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『ツバサ』第28巻(最終巻)のネタバレ感想記事です。全体としては収録話に関してマガジン掲載時に書いた感想の再掲記事になっています。コミックス派の方は、これを機会にこの記事で一気読みなどして頂けたらと。
●ツバサ/感想/Chapitre.220「最強の魔術」
写身小狼&写身サクラへ、もう一度生まれるかの侑子さんからの問いかけ。
扉絵からして、真・小狼と写身小狼の真・虚タッグでクライマックスっぽいですが、この真と虚で「二つ」っていうのが『ツバサ&XXXHOLiC』の重要なモチーフだったんだな、と。
真・小狼と写身小狼
真・小狼と四月一日
真・さくらと写身サクラ
他にも、
真・さくらの父としての藤隆さんと写身小狼の父としての藤隆さん
最強の魔術師であるクロウ・リードと、写身サクラの父であるクロウ・リード
左側が「真」で、右側が「虚」。そもそもクロウと飛王が侑子さんの生存を願わなければ、真・小狼が真・さくらの生存を願わなければ、生まれなかった存在。
さらには、ファイとユゥイも、一周目だけだったら「双」子ではなかったかもという話が描かれていますし、もっと象徴的に言えば、クロウ国と東京の「二つ」の塔、そして同じく東京編ラストで登場した最後のキーアイテム、「二つ」の卵。
右側の存在、世界は、禁忌の願いから生まれてしまった虚構の世界と虚構の存在だけど(今話の侑子さんの言う「ねじれた」存在)、彼らや彼らが作った関係性に意味が無かったのか? というのをずっと描いてきたし、おそらく最後の「選択」もそれなのではないかと思います。
写身小狼&写身サクラへの、もう一度生まれるか? という問いが、百目鬼が持ってる卵から何が生まれるか? にたぶんかかってるんですよね(百目鬼が持っている卵も、世界がねじれなければ一つだったと考えられる。そして、一つ目からは蒲公英が生まれている)。
一応、僕の予想を書いておくと、百目鬼が持っている卵から生まれるのは「世界」で、百目鬼がする最後の選択は、三度目の世界を産むかどうか? じゃないかと思ってるんですが。
ねじれた世界はやはり「理」に抵触するものだった、意味がなかったのならもう世界は終わりにする、あるいは一周目に戻すべきだし、だけどもし意味があったなら、三周目にも意味が、希望があるかもしれない、というお話でフィナーレなんじゃないかな、と。
二周目に意味があった、というのは色んな所で描かれていますけど、一番感動的だったのは、XXXHOLiCのひまわりちゃんエピソードのラストの、
「ありがと あたしも、会えて幸せだよ」(九軒ひまわり)
の所かな。
ねじれた世界、二周目の世界のみの「虚」の存在の四月一日でも、いなければひまわりちゃんは救われなかった。四月一日とひまわりの出会いには意味があった。というお話だったんだよな、今思うと。
それを知っている百目鬼なんで、三周目を願う。新しく紡いでいく関係性にも、希望を見出す、というのは綺麗なラストだと思ってるんだけどなー。
●ツバサ/感想/Chapitre.221「残された摂理」
サブタイトルになっている「残された摂理」、飛王が壊した「理」の中で残っている最後の摂理は、未来も過去も、「決めるのは現在の選択」というもの。第2話の侑子さんの店での写身小狼の選択からはじまった物語としてはカッコイイクライマックス。
現在の選択が未来を決めるというのはわりと普通の考えとして理解しやすいけど、現在の選択が過去をも決めるっていうのは深くてカッコいいな。過去の意味合いを決めるのは、結局は現在の自分の選択。東京編以前の写身小狼と写身サクラの旅は、飛王に仕組まれた虚構の時間だったのだけど、その二人の「過去」を、現在の選択でどう意味づけるか。ネガティブな過去にするのも、ポジティブな過去にするのも、現在の選択で決まるという話。
写身サクラが下した決断は、虚構の時間だったとしても、あの時間(過去)には意味があった、というもの。虚構の時間で形成された感情だったとしても、写身小狼を愛してる、というもの。
ラストの見開きの写身サクラの告白と、それを受け入れる写身小狼の絵は感無量。未遂に終わった、Chapitre.179「二つの写身」での告白が成就したという絵的な演出だけではなくて、『カードキャプターさくら』最終回のCCさくらちゃんの告白も意識させられるような絵的な演出になっております。
さらには今週のヤンマガ掲載分の「XXXHOLiC」ともこのシーンは演出上、作品の意味合い上重要なシンクロした描き方をしてるので、是非そっちも押さえておいて頂けたらと。マガジン「ツバサ」の今話Chapitre.221と、ヤンマガ「XXXHOLiC」第182回の関係性、シンクロ演出については今週のヤンマガXXXHOLiC感想の方で書いているので、是非そちらの記事もお読み頂けたらと↓
→ヤンマガ掲載分「XXXHOLiC」連載第182回の感想へ
●ツバサ/感想/Chapitre.222「夢の始まり」
新しく生まれた写身サクラが、同じく新しく生まれた写身小狼を見つけるまで。
前回Chapitre.221の告白シーンは明らかに「カードキャプターさくら」最終回の告白シーンに重ねてきていた訳ですが、今回は同じくCCさくらエピローグの、中学生になったさくらと小狼の再会シーンに重ねてきていた印象です。
CCさくらの最終回は、さくらは「香港」から帰ってくる小狼を待っているしかしなかったのに対して、今回のツバサでは、写身サクラが写身小狼を探して世界中を回って、自分から能動的に「香港」に訪れているのがCCさくらの時よりも何か「進んでいる」のを感じた部分。
しかし『海のオーロラ』的というか、少年誌で堂々と「時空を超えた運命の人」ネタを炸裂させた今回は色んな意味で感動でした。なまじ多元時空モノですからね。世界で一人どころか、沢山の世界、時間とか、全部を含めても、写身サクラの運命の人は写身小狼しかいないというのは、壮大に感動的なシチェーション。作中でずっと侑子さんが言っていた「対価」っていう概念は「1=1」という原理に立脚してるのですが、自分という人間が1人だから、伴侶として愛せる人も1人というのは、僕は好きだな。
●ツバサ/感想/Chapitre.223「幸福な時間」
真・小狼の両親が転生した写身小狼と写身サクラという時空循環ネタが炸裂。
この循環した時空が前回、前々回で「夢」と表現されてることと、『XXXHOLiC』で何回もモチーフになっている『胡蝶の夢』を鑑みるに、侑子さんと四月一日の再会も成されそうな気がしてきたな。
このままだと未来にまたあの瞬間が訪れてしまうということで、おそらくパパ写身小狼とママ写身サクラが再び未来変更ミッションを遂行する感じになるのかな。四月一日の存在も写身カップルは親になった時点で知っているので、二つの未来を消さないためにという以前から言われているキーワードもそこに繋がる感じ。
あと、未来変更ミッション再びというのは、インフィニティ編で写身サクラが一人でやろうとして半分失敗したのを、今度こそリベンジ、みたいな熱さもあると思うのでした。
●ツバサ/感想/Chapitre.224、「閉じられた輪」、225「信じる力」、226「魔王と魔女」
◇
とりあえず次元ループネタが炸裂から、ループを抜け出すために現れた、写身カップルと仲間の再会までをまとめて。
次元ループを超えて現れた写身カップルと黒鋼の会話の所はグっとくるな。写身カップル的に、ちゃんと意識を持って黒鋼と話したのは、写身小狼は東京編ラスト以来、写身サクラはインフィニティ編ラスト以来なのか。
また、ループする時間を繰り返しているだけでは死んでるのと同じというのは、『CCさくら』の未来が全部分かってしまったら生きている今に価値がなくなってしまうという主題と通じる所(ループし続ける限り、写身カップルはこれから起こることを規定事項として知っている訳なので)。そういった生きながらの死であるループ状態を抜けるために、オリジナルCCさくらちゃんが写身サクラに会いに来てくれて星の杖をくれるというのは結構感動的なシチェーション。それに、ツバサ本編でずっと歴史を愛する存在として描かれてきた写身小狼的にもここは意味がある。ループし続けるだけなら、全ての歴史も無意味になってしまうので。
あとは、四月一日と侑子さんの再会が成されると思うのだけど、飛王が担っている作中否である甦生ではなく、どんなロジックで達成させるのかが楽しみ。その点、写身カップルの消滅から再登場までは、時空ループというギミックを使って上手く描いてきたなーという感じ。
●227〜231は感想お休みでした
●ツバサ/最終回感想/Chapitre.232「始まりの世界」
ホリックが「xxxHolic籠」になって続いていることや、ツバサにもまだ後日談があることなどなどから、侑子さん問題や百目鬼に託された卵の意味をはじめ、まだまだ語られていないことは多数。作中で語られている通り、真・小狼と飛王は死に行く存在(真・さくらや侑子さん)の生存を願ってしまい、それゆえに理(ことわり)を曲げたという意味では同じで、特に真・小狼が正しくて飛王が間違っているという話ではなかった。その辺りの、死に行く存在との再会を願ってもいいのか?というわりと作品でもキーとなる部分に決着がついてないのですが、その辺りはホリックが続いているので、同じく死んでしまった存在である侑子さんを待ち続けている四月一日のストーリーで、今後も描いていくのではないかと思っております。
その辺りは置いておいたとしても、ラスト、両親を死なせてしまったという贖罪意識(思いこみだった訳ですが)や、ホリック12巻以降は自分が虚構存在であるらしいことに悩み続けていた四月一日が、侑子さんに存在してくれているだけでいいと言って貰えて、最終回では真・小狼に存在させてくれてありがとう、と言えるようになっている点。そして、ピッフル国編冒頭の会話(次元改変は許されるのか、みたいな写身小狼とファイの会話)辺りから作品として仕込まれて、真・小狼の一番の苦悩になっていた、己の願いのために理(ことわり)を曲げてしまったという点についても、曲げた理の結果の一番の象徴である四月一日から、産まれてきて良かったと言われることで、一抹の救いが与えられている点。ダブル主人公のここまでの一番の問題に、ラストシーンの四月一日が真・小狼にお礼を言うという絵で決着を付けているのが、綺麗な最終回だと思いました。
この、産まれる元となった存在(メタには原作のようなもの)と、そこから産まれてきた存在(メタにはシミュラークル(二次創作みたいなもの)のようなもの)にまつわる苦悩や和解というのは、メタフィクション的に大川さんは計算づくでやっていると思われ、それゆえに終盤にはオリジナルCCさくらちゃんが写身サクラを助けてくれるという展開があったのだと思うのですが、この辺りは年末に仮面ライダーディケイドの完結編映画を見た後に(これも同じような原作とシミュラークルにまつわるメタフィクションを凄いレベルで扱ってたりします)、僕もなにかそういう評論めいたものを書いて発表したりしてみるかもしれません。大川さんは5年以上前からこういう結末に向かって計算していたであろうということで、やっぱり凄いっスね。東浩紀がメタリアルフィクションとかデータベース理論がどうとか言い出すよりも、大川さんの方が着想を得たのは早いくらいなんじゃないでしょうか。そして、淡々と重厚さとエンターテイメントが同居する物語に仕上げて、あまつさえ少年誌の週刊連載で(しかも長期)描ききったというのが恐ろしい。やっぱり最高に尊敬する物語師だなー。
CLAMPのみなさんお疲れ様でした。最高にスリリングで面白い物語体験で、間違いなく学生時代から続いていた日々の彩りの一つの作品でした(^_^;。
●ツバサ/感想/特別編「還る世界」
お話の中盤から重要な概念になっていて繰り返し色々な所で強調されてきた、心の記憶と躯の記憶は違うというお話が最後のギミック。
真・小狼と真・さくらには、現在一つの躯に写身の分も含めて心の記憶の方が二つ入っている状態。だとしたら、写身達の心の記憶の方に躯を与えてやることは出来るかもしれない。だから、真・小狼はまた旅に出る。
確かにこれは概念として蘇生とは区別されそう。存在が虚構だったとしても、写身達の旅の記憶やそこで結んだ関係性はホンモノだった、だから羽根(心の記憶の方)は残ったという意味だと思うので、残っている記憶や関係性に肉付けすることは蘇生とはちょっと違う。もう少し広く、現実に置き換えても、歴史の発掘をはじめ過去の記憶の集積を踏まえながら連綿と人類が現在を生きているという活動は、過去の人々の記憶に何か肉付けをし続けているとも捉えられます。そういうパースペクティブが見えたところで、写身小狼の考古学好き設定がここで回収されます。次元、理(ことわり)の破壊の対立概念になる歴史の尊重という設定だった訳ですが、結局、真・小狼もそこに行き着く。それは、理(ことわり)を壊した真・小狼の対価、贖罪としてはとても腑に落ちる感じでした。
「xxxHolic籠」の方で四月一日の侑子さんと会いたい物語も続いている訳ですが、ここで、写身小狼の記憶に躯を与えるという真・小狼のこれからの目的と、侑子さんに会うという四月一日の目的も同じ意味合いになった感じ。ようは、どっちも虚構の時間に展開された相手の心の記憶に、肉付けを与えたいという目的。
侑子さんも死ぬ間際に時間が止まってから、止まっている間に四月一日達と過ごしたホリックの物語の時間は虚構だった訳なんですが、そんな虚構にも意味があったと信じたい、というのがツバサ&ホリックの主題の一つ。だとしたならば、本来の侑子さんの時間である生きている時の時間を復活させる蘇生ではなくて、虚構の時間に展開された記憶に肉付けを与えるというのは、上の歴史的、考古学的な意義の視点から、アリなのかもしれない。その辺りの微妙なさじ加減はまた何らかのギミックで描いてくれそう。
そして、ツバサという作品では何回も用いられてきた反復・反転表現が最終回でも炸裂。第1話では未遂に終わったさくらの小狼への告白が、最後の話では成就するという反復・反転表現。相手が、第1話では写身小狼だったのが、最後は真・小狼という本当の想い人になっているという反復・反転表現。そして、写身カップルの時は写身サクラから告白したのに対して、真カップルでは真・小狼の方から告白するという、反復・反転表現。
そしてそして、最後は「本当の名前」伏線が回収。これは感動したな。前回の最終回感想や27巻の感想で色々と書いたメタフィクションの視点からしたら、小狼とさくらというCCさくらの主人公が主人公だった点で、ツバサという作品はシミュラークル(二次創作のようなもの)に過ぎないんじゃないかっていう疑問がずっとつきまとっていたとも捉えられるんですが、最後の話で小狼とさくらという既存作品の名前が棄却されて、この作品の主人公とヒロインもオリジナルの名前を持っていたんだ、と、作品としてのシミュラークル越え、オリジナルへの到達が達成されています。
そういう難しい視点抜きでも、二人とも本当の名前は「ツバサ」。つまりは、「るろうに剣心」とか、「波打際のむろみさん」とか、そして「カードキャプターさくら」とか、そういうのと同じように、この作品も主人公の名前をど真ん中に作品名につけていた作品だったんだ! というラストが清々しくて感動的。
うん、本当に素敵な作品だった。

ツバサ 28 豪華版―RESERVoir CHRoNiCLE (少年マガジンコミックス)

ツバサ原画集 2
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