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 漫画『ONE PIECE(ワンピース)』に関するお話ですが、今週発売の週刊少年ジャンプ(14号)掲載分のエピソードまで言及してますので、単行本派の方は注意です。
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 『武装錬金』の全話感想とか書いていた頃から時々書いていたことがあって、つまり『武装錬金』みたいな日常の中の友人達(六舛とか)であったり家族(まひろ)であったりを守るために戦うっていう方が僕は共感できて、『ワンピース』みたいに夢を追う、自分の願いを叶えるために戦うっていうのには、フィクションとして楽しむ分には面白いけど、そんなに共感もしないという話でした。

 これは僕が何年も親の介護をして過ごしているという個人的な背景にもよると思うんだけど、「一繋ぎの大秘宝(ワンピース)」なんか目指さなくてもいいから、最初の村で親の介護したり、子育てしたり、友人を守ったりして過ごせよ、みたいな。夢を追った分、地方都市の実家では老親が孤独死とか、それでいいのかよ、みたいな感想は『ONE PIECE』読みながらこれまでどこかでついて回っていました。

 だったんですが、今週の話で作中のドグマが転換して、ああ、尾田先生は僕のような立場・価値観の読者も折り込み済みでこの中盤まで『ONE PIECE』描いてきてたのかもな、と思ってますますこの作品が好きになりました(作品としては勿論大好きなのです)。

 大海賊白ひげが求めていたものは、「一繋ぎの大秘宝(ワンピース)」ではなく、「家族」だった。上述のような、僕のような気持ちの読者に対する完璧な解答でした。白ひげというキャラクターが、初登場時から点滴や管でぐるぐるで、なんとなく「家族に介護されてるおじいちゃん」を想起させられるキャラクターだったんですが、全てはそういうことだったのかと。

 「一繋ぎの大秘宝(ワンピース)」というのが一般人が求める夢や願いの象徴だと思うんですが、別にそういうのを求めないで、ただ家族のために必死で、それゆえに偉大になってしまった(だと世間に思われてしまった)男の生き様が最高にカッコよく描かれていたので、なんか報われた気持ちになってしまった。世界政府を相手に大立ち回りというとんでもない展開になった訳だけど、別にイデオロギーとして現体制が気に入らなかったとかでもなく、夢や願い(一繋ぎの大秘宝(ワンピース))を求めた訳でもなく、ただ家族(エース)が取られたので取り返しに行っただけだった。この、それだけなんだけど大変なことになってるという部分が大変胸に来た。上で書いた夢目指さなくてもいいから親の介護しろよ的な僕の愚痴も、そもそも親や家族が手に入らなかった人間からしたら、贅沢過ぎる愚痴なのです。手に入らない者からしたら、それは世界政府を敵に回してでも、求めるに足るものだった。ルフィの物語としては描かれなかったけれど、大海賊白ひげの物語として、一繋ぎの大秘宝(ワンピース)? 興味ねーな、それより家族に感謝だという物語を中盤の弩級のクライマックスを使って描いてくれたことで僕は心底満足しました。あとは、その「先」へと物語を進めて欲しい。本当、今なら心の底から応援できる。

 さて、その「先」であります。

 誰もが「一繋ぎの大秘宝(ワンピース)」を求めるために生きている訳ではない。エースが自分自身の物語で本当に欲したものは「生きていてもいいという承認」であって、白ひげが求めたものは「家族」だった。それは、この中盤のクライマックスで凄まじい愛情で描いてくれた。もう満足。

 という訳で、ここから先の『ONE PIECE』の物語は、しかし、己の物語として「一繋ぎの大秘宝(ワンピース)」を求める物語を生きる人間もいるというフェーズに入っていくと思われます。で、その人間とは勿論主人公のルフィ。生きていてもいいという承認とか、家族の大事さというのを踏まえた上で、ルフィの物語はその先にある。それは、どうやら「一繋ぎの大秘宝(ワンピース)」が関係する、世界がどうこうとか歴史がどうこうという凄い話になっていくらしい。

 「生きていてもいいという承認」を求めていた登場人物はエースの他に作中にもう一人いて、それはニコ・ロビンです。が、この部分のロビンのストーリーは、アラバスタ編ラストの「私の夢には敵が多すぎる」からエニエス・ロビー編の「生きたい!」までのお話でひとまず決着がついています。つまり、「生きていてもいいという承認」を求める物語としては、エースの先を受けて、「生きていてもいいという承認」は得ることができた。自分個人の問題は報われた(エニエス・ロビーまでルフィ達が来てくれたから)。そこでいよいよ、問題になってくる、自分自身には一区切りついたけど、じゃあ自分がいるこの世界って、歴史って何? という部分の物語をルフィと一緒に担っていくのが「歴史」のストーリーラインに一番関わりが深いロビンの物語なんだと思う。ロビンにまだ「●人目」のサブタイトルエピソードがないのも(数え方に諸説あるけど)、おそらくそのため。エースが生き残っていたら、自己の承認を得た上で何をするのか?というifストーリーラインと言ってもいいかもしれない。

 私的な経験からも、あと色んな学者さんや起業家さんなんかの生き方を見てみても、現実でもこの順番な気がする。まずは、人間として家族愛や生きていても良いという承認を求める。ゆえに若いうちは「自分って何」みたいな感じで、関心やエネルギーが自分の内側に向かいやすい。クリエイターさん達にもそういう時期に創作意欲が沸く人が多い印象を受けて、自分にフォーカスした作品というのは小説から漫画・アニメまで多いです。それはそれでいいと思いますし(というか、一般メディア経由で得られる画一的な価値観を無批判に受け入れられない人は誰しも一度この地点を通る)、自意識が強いなーみたいに思える作品も個人的には好きです。が、尾田先生と『ONE PIECE』はその段階を踏まえた上で、世界とか歴史とか、そういう大きい話にこれからはエネルギーを注ごうとしているように思います。こういう段階に入れるのは、現実でも自分の問題にある程度決着がついてから(世界を認識する基盤である自分自身の揺れがある程度安定しないと落ち着いて世界の方に目を向けられないから)。ちょうど尾田先生がこの海軍本部決戦は中盤のクライマックスだと言ってるらしいように、作品のドグマが、この中間クライマックスを機会に、自分の問題から(エニエス・ロビーまでのロビンやエースね)世界とか歴史の問題(たぶんルフィと後期ロビンあたりで担っていく)に進展した気がします。本当、凄い物語だ。

 まったくの私事ですが、最近よく姉さんと歴史の話をしたりします。僕はロビンのストーリーに本当心から共感するんですが、一回もうダメだと諦めて、それでも色んなものに救って貰って、自分の問題には一区切りついた、じゃあ、歴史とか、世界のことを考えてみようか、みたいな。私的人生としては、現在ようやく歴史のこととか考えられるようになった感じ。姉さんも子供が小学校に入ったりなんだりで、ちょうど今そういう時期なんじゃないかとなんとなく思ってる(凄い歴史小説とか読んでる。もともと姉さんは大学では歴史専攻)。

 まあ私的、姉弟的歴史研究の話は置いておいて、今日は『ONE PIECE』の話ですが、姉さんもよく『ONE PIECE』が終わるまでは死ねないと言ってます(映画も見に行ったらしく0巻が「保管しておいて」と送られてきた)。ドグマが進展して、なんとなく私的、個人的、家族的背景も意識させられてしまったりして、これからも『ONE PIECE』の続きの物語を、特に個人的にはロビンに注目しながら追っていきたいと思ってますし、そのことを考えるとワクワクします。本当に、己の生きている承認の物語などは経た上で、それでも人生をかけて挑んでいる歴史の真実に向かい合った時、ロビンは何を思うのかなー。

 もう、一読者として自分自身が「一繋ぎの大秘宝(ワンピース)」を追うタイプの人間ではないというモヤモヤは今回の白ひげエピソードで晴れたので、後は「一繋ぎの大秘宝(ワンピース)」を追うような器の人間(こういう人も世の中には必要だ)のゆく先を応援するつもりでこの作品の続きを追っていきたいですよ。

ONE PIECE 巻57 (ジャンプコミックス)
ONE PIECE 巻57 (ジャンプコミックス)

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