●物語と脳内恋愛の一回性/ピアノ・ファイア
<以下、僕の記事中には劇場版仮面ライダーディケイド「オールライダーVS大ショッカー」のネタバレをちょっと含みます>
一回性のお話は、他に現実に目を向けてみると、物語を受信するメディアの話などにも膨らんでいきそうです。
DVDやHD録画でアニメを観るなどと言うのは、何処でも、何時でも、何度でも観られるという点で複製性が高い受信方法ですが、最近では劇場でアニメ映画を鑑賞するなど、DVDで見るのとはまた違った時間的・空間的限定性の中で物語を鑑賞する価値が見直され始めている気がします(僕は七章全部劇場で「劇場版空の境界」を見たのですが、この経験では特にそれを感じました。終わった後に自然と拍手が沸いてそれをその場にいる人達で共有するなどというのは、こういう時間と空間が限定された場所でみんなで物語を鑑賞しないと体験できないことなので)。
これは、CDが売れなくなっている反面、ライヴのチケットはまだまだ売れているという、音楽方面での最近の現象にも想いを馳せられる話です。
物語限定ならば、劇場で映画鑑賞というのよりもさらに時間的・空間的限定性を求めると、演劇になったりします。劇場映画はまだ何回も映画館に通えば複数回映像自体は同じものを見ることが可能ですが、一度として同じ舞台が無い演劇をライヴで鑑賞するというのは、より限定性が高い物語の受信方法と言えそうです(分かりやすく言えば、その場限りのアドリブなどがあった際には、本当にその受信経験は一回限りのものなので)。
そして、それをさらに時間的・空間的限定性の観点から押し進めていくと、現実に辿り着きます。
「恋愛」というテーマの物語に限定するなら、
誰でも何回でも攻略できるギャルゲー>ドリームクラブみたいなセーブが一回性のギャルゲー>恋愛ものの映画やアニメ>恋愛ものの演劇>現実の恋愛
みたいな感じです。現実の恋愛は、リセットボタンが無いので、一瞬一瞬が大事な非常に一回性のものなので。
こういう、一回性を意識することって大事だよね。空間的・時間的限定の中で生きているからこそ、生きている実感って沸いてくるんだよね、という話は、歴史上出てくる時期というのはあって、例えば少し乱暴にくくると、哲学者のハイデガーがそんな感じの思想を展開しています。
(ハイデガーはいきなり「存在と時間」に突撃すると難しいので、木田元の「ハイデガーの思想」っていう本を読んでから入るのが個人的にはお勧めです)
そして、ハイデガーがそういう思想を展開するに至ったのは、第一次大戦での敗北という経験をタイムリーにしているからだ、と分析する専門家もいます。これも乱暴に書いてみると、平和にのんびり暮らしている時はあんまり一回性とか意識しないのだけど、ある種の極限状態で、ようやく人生って一回切りしかないんだと実感をもって気付く、みたいな文脈です。
そう考えると、今の日本は順調な経済成長の中でのんびり平和にビデオで複製された映画を見ているという雰囲気ではないという意味では第一次大戦後の混乱期に通じる部分もあるので、フィクションで現実でと、一回性、生は一度きりだという機運が高まってきているのもそれなりに分かるかなという感じです。本当、大事な人などいるのでしたら、その人との一回切りの現実の時間を大切に。
最後にまたフィクションに話を戻すと、このテーマでやりきってやった感がある今年のフィクションは、劇場版仮面ライダーディケイド「オールライダーVS大ショッカー」ですね。
複製的な二次創作世界を旅してきた士が、ついに自分の世界へ。そこでボロボロになりながらも、この世界は俺の世界だから、俺自身が決着をつけると宣言して最後に変身する所はひたすら熱いです。俺自身の世界は現実。そこで手を抜いていたら、物語の世界に身を投じる資格などない。
オリジナルに本気だからこそ、二次創作にも意義がある。現実に本気だからこそ、物語世界からたくさん受け取れる。最後に二次創作世界のライダー達が士を助けに来てくれる所とか、泣けます。
やっぱり、一回切りの自分の現実に本気になった時なんだよな、物語が、想像の産物が本当に助けになってくれる時って、みたいな、リアル経験からも感じられた、大変いい映画だったのでした。

ハイデガーの思想 (岩波新書)
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