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 今週の「ツバサ」。マガジン雑誌本編のタイムリーネタバレ感想、最終回後のラストエピソード、特別編「還る世界」の感想です。
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 お話の中盤から重要な概念になっていて繰り返し色々な所で強調されてきた、心の記憶と躯の記憶は違うというお話が最後のギミック。

 真・小狼と真・さくらには、現在一つの躯に写身の分も含めて心の記憶の方が二つ入っている状態。だとしたら、写身達の心の記憶の方に躯を与えてやることは出来るかもしれない。だから、真・小狼はまた旅に出る。

 確かにこれは概念として蘇生とは区別されそう。存在が虚構だったとしても、写身達の旅の記憶やそこで結んだ関係性はホンモノだった、だから羽根(心の記憶の方)は残ったという意味だと思うので、残っている記憶や関係性に肉付けすることは蘇生とはちょっと違う。もう少し広く、現実に置き換えても、歴史の発掘をはじめ過去の記憶の集積を踏まえながら連綿と人類が現在を生きているという活動は、過去の人々の記憶に何か肉付けをし続けているとも捉えられます。そういうパースペクティブが見えたところで、写身小狼の考古学好き設定がここで回収されます。次元、理(ことわり)の破壊の対立概念になる歴史の尊重という設定だった訳ですが、結局、真・小狼もそこに行き着く。それは、理(ことわり)を壊した真・小狼の対価、贖罪としてはとても腑に落ちる感じでした。

 「xxxHolic籠」の方で四月一日の侑子さんと会いたい物語も続いている訳ですが、ここで、写身小狼の記憶に躯を与えるという真・小狼のこれからの目的と、侑子さんに会うという四月一日の目的も同じ意味合いになった感じ。ようは、どっちも虚構の時間に展開された相手の心の記憶に、肉付けを与えたいという目的。

 侑子さんも死ぬ間際に時間が止まってから、止まっている間に四月一日達と過ごしたホリックの物語の時間は虚構だった訳なんですが、そんな虚構にも意味があったと信じたい、というのがツバサ&ホリックの主題の一つ。だとしたならば、本来の侑子さんの時間である生きている時の時間を復活させる蘇生ではなくて、虚構の時間に展開された記憶に肉付けを与えるというのは、上の歴史的、考古学的な意義の視点から、アリなのかもしれない。その辺りの微妙なさじ加減はまた何らかのギミックで描いてくれそう。

 そして、ツバサという作品では何回も用いられてきた反復・反転表現が最終回でも炸裂。第1話では未遂に終わったさくらの小狼への告白が、最後の話では成就するという反復・反転表現。相手が、第1話では写身小狼だったのが、最後は真・小狼という本当の想い人になっているという反復・反転表現。そして、写身カップルの時は写身サクラから告白したのに対して、真カップルでは真・小狼の方から告白するという、反復・反転表現。

 そしてそして、最後は「本当の名前」伏線が回収。これは感動したな。前回の最終回感想や27巻の感想で色々と書いたメタフィクションの視点からしたら、小狼とさくらというCCさくらの主人公が主人公だった点で、ツバサという作品はシミュラークル(二次創作のようなもの)に過ぎないんじゃないかっていう疑問がずっとつきまとっていたとも捉えられるんですが、最後の話で小狼とさくらという既存作品の名前が棄却されて、この作品の主人公とヒロインもオリジナルの名前を持っていたんだ、と、作品としてのシミュラークル越え、オリジナルへの到達が達成されています。

 そういう難しい視点抜きでも、二人とも本当の名前は「ツバサ」。つまりは、「るろうに剣心」とか、「波打際のむろみさん」とか、そして「カードキャプターさくら」とか、そういうのと同じように、この作品も主人公の名前をど真ん中に作品名につけていた作品だったんだ! というラストが清々しくて感動的。

 うん、本当に素敵な作品だった。

→最終巻など

ツバサ 28―RESERVoir CHRoNiCLE (少年マガジンコミックス)

ツバサ原画集 2

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