし、じゃあ、そう言うんならしょうがないなぁと、創り手の方も最初から最後までイイ子ちゃん主人公の物語ばかり創るようになったらそれも嫌な感じだよなぁ(イイ子ちゃん主人公が爆進するお話が嫌いなんではなくて、単純にバランスの問題として)。

 まあ、公式サイトのアナウンスでは「中止」ではなくて「休止」となってるのに一縷の望みをかけて、再開を待ちたいと思います。遅れ視聴でバンダイチャンネルで有料で見てるめっちゃファンなんで、是非とも「祭囃し編」まで。せめて、DVD補完ででもいいから映像化として世に出すまでは!そして、万が一ダメだった時も、最後まで見ればむしろ勇気づけられるような作品だし、モラルも伴ってる作品なんだというのをアピールするために、個人的な二次創作は引き続き進行させますー。

ひぐらしのなく頃に祭 カケラ遊び・アペンド版

ひぐらしのなく頃に祭 カケラ遊び(通常版)

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