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 さて、経済に関する前回の記事の続きをば。
 前回の記事をまだ読んでない方は、こちら↓

「信用の崩壊」って

 の記事から続いている記事ですので、先にそちらを読んで頂けたらと。
 ◇

 前回の記事を書いてから二週間あまりの間に、さらに「信用」の危機だ、もっと激しく世界大恐慌だ、というか世界経済がもう終わるんじゃないかくらいの勢いの言説まで目にするようになりましたが、そんな環境なので、敢えて、前回の記事のラストの問いかけに、僕なりのアンサーをば(好評なら続きますって書いて、わりと好評でしたし)。

 前回の記事のラストの問いかけは、これでしたね↓

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 さて、じゃあ「信用」に基づく「価値」が人それぞれになりつつあるかもしれないこれからの時代、僕らは何を指針にして何を「信用」し、何に「価値」を見出していけばいいのか。

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 問いが頭に入ってない状態で答えを聞いても理解のための脳が働かないので、問いをもう何回か反芻してから答えを聞いて欲しいのですが、フォーカスがあたっている問いは主に二つで、『何を「信用」し』、『何に「価値」を見出していけばいいのか』、この二つです。

 この辺り、自分なりの回答を送って下さった意識の高い読者様、ありがとうございます。僕も勉強になりました。回答を僕に送るまでしなくても、自分なりに考えてみた自立思考の習慣がついている読者様、答えを聞く前に自分で考える習慣は大事だと思うので、これからも大事にして頂けたらと思います。まったく頭を使わないで答えだけ無条件で教えて貰おうと思っていた読者様、金融危機なんて自分には関係がないからと砂上の安全地帯からの傍観を決め込んでいた読者様、自由意志を尊重する立場からはそんなにとやかく言うつもりもないのですが、僕個人の自由意志に基づく感覚からすると、そのスタンスは結構危ういです(汗)。

 さて、で、僕なりの答えですが、あくまで「僕なりの」です。

 経済が専門でもなんでもない(学生時代の専門は言語学(笑))、一自由業者の僕なりの答えなので、そこに何の権威性もましてや絶対性も感じずに、そーいう考えもあるか、くらいの心持ちで聞いて欲しいのですが。

 と言いつつ、僕個人としてはこの答えに辿り着くまでに自分ジャッジでおびただしい努力を経過した上での答えなので、そんなに気軽にも聞いてほしくないのですが(どっちだ)、さて、何かというと。

 答えはめっちゃシンプルです。聞けば、なんだ、そんなことかと言う人もいるであろう、僕なりのアンサー。

 では行きます。

 どどどどどどど……

 ……

 ……

 ……

 ……

 『何を「信用」し』、『何に「価値」を見出していけばいいのか』の、僕なりの答えは、

 ……

 ……

 ズバリ、

 お金ではなく『人間を「信用」し』、『自分に「価値」を見出していけばよい』

 です。

 繰り返します。

 お金ではなく『人間を「信用」し』、『自分に「価値」を見出していけばよい』

 です。

 説明が必要だと思うので、説明させて頂きます。

 まずは『人間を「信用」し』の部分。

 そもそも、お金が「信用」の産物で絶対的なものではないという前回の記事から続いているお話なので、お金の「信用」が地に落ちた世界を想像力を働かせてイメージして、そして、それでも生きていくにあたって有効なものを考えればいいということになります。

 僕のメールマガジンの、

第26号 自律した個体は経済が崩壊しても生き残る

 で、お伝えした通り、お金への「信用」が崩壊した社会では、お金に価値がなくなりますので、経済活動は物物交換に戻ると思われます。お金よりも、モノが価値を持った社会ですね。

 で、そういう時どうなるかというと、たぶんヤフオク辺りで、検索窓に「米10kg 自転車1台 交換希望」みたいに打ち込むと、物物交換の取引相手が見つかる、みたいな経済活動が中心となる社会になると思うのですよ。

 そういった社会になった時に、何が重要になるか?と考えてみると、それはやっぱり、取引の相手が「信用」できるかどうかという所に行き着く訳です。自転車1台渡したのに、米5kgしかくれなかったとか、そういうちょろまかしをやる「信用」できない人間とは誰でも取引したくないですから。

 つまり、お金に対する「信用」よりも、取引相手という『人間』への「信用」が重要になると。経済が崩壊した世界っていうのが、お金の価値がなくなった世界、あるいは価値が大いに混乱した世界のようなものを指しているのだとすると、そこで重要になってくるのは、『人間』への「信用」という訳です。

 『人間を「信用」し』

 という僕の解答が掘り下げられてきましたね。

 もう一例くらいあげておきましょう。

 よく、僕がメールマガジンなんかで繰り返しお話している、



1.アクセスを集める
2.アクセスしてきたお客様と信頼関係を築く
3.信頼関係が築けたお客様に有料のコンテンツを購入して頂く



 という三ステップが突き詰めるとビジネスでは大事なんだというお話は、実は、そういった究極的にお金への「信用」が崩壊した世界でも有効な原理原則を述べているのです

 はい、またイメージしてみます。お金の価値が無くなった社会です。

1.アクセスを集める

 現在僕はメールマガジンで250人程度、ブログでトップページを見ている人だけで一日500〜1000ユニーク程度のアクセス、というか交流がある人がいます。既に地力としてその能力を備えていますので、いざ金融危機が起こっても、集めることは恐らく可能でしょう。

2.アクセスしてきたお客様と信頼関係を築く

 はい、自慢ではないですが、わりと信頼関係が厚く築けている方です。これも地力としての僕の力ですので、金融危機はあんまり関係ないかと思われます。

 そして、お金の価値が無くなった社会、僕はどうしても米10kgが必要になりました。

 メールマガジンとブログで一斉に告知します。

 「自転車1台と、米10kgを交換して頂けませんかね?」

 はい、1000人もいれば一人くらい米10kgが余っていて、かつ自転車は必要かもという人がいる可能性が高いですし、信頼関係があるので、僕ならちゃんと交換してくれるだろうと、是非交換させて下さいというメールが僕のもとに届きます。

 これは思考実験ですが、ようは、

3.信頼関係が築けたお客様に有料のコンテンツを購入して頂く

 の部分を、

3.信頼関係が築けたお客様に有料のコンテンツを購入して頂く自分が提供できるものを提供して、自分が欲しいものを等価交換してもらう

 に変更すれば、この三ステップの原則は、お金の価値が崩壊した世界でも有効だということです。

 はい、歴史的に通用する「原理」が出ました。貨幣経済が高度に発達したのはまだ人類の歴史上最近のことですが、海のものを海で取り、山のものを山で取り、そして、お互いがお互いの取れるものを交換していたという「等価交換」の原則は、人類が地球上に現れた頃から存在していて、また、現代においてさえ一見気付かなくても様々な場面で通用している原則なのです。

 ここで超重要項目になるのが、2の、「信頼関係が築けている」の部分、つまり、僕という人間が「信用」されているか、僕が相手の方を「信用」しているか、という部分です。

 はい、ここでも、

 『人間を「信用」し』

 という僕の解答に繋がりました。

 実は、メールマガジンでこういった三ステップを原則としたマーケティングに重きを置いた地道なビジネスやヤフオクは推奨しているのに、流行の投資系(まあ株やFX)や、楽々ツールでブログ量産アフィリエイトみたいな収入の獲得方法はどうしてお勧めしていないかというと、ここに理由があります。

 投資系はお金への「信用」が前提となる資本主義経済が崩壊すれば有効じゃなくなる、少なくとも相当ハードになりますし、楽々ツールでブログ量産アフィリエイトみたいなのは論外で見向きもされなくなります。何故なら、そこには「人間」への「信用」がないから

 結局、「商売は信用が第一」という、もう誰が最初に言ったのか分からないくらい浸透している格言に辿り着く訳です。商売っていうか、もう、人間関係も、経済活動も、もっとビッグに哲学的な幸せの追求も、「信用」が第一

 そして、ここまで来た所で、二番目の僕なりの解答、

 『自分に「価値」を見出していけばよい』

 に繋がります。

 もう察しのいい方は気付いているかもしれないですが、ここまで大事なことだと強調してきた「人間への信用」に基づいて、自分自身が、「信用」に足る人間になろう、そこに「価値」を見出そうということです

 お金の価値が崩壊しても、あなたという自分に「価値」があれば、正確には「価値」を見出してくれる他者がいれば、経済活動は続きます。

 お金は1億円あっても、お金への「信用」が崩壊して価値がなくなれば意味がないですが、「自分」そのものに価値があれば?「自分」そのものに他者からの「信用」があれば?

 例えばあなたがお医者さんとしての高いスキルを持っていて、広く他者から「信用」されていたら?

 これは、金融危機とか関係なく、問題なく経済活動が続けられます。その傷を治してあげる代わりに、一食奢って下さい(お金を媒介にしない一種の物物交換)で、生き続けていくことができる訳です。

 お医者さんほど、専門性が高い、ほぼ普遍的に必要とされるスキルで自分の価値を上げられないならば、等価交換に基づいて提供できる自分のサービスの引き出しを多くしておくということで自分の価値を高めることもできます。荷物運びの仕事をするために体を鍛える、必要としている人に必要なものを届けるために流通を学ぶ、落ち込んでいる人の心の支えになれるように精神性を磨く、なんでもいいんで、色々なことができる人になって、「自分」の価値を高める、これでもOKです。

 そんなこんなで、一つの専門性を極めるにしろ、色々できるようになるにしろ、『自分に「価値」を見出して』自分を磨くこと(自分の価値をレベルアップさせていくっていうことです)、これが、僕なりのアンサーです。

 そうやって磨いていった価値の高い自分であれたら、そういう自分に基づいて他者から人間である自分に「信用」を感じて貰っていたら、金融危機、恐れるに足らずです

 という訳で、前回の記事のラストの二つの問いに対する、僕なりの解答は、

1.お金ではなく『人間を「信用」し』、
2.『自分に「価値」を見出していけばよい』


 でした。

 まあそう簡単にはいかず、やみくもに自己投資しているだけではダメで、そうやって身に付いた自分の価値を、うまくそれを必要としている人のもとにピンポイントに届ける能力が必要になる訳ですが(←これがマーケティングとか、コピーライティングとかです)、そしてこの話は昔あった資本主義社会を否定して革命を!みたいなお話では全然無い点は踏まえておいて欲しいのですが、とりあえず、プレイヤーとしての一自由業者をやりつつ経済史や哲学史に独学で触れている身としては、今回騒がれている信用の危機や金融危機という報道に向き合った場合、こういうことを考えたということです。

 わりと、人類の歴史上もっとヤバイ危機(経済に限らず)は沢山あったにも関わらず、人類は乗り越えてきたので、今回も何とかなるだろうと個人的には思っています。それくらい、僕はお金よりも、人間(普通名詞ね)というものを「信用」しています。

 という訳で経済の話としておきながら、どっちかというと哲学というか、人間賛歌みたいなお話になってきてしまいましたが(汗)、経済という切り口一つで、色々と話は広がるし、色々見えてくるんじゃないかということです。前回の記事を書いた後、特に目的なく何となく経済学部に入っただけだったんだけどちょっと勉強してみようかと思いましたっていう嬉しいWEB拍手を貰いましたが、どんどん勉強してみるといいと思いますよー。