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 ここ数年で僕が特にハマった小説っていうと『涼宮ハルヒの憂鬱』、『マリア様がみてる』、『空の境界』の三つ辺りなんですが、いずれも、主人公(というより視点キャラ)とヒロインの間に成立する恋愛感情について、同じような法則がある気がしてきたので軽く書いておきます。
 以下には、『涼宮ハルヒの憂鬱』、『マリア様がみてる』、『空の境界』の現行刊行巻数まで&結末までのネタバレを含みますのでお気を付け下さい。
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 その法則とは、簡単に言うと、何か分かりやすい恋愛感情成立イベントがあったから好きになったというよりは、いずれの作品の主人公ペアも特に無根拠で相手を好きになっている点。いや、厳密には深層心理で相手を好きになるメカニズムが発生する「何か」はあったんだろうけど、それを分かりやすく読者に伝えるというよりは、かなりファジーに、直感的に、第六感的に相手を好きになってしまったかのような描写になっています。

 で、これは作者に恋愛感情に関してそれが成立する前提や根拠を説得力を持たせて描写する力量がなかったからとかでは勿論なくて、むしろホントウの恋愛感情はそういう無根拠の衝動のようなものというのを敢えて描きたかったと思われるフシがいずれの作品にもあります。逆に、これこれこういう根拠があったからあなたを好きになりましたというのは、嘘くさくないか?というくらいの勢いすら感じます。

 『涼宮ハルヒの憂鬱』はキョンからしたら、冒頭のモノローグのように超常的、ファンタジー的現象なんて現実には存在しないんだ、それを認めることが大人になることなんだと諦観していた所に、未だにそういった超常的事象を本気で追っていたハルヒに出会って(有名な「ただの人間には興味ありません」自己紹介の所)何かが変わったと、一応説明は付くんですが、だからキョンはハルヒを好きになったのかというと、そこが一番のキモとは描写されていない感じで、やっぱり無根拠の衝動から好きになった。なんだか良くわからないけど好きになってしまった。ビビっとキてしまったというのがキモなんだと描かれています。

 それが一番前面に出てるのが、クライマックスの、

 「俺、実はポニーテール萌えなんだ」(キョン)

 の所。

 一応キョンがハルヒを好きになった理由を言語化して説明してる箇所なんですが、もちろん、ハルヒがポニーテールをしてた時のことは、決定的な恋愛感情成立イベントでもなんでもありません(まあキョンのポニテ萌えは本当なんだろうけど)。

 ようは、それくらいくだらない理由を理由にできてしまうほどに、もう全部ハルヒが好き、何だか分からないけど無根拠に好き、第六感的にビビっと来てしまってこの衝動はごまかせない……というのを、あえて表面的で本当どうでもいいようなこと(ポニーテール)を理由にあげて表現してる箇所なんでしょう(「ポニーテール萌えなんだ」の表面的なシニフィアンに、そういった無根拠のハルヒへの圧倒的な気持ちというものすごいシニフィエを込めて表現してる箇所ということ)。

 このシーンは、「進化の可能性」だからハルヒに興味があるのか?「時間の歪み」だからハルヒに興味があるのか?「神様」だからハルヒに興味があるのか?という、「●●だから」という理由付けをそれぞれ検証しつつも、結局「●●だから」なんて分かりやすい理由はない、とにかくハルヒが好きになってしまったんだという風にキョンの内面のプロセスが流れて、ラストのキスシーンに繋がっている所からも感じ取れる部分です。もう、「進化の可能性」とか「神様」とかの世界の大事よりも、ハルヒがポニーテールだったことの方がキョンにとっては重要なくらいキョンは既にハルヒにイカれてたってのを表現してる箇所なんだろうと(キョンのハルヒへの無根拠の感情を表すガジェットとしてハルヒの髪型が機能するのは、序盤でハルヒの髪型が曜日ごとに変化する所辺りから伏線が張られている)。

 次いで『マリア様がみてる』ですが、この無根拠の恋愛感情が色濃く出てるのは、近刊の祐巳→瞳子感情の所ですね(これは百合、というか姉妹(スール)愛だけど、便宜上男女の恋愛感情と同じとします)。

 祐巳がなんで瞳子にそんなにこだわるようになったのか分からないという感想をネット上でたまに見かけるんですが、これも、敢えてこうこうこういう理由があったから瞳子を好きになりましたというのではなくて、無根拠の衝動として、第六感的にビビっとキてしまった。そして、そういった衝動こそが根元的な親愛感情だというのを表現してる部分だと思います。

 近刊の祐巳が瞳子に抱く感情を表現してる所を丁寧に追っていくと、そういうのがかなり伝わってくるんですよね。最初に祐巳が瞳子にロザリオを差し出す場面(断られた時の)の『未来の白地図』では、

 あの時、本心から瞳子ちゃんを妹にしたいと思った。
 なぜそう思ったのか。瞳子ちゃんのどこが気に入ったのか。うまく口にできないけれど、でも、それは確信だった
 志摩子さん流に言うなら。――「何となく」。(P172)


 がありますし、もう少し物語が進んで祐巳の瞳子に対する内面が明かされる『大きな扉、小さなな鍵』の部分でも、瞳子自身に祐巳の瞳子への感情の源泉を問われて、

 「究極、私は、瞳子ちゃんが瞳子ちゃんであればいいんだ、って」(福沢祐巳)

 と祐巳が答える場面があります。「●●だから」好きではなくて、瞳子が瞳子だから好きという、理由も何もない、とにかく瞳子という存在を直感的、第六感的に好きになったしまったという確信。

 そして、この無償の愛が結局決定打になります。キョンの所で「進化の可能性だから」「神様だから」といった雑音が邪魔したように、『マリア様がみてる』でも、「瞳子の家庭の事情に同情したから」とか、様々な雑音が邪魔するんですが、結局はそういった「●●だから」といったいかにもな理由付けを打ち壊して、「瞳子が瞳子だから好き」という無根拠の愛の確信が勝利します。この「瞳子が瞳子だから」っていうのが、キョンの場合の「ポニーテールに萌えたから」に相当する理由になってるようで理由になってない、実際には無根拠の愛情衝動を表現した箇所なんでしょうね。

 最後に『空の境界』ですが、これは第二章「殺人考察」の感想で書いた通り、幹也が式を好きになった理由を描いている作中でも決定的な場面で、

 根拠はないんだ。けど、僕は式を信じ続けるんじゃないかな。……うん、君が好きだから、信じ続けていたいんだ」(黒桐幹也)

 という、幹也の式への感情が、上述したキョンや祐巳とも通じるような、無根拠の確信に基づいていることが示される台詞が語られます。そして、この幹也の確信は、全編を通じて、最初にその確信を抱いた式が実は第三の両儀式に対してであって、女の子の式に抱いていた感情は虚構のものだったのかもしれないと明らかになってもなお、変わりません(ちなみに、『ハルヒ』も一種の虚構性を扱ってる作品なんでキョンのハルヒへの感情は虚構のものだったと裏返る展開が今後ありそうな予感を抱いていますが、それはまた別のお話なのでまた今度。で、そっちも、例え虚構のモノだったとしても抱いていた確信とその確信に基づいて過ごした時間はニセモノでもホンモノだと落ち着く気が個人的にはしていたりです)。それくらい、この無根拠の確信が作品全体のキーになっています。

 そんな感じで三作品の例をあげてきましたが、僕自身はこの三作品が好きだと言っているように、こういった無根拠の確信に基づく直感的、第六感的恋愛感情の成立というのは好きです。過去のトラウマがあって、それを浄化してくれたから……みたいな、恋愛感情の成立に関して明確な理由付けがある物語もいいですが(分かりやすいというメリットは大きい)、今回あげたような、恋愛感情が無根拠な確信に基づいていて、だけど全てを圧倒するほどに強力というのもよりイイ意味でリアルでステキな気がします。「なんであの人を好きになったのか?」という質問には細かく理由付けて答えられない方がリアルな気がしますし、「根拠はない」「あなたがあなただから」といった無償の確信に基づいた言葉で恋愛感情を表現するのも、そのファジーな部分を読者が自分なりに咀嚼していける点で、優れた「恋愛」に関する物語の中の表現技法なんじゃないかと思います。

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 なんでだろう?あなたを選んだ私です。(アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』主題歌より)

 ↑これはハルヒ視点からのキョンへの根拠無き恋愛感情を歌った箇所だと解釈できたりです。

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涼宮ハルヒの憂鬱 (角川スニーカー文庫)

マリア様がみてる (コバルト文庫)

空の境界 上 (1) (講談社文庫 な 71-1)