ブログネタ
涼宮ハルヒの憂鬱 に参加中!
 映画『涼宮ハルヒの消失』のネタバレ感想です。
 ◇

 基本的に原作の谷川流さんの小説版を読んだ時と同じ感想になりますが(それだけ良い意味での原作再現度・構築度が高い)、若干映画版ならではの映像の話などにも触れつつ大雑把に二点。

その1:複製性や安易な多(他)世界への逃避を乗り越える物語である

 昨年夏頃に放送された『エンドレスエイト』連続放送は、原作読んでればテーマ上の『消失』への伏線なんだって分かるとは当時から色んな所で僕は言っておりましたが、やはりそういう物語。

 昨日書いた「ひぐらしのなく頃に」ブログの記事や個人的には00年代の幕を飾ったと思っている去年終劇した『ツバサ』や『仮面ライダーディケイド』らと主題はかなり重なります。

 価値観が多様になり過ぎたのがもっと進んで、世界観すら多様になりかけているかのような現代の時代背景。及び、デジタルメディアの普及が進んだのが関係あるのか、「なんでも複製できてしまう」という捉えようによってはちょっと危ない最近の感覚。この二点が合わさった、「複製的な“世界”が選べてしまう」という状況・考え方に、もの申した作品だとこれらの作品群は個人的には思っております。

 どんなに楽しい世界でも、何回も繰り返したら。何回も複製可能であったら、摩耗してしまう。何度でもあるやと思って本気で生きられなくなってしまう。『エンドレスエイト』はTV放映では8回、作中では1万回以上同じ世界が繰り返されて、もう「複製された世界」の極み・虚しさを、しつこいほど視聴者に訴えていたんだと思います。これほど、複製されて、繰り返すだけでは退屈になってしまうから、だからこそ一回きりの現実を、世界を、本気で生きましょうよと。宿題ちゃんとやれよと。若干説教っぽいとも言えるかもしれませんが、メッセージとしては共感してました。複製的にアニメも娯楽も氾濫してるし、HDに保存したり、非道いのになるとライセンスがあるのを違法にネットで落としたりしていつでも見られてしまうから、だんだん一回一回を本気で見なくなってくる。もし、一回きりしか見れない限定条件だったら、きっと本気で見るのに。そして、恐ろしいことに、現実の人生とか命は、一回きりなのだった。そこの所どのよーに思っているのでしょうか? みたいな。そういうお話。

 で、その『エンドレスエイト』の仕込みを受けての今回の映画『消失』なんですが、やっぱり世界を選択できてしまうという、本来あり得ない状況にキョンは置かれてしまう訳です。

 最後の世界を選択するシーンは、原作小説でも読者に問いかける文章になってるんですが、今回は映画のスクリーンで本当にキョンがこっちを向いて観客に問いかけるので、劇場というライヴ空間ならではの迫力がありました。

 で、まあ観客のみんなが本当はどっちを選びたいと思ったかはともかく、キョンは非日常性が介在する「やっかいな」SOS団の非日常的日常世界の方を選択するんですね。

 ここは深読みだけど、メッセージ性としては、長門改変後の世界は、都合が良すぎる、平和過ぎるというのが効いているんだと思います。『エンドレスエイト』の宿題やれ、ツライことでも一回きりなんだから逃げんなというメッセージと同じですが、一回切りの我々の現実の場合、そんなに何もかも都合良くいく世界なんてない訳なので。良い例えか分かりませんが、改変前の世界の、ハルヒ関係の騒動に何度も巻き込まれながら、手持ちのコマで仲間の助けを借りつつ、いっぱいいっぱいでなんとか課題をクリアしていく、というキョンの姿は、我々の現実の仕事にかなり通じるものがあると思います。それでも一度きりしかない現実で守りたい人がいるからなんとか頑張ってる訳なので、そこから逃げてはいけない。改変後の世界は平和かもしれないけれど、それは都合良く複製した、『エンドレスエイト』の終わらない夏休みの一幕と同じ。我々はどこかで夏休みを終えてやっかいな現実に立ち向かって行かなくてはならない訳なので、やはり大変だけど、こっちの世界が好きなんだという最後のキョンの選択に、響くものがあるのだと思ったのでした。

 ここは恋愛ネタも同じ。非日常性がなくなって「やっかい」ではなくなった長門有希は異性として都合が良い相手かもしれないけれど、現実問題として相手の中の都合が良くて平和な部分だけを「好き」というのは違うし、あり得ない。「やっかい」な部分もひっくるめて「好き」って言えるかが現実の恋愛の場合フォーカスされてくる訳なので。キョンは、長門の「やっかいな」非日常性も含めて仲間だ・好きだと思ってるのです。だからこそ、ラストの雪のシーンの、情報統合思念体の親玉にだって抗ってみせるという告白がカッコいい。雪=ユキ=有希のダイレクトな連想演出は映画オリジナルですかね。肌に触れれば消えてしまうかもしれないような存在=雪(ユキ)とかけているのがカッコいい。

その2:選ばれなかった者の物語である

 これが良かったというか。映画『消失』はハルヒと長門の物語だけにフォーカスしなかった、みくるちゃんと古泉の物語もちゃんと描いたというのが凄かったと思いました。普通、映画版だし、尺あるしみたいな理由でカットしちゃいそうな所じゃないですか。

 だけど、結果2時間越えという大長編映画になったけれど、凄い物語の厚みが増した気がします。もう、圧倒的にキョンはハルヒを選んでしまう訳ですが、だったら、選ばれなかったみくるちゃんは、古泉は? という部分にも、かなり時間を取って焦点をあてていました。古泉なんて、演出上も超優遇。「羨ましい」の台詞が、最初口パクだけで何を言ったかが分からず。遅れて世界修正時に被さってくるとか、本当、選ばれなかった側も大事にしてるんだな、という印象。大人朝比奈さんが、一時だけキョンの肩に身をあずけるシーンも同じ。キョンをこれから好きになっていって、だけど別れが来ることを、キョンはハルヒを選んで、自分は選ばれないことを知っている人というシーン。『憂鬱』の、「それでも大人朝比奈さんは白雪姫のメッセージを伝えにきた」も僕は相当切なくて涙腺にきたけど、今回もヤバかったな。

 そして、だからこそ、ここを厚く描いたからこそ、最終的なキョンの異性の選択も輝く。ハルヒがいなくなった世界で、ようやくハルヒに会いたいという自分をもうどうしようもなくキョンは自覚してしまう。だから、谷口からこの世界にもハルヒがいると聞いてから、何もかも投げ出してハルヒに会いに駆けていくシーンが感動的。音楽演出上も、ここをクライマックスに持ってきてたよなー。瑞希さんが通ってらした近辺の、ハルヒロケではお馴染みのあの長い坂(TV第二期のCMとかで使われていた所)を、ただハルヒに会うためにひたすら駆け下っていくシーンがかなり胸にきた。全部、朝比奈さんのキョンへの気持ちとか、古泉のハルヒへの気持ちとか、選ばれなかった側の気持ちがあるとしても、それでも会いに行かなきゃならないのかと。人を好きになるってこういうことかと、真面目にちょっと思った。ここは、全体として黒をしっかり描いたから白が際だってくるという法則通り、選ばれなかった者側の話がしっかり作品に組み込んであるからこそ、それでもキョンはハルヒを選ぶんだっていう所が輝いていたなー。

 そして、最終的にこの一人の異性の選択というミクロな決断と、世界そのものの選択というマクロな決断がテーマとして合流するのもひぐらしと同じ。やはり、『涼宮ハルヒ』も物語力はぐんを抜いていると思います。全部の選ばれなかった人間、選ばれなかった世界を背後にしながら、それでも戻ってきた、選んだキョンが瞳をあけた場所には、SOS団の非日常的世界と、涼宮ハルヒがいた。一回きりの世界、一回切りの現実、一人だけの異性。そしてそれに全力で向き合うということ。実に素晴らしい映画だったと思います。

●メモ

 蛇足的ですが、去年の冬コミにイベント参加した時にリューさんと、我々が筒井康隆とか読んで感じていた衝撃を、今の子どもたちは『涼宮ハルヒ』で感じているのかもなーみたいな話をしたんですが、今回改めて、『涼宮ハルヒ』は共通言語たるな、それくらい凄い作品だなーと思いました。劇中で『ハイペリオン』とかちゃんと意味がある文脈で出てくるように、作り手としても先人のSFを後継する的な気概はありそうですし。

 マス向け大衆作品までいかないですが(こういう作品は本当成り立ちづらい時代になっておりますが)、ちょっと読んでると、そしてそれがお互い伝わると、あ、この人は少し踏み込んだレベルで物語を嗜む人なんだなと共通見解が得られるくらいの感じで、共通言語的にあってもいい作品だと個人的には思います。そういう意味で、原作小説の『憂鬱』から『消失』までの4冊くらいは嗜みに読んでおくかくらいのレベルでもお勧めです(僕は『陰謀』も凄い好きで『消失』クラスの名作だと思ってますが)。原作は『エンドレスエイト』もそんなに長くないよ!(笑)。

 『消失』も文章でももの凄い作品なんで、アニメだけから入った人も読んでくれたら嬉しいかなと、ちょっと共通言語(共通の話題)的な文脈でのお勧めでした。

涼宮ハルヒの消失 限定版 [Blu-ray]
涼宮ハルヒの消失 限定版 [Blu-ray]

涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)
涼宮ハルヒの消失 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの憂鬱 ブルーレイ コンプリート BOX (初回限定生産) [Blu-ray]
涼宮ハルヒの憂鬱 ブルーレイ コンプリート BOX (初回限定生産) [Blu-ray]

うちのブログの『涼宮ハルヒシリーズ』アニメ版の感想目次へ
同じくうちのブログの『涼宮ハルヒシリーズ』原作小説感想の目次へ