本日(12月4日)の朝日新聞にワンピース+ジャンプ+マンガのコンセプトで麦わら海賊団メンバーを8面(+1)広告で展開。
なんでこのド不況の最中ワンピースがこんなに売れているのかという点に関して、僕は半分ビジネス畑にも浸かっているんで、ビジネス系のブログやってる方とかマーケッターの方とかの分析もちょくちょくタイムリーに読んでるんですが、そういう人達がやっている市場分析とか時代分析とかにがんばって絡めようとしているワンピース理解は、少し的はずれに感じることがあります。そういう人はたぶんリアルタイムでワンピースを追ってないし、マンガもそんなに読まないし、ましてやラブーンの伏線を覚えていてブルックで泣いたりはしない人達なんじゃないかと(笑)。
複雑な分析こそが無意味で、ワンピースに関しては単純にコンテンツ力が凄すぎる。ワンピースというマンガが凄すぎる。尾田栄一郎先生が何か凄いものを受信し過ぎている、という理解が一番シンプルにして真実に近いと思っています。小手先のマーケット分析などが役に立つのはある程度のレベルまでで、ある一定の水準を超えると、「これはコンテンツ力の勝利」という説明が核心に迫ります。悲しいかな。マーケティング戦略云々は絶対に大事なんですが、それらは超級のコンテンツが産み出せない人間・サービス提供者の弱者の武器でもあるのです。超級コンテンツが産み出せるのならば、分析も戦略も、実は最小限でイイという。
しかしワンピースは凄い。僕らが歴史上・地球史上に残る作品にライヴで立ち会っているのはもはや確実でありますが、それにしても09年はワンピースを筆頭に、フィクション史の潮流の転換点であったように思う。実は僕の価値観もワンピースによって変えられた(あとヱヴァ・破、仮面ライダーディケイド、プリキュアオールスターズの存在も個人的には大きかった)。簡単に言えば、島宇宙化する価値観・世界に対して反逆の狼煙が上がったのである。
メディアの多様化にともなって、人々の嗜好は細分化して、それぞれが自分の島宇宙に閉じこもり、お互いの宇宙の意思疎通が歴史上かつてないほど困難な時代になってきていました。ドラゴンボールの話題を出せば、ドラクエの話題を出せばみんなにとりあえず最小限通じる。そういうことが成立しなくなりはじめていた時代。エロゲーユーザーはエロゲーばっかりやってマスの娯楽に対して興味を失い、Twitterで、mixiで、アメブロで、エロゲーならエロゲー、ある小さな島宇宙のコミュニティに閉じこもって1日を終えていく。韓流でも時代劇でもある国のサッカーリーグでもいい。とにかく「ハマっているもの」が人それぞれになりすぎて、例えばエロゲーオタクと韓国ドラマオタクは意志の疎通ができない。みんなでファミコンなんてやりません。私はX-box360をやります。あなたはPS3をやります。お互い自分の部屋でそれぞれやっていれば、それでいいじゃない。という潮流。
そんな状況に突入しかけていて、僕もそれでしょうがないかなと思っていたところはありました。だから、それぞれがそれぞれの島宇宙でビジネスができればまあそれでいいのか、と、ロングテールもニッチも受け入れて、そんな無数の島宇宙が分散してるような世の中になっていくのかな、と、そんな風に思っていたし、事実、大きい物語を創出してきた出版社やTVメディアは疲弊しきって、逆に島宇宙を創出するようなニコニコ動画やブログのような個人メディアは元気がいい。
と、それが09年冒頭までに僕が感じていた時代の流れだったんですが、今年に入ってから、なんだかよく訳が分からない現象が起きてきました。それはプリキュアがオールスターズを組んだり、仮面ライダーがメタフィクション化したり、なんだか知らないけど「す、凄い」としか言いようがないヱヴァ・破が公開されたり、ワンピースが革命編に入り始めた辺りのことである。島宇宙化した人々が、それらの「同じ」話題を語り始めたのでした。な、なんなんだ、これはー。
個人的な経験だけでも、非オタの友だちの妹さん(大学生)がキュアパッションがイイとか言っている(プリキュア)。甥(高校生)がファイズドライバーで変身しようとケータイで「555」を押したりしている。めったに連絡よこさない姉さん(30代主婦)が、「ヱヴァ・破」が凄すぎると電話をよこした(エヴァンゲリオン)。ワンピースに至っては、老若男女を問わず、誰とどれだけ話したか分からない。それどころか、国境を越えて、スロヴェニア人とサンジのカッコよさに関して熱く語り合った経験すら僕にはある(ワンピース)。僕も我ながら嗜好が細分化してる方だけど、それでも、それらの全部を知っている。それぞれの島宇宙にいる人達と会話が成立している。この現象はいったい何なんだろう、と。
そこで、今日の朝日新聞のコピーである。8面に出しているのに、唯一8回繰り返している本気のメッセージだ。
マンガを読んで、その瞬間を何百万の読者と分かちあえた。
これは、島宇宙化する世界に対しての反逆声明文のようなコピーに思える。衰退メディアになりかけている「新聞」にこれを本気で掲載しているというのも熱いと言わざるを得ない。広報担当まで、ノリが少年漫画である。ようは、おそらくプリキュアも仮面ライダーもエヴァもワンピースも、もう一度「みんな知っていてその話題で語り合える」という大きい物語を創ってみせるという気でいたのかと。まだ諦めていなかったのか、と。
オールスターズ、再生、超コンテンツ力。それぞれ少しアプローチは違うけど、マンガ・アニメの世界では、まだそんな夢を捨てていない人達がいる。個人化、人それぞれ化、ニッチ、ロングテールがキーです……と、僕は特にビジネスジャンルでここ数年嫌というほど聞いてきたし、実際時代の方向がそっちを向いているのは否定しない所なのだけれど、そんな時代にポイズン、「みんなで」とか本気で言ってる人達がいる。これは感動的だ。さすが、マンガ・アニメは夢にかける強度が違う。個人的な見解ですが、村上春樹ですら、「IQ84」はもはや「ノルウェイの森」や「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」級では大きい物語として機能できなかったように思う。中学生の甥や、女子大生、30代主婦と村上春樹の新作の話をしようと思っても、それができないのである。ところが、ワンピースで会話を振れば、深度はともかく、とりあえずコミュニケーションが成立する。それだけのことなんですが、今の時代、それだけのことが如何に奇跡的か、僕はだいぶかみ締めています。
さて、時代は経済危機に突入。既存のシステムが揺らいでみんな不安なのに、島宇宙化する世界では意志の疎通が困難で孤独。自殺者はうなぎ登り。そんな時代さ、ポイズン(しつこい!)、という感じだけど、なんだか知らないけど東洋の島国でマンガ・アニメみたいなハイカルチャーとはとても認知されてこなかったようなジャンルで、本気の人達がいる。ウソップとロビンの台詞がいいですね。「仲間」って言葉とか、一笑にふされがちな時代で、この人達は本気で使ってるからね。
最近少しだけ思うのだけど、当たり前ではダメだ、生き残れないと最近の人はみんな言うけれど、本当に当たり前なことっていうのは、普遍的だからこそ当たり前になったんじゃないのだろうかね。どれだけ島宇宙に分断されても、きっとそこにもある、みたいなね。