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 「俺がガンダムだ」(刹那・F・セイエイ)

 『機動戦士ガンダム00(ダブルオー)』の、第02話「ガンダムマイスター」の感想です。
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 ソレスタルビーイングが何考えてるか分からない……という作中の様々な人を一般視聴者と立場を重ねて描いてるんだけど、同時にそういう人達の問いかけへの最初の回答として、ソレスタルビーイングがとりあえず表面的に何を考えてるかは第2回にして情報としては明かされてる感じ。

 アレルヤの、これで自分達は稀代の殺人者だけど、それがソレスタルビーイングだっていう発言や、アレハンドロさんの「憎しみが私達に向けられるまで」、スメラギさんの「私たちは物事を変える時に付きまとう“痛み”」の台詞なんかから判断するに、いわゆる反英雄の立場になって世界に平和をもたらすのがソレスタルビーイングの目的みたい。反英雄ってのは自らが大多数の怨恨を向けられる対象になって、逆に大多数の方には整合をもたらすという存在(僕も「Fate」で覚えたんだけど)。怨恨を向ける対象、「敵」が一致すると団結する特性を人類は持っているので、「今だ人類は一つになれていない」というナレーションで説明される作中世界において、ソレスタルビーイングが「敵」になって憎しみを引き受け、人類が一つになるのを促す……と、とりあえずそういう目的に見えます。

 こうなると、広告やら第1話から矛盾矛盾連呼されてたけど、いちがいに戦争による戦争の否定が矛盾だからって、ソレスタルビーイングそのものが作中のどこかで否定されるという前提で物語が進むというわけではないみたい。沙慈・クロスロードくんが「自分の利益にならないのに」行動する人なんかいるのか?って台詞を言ってたけど、実はソレスタルビーイングにも利益を追求してる裏の目的があるという伏線に解釈するか、そもそも自分の利益にならないどころか、反英雄という形で自分をマイナスに追い込むことでソレスタルビーイングは世界を救おうとしてるという暗示ととるか、解釈が分かれる所で、後者なのだったら、必ずしも否定されるのが前提というよりは、一つの作中正義って感じ。

 ソレスタルビーイング=神を連想させるポジションというのは、ガンダムに天使の名前がついてるというガジェットや、第01話冒頭の幼刹那がガンダム試作機(と思われるモノ)に神を見たかのようなシーンで明らかなんですが、神位置のソレスタルビーイングに人類の怨恨が集中した所で神(ソレスタルビーイング)退場となれば、それこそ第01話の刹那の「この世界に神なんていない」の台詞を生かしつつ、現実の方にあるニーチェの「神は死んだ」が見事に決まるわけで、その辺りは色々想像が膨らんで面白い所。

 だけど、刹那自身はそんな反英雄的なことまで考えてるかはまだよく分からない感じになってるんだよな。第01話冒頭の地獄の戦場で降臨した神(ガンダム)を見たシーンをフラッシュバックさせつつ、今は同じシチェーションで刹那の方がガンダムに乗って神ポジションで戦場に降臨し、刹那自身は「俺がガンダムだ!」って言ってるっていうシーンは、あの日見た神に俺はなった!みたいに吐露してる危ういシーンだと取れるわけで。このあたり、ガンダムマイスターの面々が何考えてるのかを明かさないで物語が進行するように作られてるので、後々描かれるであろう刹那の神に対する内面が楽しみ。

 しかし、セイロン島でシンハラ人とタミル人が対立とか、連想される場所、名前でボカしたりしないで、現実に対立が起こってる場所名、民族名をダイレクトに持ってきたのには驚いた。この辺りは、ニュータイプの監督インタビューにあった、今の子供達が興味を抱いて検索エンジンで調べてみる程度に、現実に起こってる紛争に関して関心を持って貰えたならそれでイイみたいなスタンスをそのまま反映してるのかな。調べてもらうなら、実名出さないと調べられないしね。「シンハラ人 タミル人」と検索エンジンに打ち込めばちゃんと勉強になる情報は出てくるだろうし。検索ニーズまで考えて作中で使うワードに気を付けてたりするのかと思うと、時代の変遷を感じます。

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