→小説本編はこちらから読めます。
全体のコンセプトとしては、少女小説版「ブラックジャック」をやりたかったということですかね。桔梗→ブラックジャック、レン→ピノコです。あとは、それに榛野なな恵作品的な幸福論を加えてちょっぴり硬質な物語に仕上げたかったと。色々な作品を参考にしてるんじゃないかという感想を頂きましたが、意識して取り入れたのはその二作品くらいです。ただ、公開前に読み返して、当事者か当事者じゃないかとかは「ガンダムOO」っぽいなと自分で思いました。ただ、この作品を書いたのは去年の6月なので、その頃はガンダムOOがたぶんまだ発表されておらず、ましてや内容なんて分からなかったので、国際関係や当事者意識を扱ってるのがシンクロしてるのはまったくの偶然です。
その上で、表題「催眠恋愛」というのは、作中で描かれる二組の恋心、聡子→直樹への感情、レン→桔梗への感情が、いずれも「催眠性」のものである点からつけられています。聡子はちょっと偏狂なまでに信仰とも言えるような恋心を直樹によせるわけですが、どうも、健全な人間関係から生まれたストレートな恋愛感情というよりは、満たされ無さ(家族の会話を盗み聞きしてる場面)や理想通りに生きられない自分というコンプレックスからの、逃避としての恋愛感情であるかのように描写されております。一方で、レン→桔梗にいたっては、そもそも健全な恋愛感情である云々以前に、幼少時に桔梗がレンにかけた強制催眠による恋愛感情であることが物語の終盤には明かされてしまいます。
で、そういった催眠性の恋愛はいいのか悪いのか、ちょっぴり是非が問われるように終盤に向かうんですが、結局、よく分からないまま終わるようにしました。もっとストレートに物語を締めるのだったら、そういった催眠性の恋愛から抜け出して真実の恋愛を獲得するまでを描く、あるいは逆に、例え催眠性の恋愛でも、その過程で得てきた感情には意味がある!という所までメッセージとして描く所なのですが、そうはせずに、レンの桔梗への感情の源泉、そもそも幼少時に桔梗がレンにかけた強制催眠は良かったのか悪かったのかも曖昧だし、聡子の直樹への感情も、そういった普通の幸せへの逃避と、孤高の桔梗が追ってるような過酷な幸せと、どっちがいいのか悪いのかは曖昧なまま終わるようにしました。
これは、僕のまったく個人的な意見としては、どんなに辛くても理想を追え、過酷な幸せを目指せという感じなんですが、それを高らかと作中で主張し続けるのは押しつけがましいかなという配慮からこういう描き方になったものです。なので、作品としては普通の幸せも決して否定しない感じで結んでおります(最後に普通の幸せの象徴であるクリスマスケーキがレンから桔梗のもとに届けられる)。「これで終わり?的に終わる」と書いてたけど、ちゃんと終わってるじゃんという感想も沢山頂きましたが、僕の言う「これで終わり?的に終わる」というのは、そういった、催眠性の恋愛はいいのか悪いのか、普通の幸せと過酷な幸せとどっちがいいのか、作中ではメッセージとして落としどころをもうけず、曖昧に終わらせたという点からそう言っていたのでした。
そんな感じ何で、対外的なクライマックスは聡子が桔梗のラポールに飛び込む所に設定してお話をつくりましたが、僕的に一番見て欲しかったのは、同じ催眠性の恋愛で人を愛している者同士である、聡子とレンが会話してる所です。最後の変則デートに向かう前のお店での聡子とレンの会話のあたりとかが自分では好きです。こう、催眠性というと大げさですが、真実の恋とは言い難い恋心を抱いてる者同士が、ちょっぴり、間接的に解り合ってしまう微妙な心情が描けていたんじゃないかと思います。
一方で、エンターテイメント的に桔梗にはとにかくカッコいいキャラになってもらいました。こう、絶対ブラックジャックが武器としてマントの下にメスを忍ばせている感じで、何か武器くらいは持ってますよね(笑)。このまま、バトル作品に移行できそうなくらいけれん味(バカっぽさとも言う)を持たせてみました。ゴシックロリータを好むという設定は、昔ゴスロリサイトを作った時に余った資料を有効活用したかったのと(笑)、ネットビジネス(桔梗の恋愛ビジネスもこれに含まれる)では実はゴスロリは隠れ人気産業だという知る人だけ知る的な楽しさを発見してくれればいいという小ネタです。
そんな感じで、上述したような深さも入れたお話だったわけですが、ゴスロリ衣装の卓越少女が三面六臂の活躍をする痛快エンターテイメントとしてもリファインできそうなお話でしたね。その当たりのエンターテイメントの導入は今後の課題としたいと思います。
それでは、小説を読んで頂いただけでなく、こんな「あとがき」まで読んで頂いて本当にありがとうございました。また次の小説でお会いできたら幸いです。