この解説を読んで、今まで「縦軸のサプライズオチ」とか「メタ的な仕掛け」とかって言葉で個人的に表現してきた『空の境界』とか『十角館の殺人』『明治断頭台』なんかで使われてる仕掛けのことを、専門用語で「叙述トリック」というのだと初めて知りました……
あと、興味深いという点で思いだしたのが、ファウストに載った奈須きのこ・竜騎士07対談の時、奈須さんは上述のような新本格の影響をどっぷり受けた中から出てきたけど、竜騎士07氏は京極夏彦さえ知らなかったくらい、インプット的にはサブカルチャーの土台から出てきたというお話。そんな二者が、『空の境界』・『Fate/stay night』や『ひぐらしのなく頃に』で、ある感覚から「新・伝綺」なんてフレーズのもとに何系とも表現しずらいファウスト系とでも言うような枠(雑誌)に収まって若者から支持を得ているというのが面白い。
エンターテイメントの源流が多様化してる印象を受けます。昔だったら、本格ミステリ畑の人は本格ミステリ畑から出てきて本格ミステリの雑誌で本格ミステリを書き、文学畑の人は文学畑から出てきて文学雑誌で文学作品を書いていた所を、最近は様々な畑から出てきた人が、ハイブリッドの作品を書いて、それがそのまま作品に内在する多様性を受け入れられて消費者(その内面も多様)に支持されるという風に時代が変わってきてる気がする。
そのちょっとした証左に、今度『ファウスト』に筒井康隆が書くでしょ(産経ニュースのソース記事)。これまた、SFとか文学の畑からの参戦ですよ。しかも相当な年齢が行ってる方ということで、時代・ジェネレーションギャップすらも超越しての参戦。
前に『魔人探偵脳噛ネウロ』に関する多様性と純化の対立構造に言及する記事を書いた時に、人間の内面が多様化して、その多様性がそのまま包み込まれてアイデンティティになってきてるという趣旨のお話に触れましたが、そうした多様化する消費者のニーズに答えるために、送り手側も多様なカテゴリーから境界を越えて一つのコンテンツに集まってくるという現象が生じてるような気がします。
これからのターゲティングは、単純に文学が好きなAさんに文学を……ではなくて、色んなモノが好きなAさんの中にある、文学好きな部分に文学を……みたいに考えていかないとならないのかもなと、自分の商売としてのマーケティングを顧みながらも、そんな見識を得た今日この頃だったのでした。
→言及「叙述トリック」小説。最後でひっくり返るのが皆スゴイ。
空の境界 上 (1) (講談社文庫 な 71-1)
十角館の殺人 新装改訂版 (講談社文庫 あ 52-14)
明治断頭台―山田風太郎明治小説全集〈7〉 (ちくま文庫)
→奈須きのこ×竜騎士07トークセッション収録
ファウスト vol.5
毎回毎回凝ったトリックを見せ付けてくれます。
もし興味がありましたら、「倒錯シリーズ」からどうぞ。
しかし、自分探しから見出す多様性は「新しい自分になったのだから昔の自分は打ち捨てていけ」という考えから
「今の良い部分も昔の悪い部分も全て受け入れて前へ進んでいけ」という考えに時代がシフトしているように見えなくも無い(前からそうだったからかもしれませんが)。
私の手にあるこの糸は
私色にしか染まらない
貴女の手にあるその糸は
貴女色にしか染まらない
元々染まった糸ならば
出来るのは新たな貴女色