
裕奈ー。
VS超編の時に超の理屈を反駁する夕映の論理とは何か?という謎で一つ引っ張ったみたいに、この魔法世界編では、現在のネギに足りないものは何なのか?という謎で一つ引っ張るみたい。小太郎合流時の「バカっぽさ」という台詞から伏線が張られ初めて、今回はフェイトやエヴァやお父さんといったホンモノの強さを持ってる連中と並ぶには現在のネギには足りないものがあるというのが示唆されてます。
ようやく気付いたんですけど、バトル方面やリーダーシップ方面をはじめ、基本的な能力値は高いんだけど精神面がそれに追い付いていないというネギの中のギャップを、表面だけ大きいナギになっても中身は小さいネギというシチェーションで表現してるんですよね、たぶん。
だから、表面を覆っているナギの姿に中身も追い付くために、小さいネギに足りないモノ(おそらくは精神的なモノ)を探し、獲得するのがこの魔法世界編のキモなんじゃないかと。
そうやって、ようやく小さいネギが大きいナギという姿に負けないくらいに追い付いたところで、ようやくまほら武道会編から続いている、それでネギはナギ自身になるのか、ナギとは違うネギなりの何かになるのか?というお話に持っていくんじゃないかなと思います。
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夢か現実か分からない状態で混乱してた亜子・夏美・アキラ組に対して、同じ非バレ組でもだいぶ魔法世界に馴染んでそのシチェーションを受け入れていた裕奈とまき絵が面白かった。この辺りは現実とファンタジーの相克・融合なんかをキーにしてるネギま!的に意味深で、ファンタジーをファンタジーのまま自分の現実に取り込めるかというのは、3-Aの生徒達にとって重要なファクターとして描かれています(少し前は千雨がこのテーマを担っていて、ファンタジーを自分の現実として取り込むまでがVS超編で描かれていた)。
現実とファンタジーの融和エンドになる作品のような気がしてるんで、現実世界(現実)と魔法世界(ファンタジー)の交通を断絶させたフェイトの行いや、今回ちょい役で登場してた現実世界に特に興味を持ってない(自分の現実以外無関心)魔法世界の住人のおじさんなんかが、作中では否の方向なんだと思います。

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