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 「何故こんな苦いものを?」(アレルヤ・ハプティズム)

 『機動戦士ガンダムOO(ダブルオー)』の、第11話「アレルヤ」の感想です。
 し、渋い脚本だ……。
 ◇

 超渋い脚本。今までで一番大人向けの話だと思うし、子ども視聴者は今回は最初からターゲットから外すくらいの勢いで書かれた脚本だったんじゃないかと思います。というか、アレルヤと同年代視聴者(二十歳前後)でも、描きたかったと思われる感覚をじっくりと味わえたかは疑問なくらい。スメラギさんの年齢、スメラギさんの立ち位置にまで視聴者がなって、ようやくあの感覚を描きたかったのか、と分かるというか。

 たぶん一番描きたかったのは、「成人」というか、大人になることと、それに伴う「痛み」。前から書いてるようにガンダムマイスター三人(刹那、アレルヤ、ロックオン)は今は天上にあがって活動してるけど、地上時代の「過去」を重要なファクターとして抱えていて、そのうちその過去が自分の前に立ちはだかってくる展開になるかのような伏線(刹那にとってのアリーの存在、、アレルヤにとっての超人機関にハレルヤ、ロックオンにとっての同じ顔をした何者かの存在、など)が張られていたんだけど、今回はその第一弾として、過去に対峙するアレルヤのお話が描かれた回。

 極端に言えば、過去の自分を自分で否定して、自己否定の末に大人への階段を上がった(成人した)というお話。戦争のために作られた人工生命は害になるからここで殺しておくのが世のため(というかソレスタルビーイングの理念)というのは理屈では分かっているんだけど、過去の自分もそこにいたものだから、アレルヤは中々引き金が引けない(自分を否定はできない)。

 だけど、結局、昔「撃ちたくない」と本心から思いながら結局引き金を引いたように、今回も泣叫びながらアレルヤは超人機関に向かって引き金を引く(=自己否定)という展開。あんだけアレルヤに向かって綺麗事を言うな、殺せ殺せと言っていたハレルヤが、作戦行動後に表面的な言葉ではアレルヤの行動を称賛しながら、自己否定の痛みで涙を流してるという二律背反な描き方が良かった。

 で、こういった自己否定の末に痛みを伴って大人になるという感覚は、ガンダムマイスターとして有益なら過去の清算はちょうどいいみたいなこと言ってたティエリアや、作戦後に「大スキャンダルっスよね」とか言ってたプトレマイオスクルーには分からず、どうやら既にそういう痛みを経験して今に至ってるスメラギさんだけが理解できるという結び。

 ラストシーンは渋すぎる。

 なんでスメラギさんはお酒を飲むのか?という物語序盤から張ってた伏線、及び今話Aパートでも丁寧に入っていた仕込みを受けて、ちょうど二十歳を迎えたアレルヤが、「無性にそういう気分」と、先行者であるスメラギさんの感覚に到達。お酒を大人にしか分からない「痛み」のガジェットとして機能させてカッコよく結んでいます。

 「何故こんな苦いものを?」(アレルヤ・ハプティズム)

 「そのうち分かるわ、きっとね……」(スメラギ・李・ノエリカ)

 スメラギさんも経験しているらしい(おそらくは自己否定の末の)大人になる痛み(=お酒の苦さで表現)を、スメラギさんは先行者の立場から、アレルヤは成人して今回大人になった立場から共有した所でエンディングへ(アレルヤの方はその痛みの正体が何なのかまだ分かってない感じなのがまた良い)。

 渋い。渋すぎる。子供視聴者は置いてけぼりだったと思うけど、この渋い脚本は称賛。苦さ、痛みをあえて飲んでるという感覚。大人になる過程でどこかでそういった苦さ、痛みを自分のものとして取り込んでいるという繊細な感覚を、一話内で上手く物語として表現していたと思います。

#そして、否定されるべき存在としての悲哀を立場上ソーマとアレルヤが共有してるように描かれており、そんな存在に温かい目を向けてしまう大人の存在として、セルゲイ中佐とスメラギさんが同じ立場として描かれている。このセルゲイ&ソーマ:スメラギ&アレルヤ構造はこの作品の中のかなりの見所。

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