仮面ライダーキバ、第10話「剣の舞・硝子のメロディ」の感想です。
たいへん面白かったです。
第1話の「この世アレルギー」の話、一応伏線っていうか、作中で意味のある要素として続いてたんだ。
大村さんが音也パパの音楽のヘッドフォンを外して、建設中のビル?の喧騒に苦しむ所は、大村さんも素ではこの世に適応できないっていうのを表現していた箇所なんだと思う。
そんな、汚れた世の中では生きられない存在達に対しての、一種のトランキライザーみたいなのが、音也パパの音楽なのだと(音也パパの音楽=トランキライザー、建設中のビルの騒音=この世の汚れ……って感じの比喩だと思う)。
で、この世に適応できないでいた渡と大村さんが音也パパの音楽を媒介に解り合うのは必然だった訳だけど、そこにカウンターとして名護くんが登場してくると。
理想の父親像だと渡が思っていた名護くんは、実際には本当の音也お父さんの音楽を踏みつぶすような、渡の敵の位置づけの存在だったと。ここの、名護くんが、渡の抱いていた幻想の理想の父親像から、むしろ本当の父親を否定する存在へと転覆する構図が顕著だった、名護くんが音也パパの音楽が録音された大村さんのヘッドフォンを踏みにじるシーンはかなりグっときました。
そして、コンセプト的にもほぼ明確になった、本当のお父さんVSそれを否定するもの=吸血鬼のキバVS十字架のイクサという構図。
で、思うに、音也パパの正義は人間とファンガイアのボーダーの無効化にあるんだろうと。で、名護くんの正義は、人間=正義、ファンガイア=悪という二元論。この辺りは、井上さん脚本繋がりで、人間とオルフェノクのボーダーを無効化していた巧と、オルフェノク・即・斬だった草加という、仮面ライダー555の構図と同じです。
なので、キバに変身する時の身体に何かが走る演出が、ファンガイアが変身する時の演出と同じことから、渡自身も、555の巧がそうであったように、なんらかのファンガイア的存在なのでしょう。
できるなら、555の物語の先をキバでは見せて欲しいなぁ。静かに始まった感じで、相変わらず渋めのお話の印象だけど、大変面白くなってきました。イクサカッコいいよ、イクサ。胡散臭い宗教家みたいな名護くんにハマってます(>_<)
Break the Chain
仮面ライダー新シリーズエンディングテーマ(仮)(DVD付)→前回:第4話「夢想・ワイルドブルー」感想へ














































見知らぬ誰かのために恩人を断ち切れるほど、強くはない。戦士としての弱点にして、ヒーローの優しさの描写としても達成されてます。
直前でも、音也バイオリンの「ファンガイアと戦え音波」で、明らかに大村のことだと気付いて、戦いを躊躇う場面があります。そりゃ放っておけないけど、でも最後まで決められない。
だからイクサに勝手に収束されてしまう。これ、渡の成長には名護の要素も必要ってことなのかも。渡がイクサ化するのではなく、衝突しながら学んでいく感じで。
そこで渡なりの、自分自身の強さってもんが活きてくるのかも。実は平成ライダー主人公に一貫して備わる能力が。
イクサの玩具の箱書きとか見ると、明らかにキバの能力をシミュレートしてるので、いま確認しておくと色々楽しい(笑)。