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 ネット社会を論じた本によく載っている話だけど、ネットがもたらしたかなり大きな時代のパラダイムシフトとして、あらゆるものが並列で語られるようになったというのがあります。
 超大企業のサイトと、一個人のサイト、一昔前だったら超大企業のサイト>一個人サイトという関係になるはずだったのだけど、実際にはインターネット上では、両者が互角、というか並列に並んでる関係だといったお話ですね。一個人サイトから、超大手企業サイトに気軽にリンクを張れてしまったり、あるユーザーの「お気に入り」にはそれこそ超大手企業のサイトと一個人のサイトが並んで入っていたりして、そして、ユーザー的にはむしろ日々チェックしてるサイトとしては一個人のサイトの方を楽しみにしてたりしていて……。そういう時代では、超大手企業サイトと一個人サイトの価値としての優劣や高低を、必ずしも超大企業のサイト>一個人サイトとしては語れないといったお話です。

 で、もう僕の中では前提になっていることなんだけど、意外とまだ多くの人が前提とはしていないことなのかと感じる点として、この大きいモノ(企業など)と小さいモノ(個人など)が価値として並列に並んでいるという状況は、ネットが普及しまくって情報時代と化した現代では、物語に関しても言えることです。

 一昔前までは例えば東浩紀氏の著作なんかで論じられている「大きい物語」があって、価値としては「大きい物語」の方が価値が高いという見解を多くの人が共有していた。人々の主観をまとめあげる規範やイデオロギーが今よりも強固だったのとか、それ以上に大きい影響力を持ったメディアがTVくらいしかなかったといった要因がそこには強く関係していると思うのですが、とりあえず、TVかなんかで大ヒットした物語(ドラマ、アニメ、称賛された小説、漫画もろもろ)は、一個人が趣味で書いてるような物語よりは優れたものだと多くの人が認識していたわけです。そこにあったのは、企業などが作った大規模な物語>個人が作ったような小規模な物語という、あらかじめ優劣や高低が分かりやすい価値観の構造。

 だったのですが、上述したインターネットが普及した情報時代と化した現代では、上のサイトの例と同じく、大規模な物語と小規模な物語は、ユーザーの中で並列に並べられて価値を判断される時代に突入しております。イメージとしては、1億部売れてる『ONE PIECE』とどこかの個人が書いた100部くらいしか売れてない同人誌が同じ本棚に並べて置かれている感じでしょうか。そして、ユーザーによって『ONE PIECE』の方に価値があるというユーザーもいれば、個人同人誌の方に価値があるというユーザーもいるという、そういう時代。大規模な物語(『ONE PIECE』など)も小規模な物語(個人同人誌など)も並列に並べられて判断される時代。

 そういう時代にあたって、主だって生まれた二つの流れが、僕が感じるに、大規模な物語を再び万人が価値を認める「大きい物語」にしてみせるという流れと、逆に小規模な物語のフットワークの軽さを生かして、ニッチな需要を満たす、『ウェブ進化論』で論じられてるところのロングテール戦略を取って、「小さい物語」としての価値を確実に提供していこうという流れ。

 前者の流れが、ゲーム人口の拡大を掲げる任天堂の戦略や、ユーザー層の拡大をはかった『ガンダムSEED』以降のサンライズの戦略とかで、後者の流れが、楽しんでくれる人だけ楽しんでくれればいいというスタンスでユーザー層を絞って作られる個人の同人ゲームや、非常にニッチな需要を満たすために(特定のカップリングだけを扱ってるとか)作られる個人同人誌とか。

 で、さらにそういう二つの流れが沸き起こってる現代において、二種類の困った人達も現れてるような気がする。一つは、大きい物語が失墜した時代だからこそ、逆に反動として大きい物語を志向している大規模な存在に信仰を持ってしまって、それを違う価値観を持っている人にまで押しつけてくる人達(PS3が好きなんておかしい、Wiiこそがホンモノのゲーム。皆Wiiを買うべき、みたいな任天堂信者など)。もう一つは、逆に価値が並列化して語られる時代を利用して、大きい物語を批判することで、何か自分がエラくなったように勘違いする人達(『ガンダムSEED』叩いてる俺カッコいい。こんな大規模な作品を叩ける俺は、そういうの作ってる人達よりエラいんだ、みたいな自我肥大者など)。

 どっちも、全てが並列に語られてるという前提から出発してるハズなのに、自分の価値観だけを並列に語られる一価値観ではなく、全体を覆い尽くす優れた価値観なのだと誤謬しているイタイ人達。

 で、ここまでが現状認識の話で、最後に今後の展望としては、徐々に並列化されてるモノを強引に誤謬のもとに全体化してどっちが優れてるかと優劣で語るのではなくて(PS3とWiiと、真実としてはどちらが優れた機種なのかとか、そういうことばかり言ってるんじゃなくて)、並列化されてるモノから、自分の嗜好に合わせて「好き嫌い」で選択されて語られるようになっていくんじゃないだろうか(君は『ガンダムSEED』好きなんだ、へー、僕はこの同人作家の人のオリジナル作品が好き……みたいな感じ、逆もしかり)。というかそうなっていって欲しい。

 このお話、「大きい物語」があった全体化して価値判断できた時代のビジネスモデルと、「大きい物語」が失墜した後の、セグメントされた嗜好に合わせて展開するビジネスモデルとの違いというトピックでもう一展開できるのですが、長くなってきたんで、そちらの方はまたの機会に(ちなみに僕個人は明らかに後者のビジネスモデルを取っています。その代表がダイレクトレスポンスマーケティングだと思ってる)。