ファンタジーのボーイミーツガールものをやるという王道も王道への挑戦なんですが、随所にやりつくされた要素を一周回った後に敢えてやっているというメタな視点と、それでも敢えてやるんだという作者の気概とを感じます。
「少年と少女…物語はいつも出会いから生まれる!!」というフレーズや、エルーが語り部として機能して使い古された「物語り」をしている点(それこそ「むかしむかしあるところに……」なノリです)などから察しても、作者も編集もこれが使い古された「物語」である点は十分に分かってると思うんですよね。ただ、使い古されて語られ尽くされた雛形、文法であろうとも、もう一度再構築してエンターテイメントに加工して、今のジャンプ読者、とりわけ子ども読者にファンタジーの王道を届けたい。そういう一周回った物語をあえて物語ってやるという感覚を感じます。
そういったモチベーションからなのか、もうお腹いっぱいなほど、これぞボーイミーツガールファンタジーの王道という要素がめいっぱい第1話には詰め込まれています。
古来から日常から非日常への導入装置であった「お祭りの日」、「時計の鐘」といったガジェット。病気の蔓延でという設定は少し珍しいかもですが、とりあえず滅びに向かって行っている世界。そういうお約束の「構造」の中で、少年は少女と出会う(少女は少年と出会うな視点になってるのが一周回った後に付け加えられた現代要素な感じでしょうか)。そのボーイ・ミーツ・ガール(ガール・ミーツ・ボーイ)の場面で、「実存」が生まれる。死にゆくしかなかったはずの少女の運命と、世界を変えたい少女の夢が天秤にかけられて、この出会いそのものがデスティニーブレイカーとして作用して、二人の夢を追う物語がはじまる。
もう完璧です。面々と受けつがれた非日常への導入要素を完璧に使いこなして物語をはじめてくれたという印象。読者、かるく虚構の中へトリップです。
あと、作品名「ダブルアーツ」の「アーツ」の部分が「Art」の複数形で「Arts」らしい点に合わせて、キリが初登場してる部分で半分欠けた未完成の絵を描いているという比喩(おそらくもう半分がエルーという比喩)や、バトル時に絵的に表現されている、徹底したシンメトリー構図、そして作品タイトルロゴの空色に透けたエルーとキリの手繋ぎシンメトリーロゴなどから、絵的な記号から何か奥にあるシニフィエを読みとって欲しいという、味わい深い演出装置にもかなり惹かれるモノがあります。
そして、極めつけの、話題性を一番意識した部分とも思える、思春期の男女がずっと身体のどこかを触れ合わせていなければならないという、フェティッシュとも言えるような作中制約。
これはなー。エルーもキリもわりと真人間の女の子男の子なだけに萌えるよなー。思春期の読者は自分を投影してドキドキするよなー。上手いよなー。
そんな訳で、発売日ですが、もうキリ×エルー同盟(エルー×キリ同盟?)とか立ち上がるんじゃないかとワクワクした第1 話でした。
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>空色に透けたエルーとキリの手繋ぎシンメトリーロゴ
これ、スルーしてましたが、(というより、気づいてなかったかも、、)あとから、じわじわと何かが伝わってきましたよ。ふしぎ〜