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 『侍戦隊シンケンジャー』最終回、「侍戦隊永遠」の感想です。
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 作り手の本気と愛と真摯さが感じられる素晴らしい最終回だった。

 最終戦は役者さんが生身で変身の口上、及び殺陣を演じるというグっとくる演出。子どものヒーローシンケンジャーも遠い存在じゃなく、生身の人間が頑張ってるんだ感がとても出ています。また、マジで役者さん達が頑張ってる。変身口上の所の決めポーズとか、限りなくスーツアクターさんに近づけるように頑張っている。

 それでも、烈火大斬刀二刀流というVSドウコク一ノ目戦の最終回最大の見せ場では、再び変身してスーツアクターさんに任せているのもまた熱い。役者さんもがんばったが、それでも最後の大殺陣を一番最高に演じられるのはスーツアクターさん。一人では限界があるから仲間がいるのだという作品自体のテーマも妙に重なった。役者さんとスーツアクターさん、両方揃ってのシンケンレッドであり、シンケンジャーだった。

 そして最後の最後、ドウコク二ノ目戦はもう涙で画面が見えなかった。接近して一太刀というシンプルな構図に、なんかもう色々な全てが詰まっていた。

 過剰な装飾を纏っている感の最終ロボのサムライハオーが、ドウコクの最後の攻撃の前に少しづつ削られていく。それでも、前進、漸進。1年間苦楽を共にした玩具達が壊れていくのがとても最終回仕様。そして、それでも最後にズタボロのノーマルシンケンオーが残ってるっていうのが熱かった。過剰な装飾とか、表面的な肩書きとか、正当性とか全部なくなっても、それでも残ってるものはあるよ、という殿が影武者だったと分かってからの物語終盤のテーマにやけに重なる。全部装飾がなくなって、最後のボロボロノーマルシンケンオーになった所で殿様から一言。最後に残るのは、これだけだ。

 「今のうちに言っておく。お前たちと、一緒に戦えて良かった。感謝している」

 サムライハオーもテンクウシンケンオーも、モウギュウダイオーも、この資本主義の世の中で子供向けの大きい作品をやるには、欠かせない要因だった。実際そんな娯楽で遊べた体験だって本物。ただ、それはそれとして、もう最終回で玩具を売る必要がなくなった最後にこの番組を観てくれていたお子様達に伝えたいメッセージは作品として一つある。サムライハオーのことは忘れても、こっちはどこかに残っててくれたら嬉しいなというメッセージは、実はある。一人じゃ無理だから、仲間を信じろ。一緒に戦ってくれる人がいたら、感謝しろ。全部失っても家臣達との絆は残っていた丈瑠のように、それさえあれば最後はなんとかなる。そこさえ勘違いしないで大事にしていれば、愚直な正攻法でも人生勝てるから。

 なんの策も弄しないノーマルシンケンオーの刀による袈裟斬り一撃でドウコク撃破というラストがカッコいい。サムライハオーによるものでもなく、殿が本物だったからとか偽物だったからとかでもなく、最後に残ってるものは、そういう余分な装飾を凌駕するほどに、シンプルで強い。

 最終戦後、世界を救うために一緒に戦った仲間達が、それぞれの場所に帰っていってしまうエンディングも切ないながら美しい。みんな、源太以外は劇中中盤で丁寧にワンエピソードづつ作って描写されていた家族のもとへと帰っていく。姫の去り際に見合い云々に言及されているのも、コメディ調ながら、やがて姫も家庭を築いていく的な含みがあってニクイ。何かのために真剣(シンケン)になるために集まっても、プロジェクトが達成されたら、みんなそれぞれのミクロな大事な場所へと帰っていく。それでも一緒にがんばった1年に意味がなかったかと言えば、そんなことはないと、言葉にしなくてももうみんな分かっている。劇中から、制作陣、そして視聴者の現実生活にまで通じるような、カッコイイ終わり方だった。

 七瀬さんの第一話レビューで気になって見始めた時は、まさかこんな充実した体験を提供してくれる作品になるとは思わなかった。見続けて良かった1年でした。殿、一年間お疲れ様でした。

侍戦隊シンケンジャー 侍合体 DXシンケンオー
侍戦隊シンケンジャー 侍合体 DXシンケンオー

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