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 時系列がバラバラで進行する作品について、代表としてメガヒット作『空の境界』と『涼宮ハルヒ』の2作品を中心に、それぞれの作品から共通する時系列バラバラ手法の意義を抽象化。
 注:記事中には『空の境界』、『涼宮ハルヒの憂鬱』、それと『ツバサ』&『XXXHOLiC』と『ひぐらしのなく頃に(解)』について結末&現行話数までのネタバレを含みます。
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 結論としては、『空の境界』の作者である奈須きのこ氏が、時系列をバラバラにした理由について語ってる箇所が、「とらだよ。」vol.81の奈須きのこ氏インタビュー記事にあるので、それを引用。

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Q:『空の境界』を語るのに、作品の掲載順序と時間軸が異なるという事も一つの要素になっているかと思います。あの表現手法を選ばれた理由を伺えますか?

A:バラバラの情報を一個の流れのように見せて最後に締めるという手法は、ミステリ的に使い尽くされた表現の一つでもあるんです。もともと人間の脳は整理することに快感を覚えるので、断片化された情報が一つに集約されていって、それを整理することの気持ちよさを出したかった。それに加えて、一話一話がある程度独立したものなので、それを前後させることで余計に断続性を持たせて、大きな流れに見えるけれど一つ一つの日常はそこで完結している儚い物なんだとしたかった。

  「とらだよ。」vol.81より

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 この引用箇所の奈須きのこ氏の解答が、『空の境界』に限らず、その他の時系列バラバラ作品にもかなりの程度当てはまると思います。解答には前半と後半で二つの理由が述べられていますが、前半の人間の脳はバラバラのものを整理するのに快感を覚えるという部分は、僕がよくするパズル型作品を好む人と、そういう風に脳を活性化させての能動的な作業をしながらの観賞は求めずに、出来上がった絵画をそのまま見せてくれというタイプのユーザーとがいるというお話に繋げられて、奈須きのこ氏はパズル型作品の価値を一つは語っておられるという風に解釈できて面白いのですが、そちらのお話はまたの機会の記事に譲るとして、今回は後半の、「一つ一つの日常を儚い物なんだとしたかった」という部分の理由の方に注目してみます。

 この理由、おそらく『空の境界』のみならず、『涼宮ハルヒ』シリーズ、そして後述する『ツバサ』&『XXXHOLiC』、『ひぐらしのなく頃に(解)』にも当てはまります。

 これらの作品に共通するのは、全て「日常の虚構性」を扱ってる作品で、そしてまたそれら全てが、だけど、「例え虚構だとしてもその日常世界で紡がれた絆には意味がある」という落としどころでカタルシスを演出している作品だという点です。

 『空の境界』では、物語の終幕に、幹也から見ていた式という存在は、一種の虚構の存在だったことが明らかになります。最後の締めの解釈は様々に可能ですが、ラストの節はそれでも式(全編を通して出てきてる女の子の方)と築いた関係はホンモノだったという前向きな締めに僕には思えます。

 『涼宮ハルヒの憂鬱』では日常の虚構性がより顕著で、どうやらキョンやハルヒらSOS団が過ごしていた方の世界は、何らかの理由で生じた虚構の世界であることが作中で示唆されています。それでも、最終的にハルヒの創るあるいは真実であるかもしれない新世界よりも、皆で過ごした虚構の世界の方にキョンとハルヒは戻ってきます(大人朝比奈さんからのメッセージ、長門の「また図書館に」、古泉の何気ない台詞という形で、虚構の世界で過ごしたSOS団の時間の価値が集まってくるクライマックスはものすごく好き)。

 そして『ツバサ』&『XXXHOLiC』。まだ明確には時系列バラバラ作品であることは示されていませんが、いずれ物語冒頭の筒状の入れ物に閉じこめられた小狼とサクラのシーンに繋がるという大川さんのコメント(『ツバサ公式ガイド』に収録)、紗羅ノ国編、修羅ノ国編で描かれた時間超越展開などを考えると、こちらも実は時間軸がバラバラ的な要素が組み込まれていて、それゆえに『空の境界』と同じく、各世界を旅する一つ一つの物語が儚くもあり、だけど価値もあるという風に表現しているのだと思います。『XXXHOLiC』の方にいたっては12巻からの展開では時系列の乱れというか、日常の断片性を全面に押し出していて、夢か現か分からないまま、離人感覚を伴ってどうやら虚構の存在であるらしい四月一日くんが断続的な日常をくり返すというストーリーが描かれます(そして、だからこそ12巻ラストの、例え虚構の存在、虚構の日常だったとしても、あなたが獲得した願いはホンモノだと語る侑子さんの場面が美しい)。

 最後に『ひぐらし』ですが、これが一番分かりやすく、一つ一つのバッドエンドを迎える世界を、一つの世界に過ぎないと軽んじて諦観していた梨花ちゃんが(一つの世界を虚構的に捉えていた)、最後にたった一つの世界を真剣に生き抜くことを決め、その覚悟が加わったホンモノの仲間パワーが、全ての虚構の世界の障壁を超えて最後の「祭囃し編」の世界で奇跡を起こします。

 いずれの作品も、そこにあるのは、今の日常は断片に過ぎないかもしれなく、虚構でしかないのかもしれないけれど、それでもそこで培った関係性はホンモノになるのだから、精一杯生きろというメッセージです。

 結局の所、時系列をバラバラにするという手法は、そういったメッセージを際だたせるための一つの方法。白を強調したければ背後に黒を描かなければならないというのがありますが、真剣に生きればホンモノになるというメッセージを際だたせるために、背後にでももしかしたら世界や日常は虚構かもしれないよ?というのを描いている。時系列バラバラ手法は、その背後の虚構性を奈須きのこ氏のいう「儚い物」として見せるための、一つの表現技法。とりあえず、これが時系列をバラバラにする手法に関する、現時点での僕が抽象した意義です。

空の境界 上 (1) (講談社文庫 な 71-1)

涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

ツバサ―RESERVoir CHRoNiCLE (1) 少年マガジンコミックス

XXXHOLiC 1 (1) KCデラックス

ひぐらしのなく頃に 第1話 鬼隠し編 上 (講談社BOX)

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