上京して劇場でもガン視してきましたが、DVD4巻が届いて劇場版「伽藍の洞」を改めて視たので、再び軽く感想をば。原作のネタバレありなんで注意です。
識を失った式の復活話。
「空いた穴は何かで埋めるしかない」(蒼崎橙子)
の台詞通り、識を失った欠落、生きる意味の消失を式が何かで埋められる希望を獲得するまでのお話なんですが、この「空いた穴」を埋めるモノ、表解答が「殺人衝動に従って橙子さんの仕事を手伝うこと」で、裏解答が「幹也の存在」なんだよね。
裏解答というか真解答の「幹也の存在」が、そのままこの時点では式も理解していないし、視聴者にも伏せられている、「識がどうして式の身代わりに死んだのか?」の理由にもなっているという。
なので、劇場版アレンジの、幹也が「シンギング・イン・ザ・レイン」を歌うシーンは神アレンジ。
第二章で、女の子としての式の隣で「シンギング・イン・ザ・レイン」を幹也が歌っていたのを、今回の第四章では、式に似た人形(伽藍になってしまった式の暗喩と思われる)の隣に寄り添って幹也が歌うのね。
それが、ピンチで再び死の世界にいってしまおうかという式の場面に重なって、そうではないのだと、識を失って伽藍になってしまった式にも、あの時(二章時)と変わらずに待っていてくれている人(幹也)がいるんだ、式にも生きる理由はあるんだという表現になっています。
そこから、橙子さんの「識は無駄死にだったのか?」という問いへのアンサーとなる、そんなはずないという式の絶叫、なだれ込むようにバトルシーンに突入して、直死の魔眼初発動という流れが、梶浦さん楽曲と相成ってめちゃめちゃ熱い。
ビジュアル的にも、式が生きる意志を取り戻した所で、この章で印象的に長くなっていた式の髪がナイフで切られ、視覚的に、第一章、第三章で視聴者も見慣れた髪の長さの式+ナイフのビジュアル、そして直死の魔眼……と式の象徴が描かれて、両儀式はこうして生まれた感が演出されています。
そしてエンディングは、瞳を明けた式の瞳に映る、幹也の姿。
式の「空いた穴」を埋める存在にして、「識が命と引き替えに守った、識の理想(ユメ)」
「ああ、無くならないものも、あるのか」(式)
軽く泣ける。
原作も何回も読んだけど、これも何回も視ようー。
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