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劇中で今後明示化されるのかはともかく、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」が、「旧エヴァ」との関係を考慮しながら鑑賞できてしまう点で、一種のメタフィクションになってる点に異論がある人はそんなにいないかと思います。
綾波が今回はアスカの平手を受け止める。アスカに、実験機に乗り込む前のミサトさんとの会話で、わりと早い点で救いが提示されている。シンジくんがちょっと前向き。などなど、いずれも「旧エヴァ」で平手をくらった綾波、精神的に悲劇に陥ったアスカ、後ろ向きなシンジくんを視聴者は知っているので、メタな視点が働いて、ああ、今回は……と感動できる。ループものSFとかPCのADVなんかが例にあげやすいですが、バッドエンドの後のトゥルーエンドを見ているかのような感覚が、そこにはあります。
で、そう考えると、新劇場版から参加の真希波さんを除くと、旧メンバーのチルドレンでバッドエンド回避展開が新劇場版でまだ行われていないのは、カヲルくんだよな。
シンジくんとの交流がイイ感じの所までいったんだけど、結局シンジくんに握りつぶされたという旧エヴァのバッドエンドを、これはもう新劇場版では「Q」で回避してくるんじゃないかと地味に予想してみます。
そもそも新劇場版では「序」でも「破」でも、カヲルくんは最後に出て来て旧シリーズと新劇場版の関係をループやパラレルワールドで示唆させるような意味深な台詞を言って終わるという、メタキャラな趣がある訳ですが、そういうメタな視点に作中でいるキャラが救済の対象にならないかというと、そんなことも別にないです。この辺りはうちのブログの「ひぐらしのなく頃に」や「仮面ライダーディケイド」の記事を読んで下さったことがある方には伝わりやすい部分じゃないかと。妄想がだいぶ入るけれど、旧エヴァと新劇場版の関係が、カヲルくんのパラレルワールドやループ、多元時空を越えたシンジくんへの愛の物語なのだとしたら、BLとか抜きにしても熱いよね。陳腐に聞こえてもあえて「仲間」という言葉を使ってみますが、シンジくんとカヲルくんの関係の再構築は観てみたいのでした。
それと「Q」では、旧エヴァのシンジくんサルベージエピソードのリビルドVerがクライマックスになるんじゃないかとも地味に予想してみる。旧エヴァの中でも、めずらしく後ろ向きなシンジくんが、そのままお母さんがいる「あっち」の世界にも行けた所を、傷つくこともあって生きづらい「こっち」の世界に戻ってくるお話なので。既に、ATフィールドがあるから傷つくけれど、それでも他者と関わろうという意志を持っている新劇場版のシンジくんとこのエピソードがシンクロしたら、熱い話になると思うのでした。
全てのキャラクターが魅力的なれど、やっぱり主人公はシンジくんなのかなとも思います。僕は15歳の時、劇中のシンジくんとほぼ同年齢で旧エヴァを(本編も社会現象も)体験した直撃世代ですが、大人になった今でも、関心はやっぱりシンジくんをはじめチルドレン組にあります。上手くコミュニケーションできなかった彼らが、10年の時代を経て、どう変わったのか。
旧エヴァにいない、新劇場版だけの真希波さんがやっぱりこの10年を経た新しい時代の象徴になってるキャラだと思うんですが、「破」のクライマックスのメンター役が、加持さんから真希波さんに変更されている訳じゃないですか。加持さんもカッコいいんですが、やっぱり、10年経ってシンジくんに言ってやりたいこととなると、加持さんの口から出そうなこととはちょっと違うとも感じたのでした。なので、あの役が真希波さんなのは個人的には凄い良かった。エヴァは心が内側に入っていっちゃって自意識に閉じこもっちゃう90年代作品の代表みたいに扱われることもある訳ですが、真希波さんが、そんなウジウジと自意識にこもっても、楽しいことなんてないよ、みたいなことをあそこで今回はシンジくんに語りかける訳じゃないですか。アレは、個人的にかなりシンクロしました。その後、綾波のために荒野をかけていくシンジくんの絵がエラく感動的。やっぱり、今何か言ってやれるなら、後悔しないように、傷ついてもいいから綾波助けに行っとけと思ってしまう。
また、「綾波に代わりなんていない」は、何重もの意味でメタフィクション的な台詞だとも思っています。当然、旧エヴァで描かれた、「代わりがいる」状態の綾波の救済処置としての、綾波レイという存在の一回性の復権が一つ。これはもう、仕事でも友人関係でも恋愛でも、私の代わりなんていくらでもいるんじゃという漠然とした不安が深刻な飢餓感になってる感がある現代人の心には突き刺さったんじゃないかと思います。
で、これだけでも凄いんですが、もう一つはメタフィクション的な意味合い。エヴァほどパロディとか二次創作とセットで論じられる作品もない訳ですが、そういうエヴァ以降確実にあった特にサブカルチャー界隈の物語の消費の仕方に関する、メタな正統性保持者(まあ庵野監督でしょうかね)からの解答。パロディエヴァ、二次創作エヴァ等々と複製性の中にエヴァは飲み込まれたけれど、エヴァンゲリオンは、綾波レイは本来一回性なんだよ、みたいな感じ。実際、新劇場版、特に「破」を観た後に、このヱヴァの代わりになるだけのパロディや二次創作を俺は作れるぜと思った人はまずいないんじゃないでしょうか。庵野監督、「序」の時の声明文で、「この10年エヴァを越える物語はなかった」って言い切ってますからね。そういう意味での「代わりなんていない」もメタに読み込んでもいいと思う、「破」のクライマックスだと思うのでした。
あとは真面目な批評から面白かった感想まで、個人的にお気に入りのヱヴァ新劇場版関連の他所様の記事を目録的にリンクしておきます。↓
●ヱヴァンゲリオン新劇場版:破 感想/真希波・マリ・イラストリアスが可愛すぎるwww
●【映画版ヱヴァ破考察 その壱】僕たちが見たかった「理想のヱヴァ」とは?〜心の問題から解き放たれた時、「世界の謎」がその姿を現す/物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために
●金曜ロードショー:ヱヴァンゲリヲン新劇場版「序」/穴にハマったアリス達
こっちはうちのブログの感想です↓
→前回:「破」を劇場で観た時の感想へ
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