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『機動戦士ガンダムOO(ダブルオー)』の視聴ネタバレ感想、第23話「世界を止めて」の感想です。
ロックオン惜しかった。あと2話生き延びられれば第二期もいけたのに・゚・(ノД`)・゚・
◇
今回は何かを悟った感が漂ってたラッセさんの語りが割と重要。
「ソレスタルビーイングは存在することに意義があるんじゃねぇかってな。人間は経験したことでしか、本当の意味で理解しないということさ」(ラッセ)
「経験したことでしか本当の意味で理解しない」っていうのが、これまで折に触れて書いてきた「地上人的な」「ミクロな」、『実感』のことを指してるのは明らかな訳ですが、後半はこの『実感』から出発したロックオンの最後の行動が描かれます。
紛争根絶のためのマクロの武力介入というこれまでの行動も、アリーへの復讐心で悪鬼になる今回の様も、普通の感覚ではストレートに肯定はできないだろうけども、ロックオンからしたら両親と妹をテロで殺されたという実感は、そういった行動の行動原理になるに十分なものだったと。この辺りは、ラッセさんが言う通り経験したことでしか理解できないと。
そういった実感からはじまったロックオンのこれまでのCBの活動を総括するように、ロックオンの最後が描かれます。何らかの気づきを得たラッセさんが「存在することに意義がある」と言っていた「意義」の部分。CBの2クール分の物語の「意義」がラストのロックオンの行動で示されます。つまりは、
「オマエら満足か、こんな世界で?俺は嫌だね」(ロックオン・ストラトス)
と、地球に向かって銃口の引き金を引く、今際の際のロックオンという絵。
つまりは、現存の世界への否定。それを突きつけたのがCBの存在した意味だったと。
この辺りは、OOのコンセプトは「破壊と再生」で、第一期は「破壊」が行われて、ちょっと再生が始まる所までを描くという水島監督のインタビューが今月のアニメージュに載ってたりもするんで、現存世界の否定=破壊……までの物語が第一期だったというのをロックオン視点から総括したのが今話だったんじゃないかと。
ラストシーン、地球を見下ろす絵が明らかに作中で重要な演出意図として使われたのは、僕の記憶では沙慈とルイスが地球を見下ろして感動するシーンの時以来。あの時、沙慈とルイスは現存世界の美しさに感動していたけど、今回、ロックオンは地球を見下ろして現存世界に向かって否定の引き金を引いて死んでいくという。地球の人々に、「実感」として今の世界のままでイイと思ってるのか?と問いかけて死んでいくという。
そもそもガンダムマイスターの面々は皆、地上人時代のミクロな実感を動機として、世界を変えようとマクロな天上に上がって活動している……というのがこれまで丁寧に描かれてきた訳ですが、ラスト数分の、家族の温かさやそれを奪われた地上人時代のミクロな実感の回想、そこから地球を俯瞰するマクロな視点に移って、マクロに地球(現存世界)に否定を叩きつけて終わる(死ぬ)という流れは、OO第一期の物語が凝縮されていた感じ。
ロックオン、願わくば世界の否定までの物語だけで退場ではなく、世界の肯定まで辿り着いてそれを実感として感じて欲しいキャラだった。ロックオンに届いていたのかは明らかではないけど、ロックオンの存在はトレミー組にとってとても重要なものだったというのが涙するクルー達や吼える刹那の絵で描かれていたのだけが救いかな。
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→前回:第22話「トランザム」の感想へ
→次回:第24話「終わりなき詩」の感想へ
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ロックオン死んでしまいました… そっくりなあの人の関係やグラハムとの対決を終わらすまではと思っていました。なのに 甘かったです…
ロックオンは経験(実感)を紛争根絶と復讐という形で示しましたが、本当の経験を体験した沙慈はどうなってゆくのでしょうか… アッセは経験したものしかわからないといいますがどうかダークサイドに落ちないでほしいなと思います。
長々とすみませんでした