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コードギアス 反逆のルルーシュR2 に参加中!
 『コードギアスR2』第25話(最終回)「Re;」の感想&トラックバックセンター記事です。
 放映後6時間にして9000PV超えのご好評を頂いてありがとうございました。ついに、最終回です。
 (なお、記事中はネタバレが前提となりますことをあらかじめご了承下さい。)
 ◇

<追記:感想アップしました>

◇以下本編感想◇

 「愛してる、ナナリー」(ルルーシュ)

 「お兄様、愛しています」(ナナリー)

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 自由意志VS強制意志の大きいお話は、R2第21話「ラグナレクの接続」でやった「自由意志のための強制」で決着でした(「自由意志のための強制」については「ラグナレクの接続」の回の感想を参照)。

 あの回ではSFな世界観でやったものを、最終回は現実の世界で、

 「俺は人々を、願いという名のギアスにかける」

 と、この感想ではずっと「自由意志」って言葉で書いてきたものを「願い」という言葉で表現して(というより自由意志が尊重されるからこそ、そこから「願い」が生まれる、それが明日のために何よりも尊いって感じかな)、言いきっています。

 (追記:「俺は人々の、願いという名のギアスにかかる」と聞こえるとWEB拍手でコメント頂いて、聞きかえしてみたら僕もそう聞こえたのですが、どっちでもルルーシュの「願い≒ギアス」は、人々の自由意志に基づく「願い≒ギアス」だったってことで、ここで書いてる話の範囲では影響無いかと)

 願いとギアスは似ている、自分一人ではどうにもならないから、他者に願う。「ラグナレクの接続」の回でルルーシュが叫んでいた、ナナリーは自分一人では何もできないからこそ他者の存在に感謝していたというくだりとリンクする部分です。

 自分一人で世界をどうこうしようとしていた所から始まったルルーシュが、世界は他者ありき、という所に着地した。自由意志を蹂躙するためにギアスを使ってきたルルーシュが、最後は自由意志を尊重するためにギアスを、否、「願い」を使ったというラスト。

 これが、自由意志、願い、心、想いの力、色々言い方はありましたが、そういったものの尊さと、それを踏みにじるギアスを描いてきたこの作品の、終着点。

 ◇◇◇

 そしてそういった自由意志を持った一つの不思議な存在、「私/自分」について。

 このテーマを僕は「アイデンティティ」と言ってずっとコードギアスの主題なんだろうと追いかけてきましたが、こちらはどのように決着したのか。

 上述の自分一人ではどうにもならないから他者に願うという部分とテーマとしてリンクする部分ですが、コードギアスでは、観測してくれる他者がいなければ自分を同定(アイデンティファイ)できないというのがずっと描かれてきました。

 だからこそ、第一期は、学生の側面のルルーシュ(ランペルージの名前)を同定してくれるシャーリーを失い、皇族の側面のルルーシュ(ヴィ・ブリタニアの名前)を同定してくれるユフィを失い、反逆者の側面(ゼロの名前)のルルーシュを同定してくれるカレンを失って、全ての側面の大事な他者を失ったがゆえのアイデンティティロストエンドだった訳で、逆にR2では全ての側面のルルーシュを知っていたC.C.のキスでルルーシュがアイデンティティを再獲得する所から物語が始まった訳です。

 それでは、R2の物語のラスト、ルルーシュという「私」、アイデンティティはどこに辿り着いたのか?

 僕は正直、最終回では第一期、R2双方の第一話との対比構造を取って、最終回ではC.C.という大事な他者に正面から観測されて愛され、ルルーシュも逆にC.C.を正面から見て愛してると伝えて、この第一期第10話、第11話頃から顕著だった(それぞれの感想を参照→第10話の感想第11話の感想)アイデンティティロストカップルは、生死のいかんを問わず、相互アイデンティファイエンドに到達して物語は終幕を迎えるのだと思っていました。

 それくらい、C.C.の本当の名前をルルーシュがまだ(視聴者に分かるように)明確に呼んでない、C.C.がルルーシュにとって何なのか?(R2第15話で明確に作中に出てきた問いであり、ついこの前もC.C.はルルーシュにとっての「共犯者」というのに疑問符が入るような演出が入っていた。それを、僕は「共犯者」ではなく、最後に「愛する人」としてアイデンティファイされる伏線だと取っていた→R2第15話「Cの世界」の感想を参照)の問いにルルーシュがまだ答えていない、この二つは最終回で回収される、作中でもっとも重要な伏線だと思っていました。

 しかし、作品も世界もそんなに優しくなく、ルルーシュは愛する人に想いを伝えることなく死んでいきます。C.C.に愛を伝えるという部分は、まさに伝えようとした瞬間にカレンが割って入ってきた前回ですれ違ったままでしたし、もう一人の作中の大事な他者、スザクにおいても、何度も最後に達成されるのではないかと思われていた、印象的に繰り返し描かれてきたモチーフ、「手繋ぎ」も、結局枢木神社でシュナイゼルに割って入られてすれ違ったまま、実現することなくルルーシュは死を迎えました。

 そして何より今回神がかっていたのが、それらの全てを代わりにやっぱり最後に「赦し」に辿り着いたナナリーが担ってくれたように一見見えながらも、実はルルーシュがナナリーに「愛している」を伝えたのはギアスによってナナリーの自由意志が奪われている時でしたし(つまり伝わってない)、ナナリーがルルーシュに「愛している」を伝えたのも、その直後、ルルーシュの方もナナリーの方をしっかりと見てお互いを観測し合う、Allルルーシュのアイデンティファイは最後にナナリーという大事な他者から「愛している」を伝えられることによって成されるのかと思えば、それすら、ナナリーの「愛しています」の直後にルルーシュがナナリーに確かな返事を返さないで「世界」がどうこうという走馬燈を語りはじめているのを見ると、ナナリーの「愛しています」ですら、ルルーシュには明確には伝えられなかったラストに思えます。

 「愛してる、ナナリー」(ルルーシュ)

 「お兄様、愛しています」(ナナリー)

 この相互アイデンティファイ、作中の解答と言えるやり取りでさえ、すれ違ったまま物語は終劇している

 じゃあ、結局この物語は、第一期ラストと同じく、ルルーシュのアイデンティティロストエンド、王の力はお前を孤独にするという暗示の通りに、ルルーシュが誰からもアイデンティファイされずに孤独死するまでを描いた物語だったのか?というと……

 「記憶せよ!ジェレミア・ゴッドバルトを。お前に敗北をもたらした、記念すべき男の名だ!」(ジェレミア)

 ここで急にジェレミア卿の台詞を引用する訳ですが、もう、この人は名前・アイデンティティを失い(オレンジになってた頃ね)、だけど取り戻し(R2第13話の感想を参照)、そしてオレンジもジェレミアも含めてAllジェレミアに辿り着いたという、作中の解答を先行で体現していくというものすごいポジションの人になっていた訳ですが、この最終回ですら、この「作中の解答を先行して体現する」という役割を担うのですね。

 上記の台詞、「記憶」、「名前(アイデンティティ)」というキーワードでピンと来た人はすぐに来たと思うのですが、そんな言葉を、アイデンティティロスト少女であった、アーニャにジェレミアは告げる訳です。

 これって、僕が上で見たいと思っていたと書いた、ルルーシュとC.C.のカップルの理想的帰結の具現ですよね。エンディングでは、仲良くアーニャとオレンジ畑で仕事までしてますし。

 何が言いたかったか?

 つまり、この物語はルルーシュの孤独死エンドではない

 ルルーシュのアイデンティティであった三つの側面、学生、反逆者、皇族、としてのルルーシュは、記憶が無かったアーニャにジェレミアの名が記憶として刻まれたのに写像されるように、人々に、世界に、記憶として残って終幕した。

 学生、ルルーシュ・ランペルージが記憶されているのは、明確ではなくとも、カレンが学生シュタットフェルトに戻り、その写真に学生ルルーシュが写っていることで表現されている。学生ルルーシュにも意味はあった。

 反逆者、ゼロが記憶されているのは、スザクが枢木スザクという己のアイデンティティを捨てる代わりに、正義の味方、英雄ゼロとして生き続けるという形で表現されている。反逆者ルルーシュにも意味はあった。

 皇族、ヴィ・ブリタニアが記憶されているのは、悪の皇帝として世界に刻まれているのはもちろん、ナナリーが次いで100代皇帝になったかのような描写で表現されている。皇族ルルーシュにも意味はあった。

 カレン、スザク、ナナリーの、生き残ったメインキャラ組が、生きている間はすれ違い続けた代わりに、ルルーシュがいなくなった後、ルルーシュが生きた全ての側面・アイデンティティをそれぞれ継いでいる。

 カレンは学生ルルーシュ・ランペルージを継ぐように、忌避していたシュタットフェルトに戻った。

 スザクは反逆者ゼロを継ぐように、否定していたゼロに自身がなった。

 ナナリーは皇族ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを継ぐように、悪の皇帝として否定したルルーシュがついていた皇帝の座についた。

 第一期のラストは、ルルーシュのそれぞれの側面をアイデンティファイしてくれる一番大事な人を全て失ってしまうというエンドだったけれど、R2のラストは、ルルーシュ自身は死んでしまっても、ルルーシュのそれぞれの側面をアイデンティファイしてくれる新しい大事な人が、それぞれルルーシュのアイデンティティを継いでくれた、というラスト。

 ルルーシュのアイデンティティ、50話分の物語には意味があった。

 だから、ルルーシュの全ての側面を知る、別格のAllアイデンティファイキャラであったC.C.のラストの台詞が、

 「ギアスという名の王の力は人を孤独にする。少しだけ、違っていたかな。なぁ、ルルーシュ?」(C.C.)

 ルルーシュの行動の結果が、上述した三人に代表されるように必ずしも人を孤独にしなかったこと、そして、C.C.自身が悠久の孤独を脱したかのようなニュアンスが含意されていること、そして、最後の「ルルーシュ」という呼びかけは間違いなくAllルルーシュ、ただのルルーシュに対しての呼びかけであること。

 想い描いていたような、明確に愛を伝え合って、相互アイデンティファイされるような、人は孤独じゃないというラストでは無かった。

 だけど、全てを失ってアイデンティティロストする、孤独死エンドでもなかった。本当に、孤独とは、「少しだけ」違っていたエンディング。

 世界は厳しいから、万全のハッピーエンドなんてあり得ないけれど、その「少しだけ」を生み出すために、ルルーシュは50話分の物語を駆けたんだ、と。

 辿り着いた「少しだけ」が、優しかった。

 想い描いてたエンディングとは違ったけれど、いいエンディングでした。この作品に、沢山の感謝を。

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p.s

 これにて、長い間お付き合い頂いた、僕のコードギアス感想コンテンツは終幕です。毎回読んで下さっていた方、時々読んで下さっていた方、今日たまたま読んで下さった方、TBをくれた方、全てに感謝です。

 そして、谷口監督をはじめ、送り手の方々、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。間違いなく週一の楽しみとして僕の人生を豊かにしてくれた作品でした。今は、少し余韻をかみ締めたいと思います。

 それでは!

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 <追記>

 ……と、綺麗に最終回の感想をまとめた所ですが、実はこれはあくまで、コードギアスという作品の「表」エンディングの最終回感想です。

 コードギアスには、視聴者に解釈を委ねられた、「裏」エンディングに相当するものが存在します。

 「表」エンディングで十分満足したけれど、「裏」エンディングにも踏み込んでみたいという方は、こちら↓の記事をこっそりとどうぞ。

次回:ルルーシュ生存説・まとめへ



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