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 ニコニコチャンネルの公式配信(こちら)で少し遅れて視聴した『魔法少女まどか☆マギカ』第3話「もう何も怖くない」の感想です。
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 さやかがだいぶ重要キャラっぽくて、今回のマミさんとの「願いは自分のためか他人のためか」問答はだいぶこの作品の核心という感じ。

 今話ではさやかはマミさんとの会話を通して他人のためと言いつつ自分のエゴなんじゃないかと思慮して願いをまだ保留する訳ですが、このレベルの脚本力でまったく独立したパートとは考えにくいんで、これはやっぱり主要登場人物の中に「他人のため」に願いを使った人がいるのではないかと。

 現状のキャラクターだとほむらっぽいよなー。第1話からのほむらはまどかを知っている伏線に、できるだけまどかを魔法少女にしないように立ち回ってる状況といい、ほむらがバッドエンド回避でまどかのため(他人のため)に願いを使った、が今の所状況的に一番しっくりくるんですが。

 また、第1話から何かと「選択」が印象的に描かれている作品ですが、今回にあたっては、マミさんとほむらが、そのまま2つの選択肢になっていた気がします。マミさんルートは、一見良さ気に見えるんだけど、これはあんまり覚悟がないまま魔法少女になってしまうルートで、ほむら(さんざん魔法少女は過酷なんだからなるなと言っている)ルートが、過酷さを覚悟の上で魔法少女になるルートという気がしました。

 結果、今話時点ではマミさんを選んでしまって、覚悟の無さ、どこか平和ボケした部分(ケーキを願いにしちゃおうとかの辺り)が、マミさん死亡エンドに繋がってしまった、みたいな。

 今話のまどかの役に立てるならそれだけでイイとか、マミさんの実は友だちが欲しいだけの普通の女の子だったとか、一般的な魔法少女作品ではそれだけで十分肯定されるべき動機になるんですが、この作品ではそこは少し外してきていると。本当、過酷なんだからガチで覚悟完了でやらないと、みたいな。

 ただそうは言っても、今回のまどかの動機の動機的な、お母さんの生き方のくだりは作中解に収まりそうな気もします。ようは、願いの結果で幸せになるとかじゃなくて、本気で頑張る過程自体が幸せでそれが願いだ、というような話。第1話冒頭から暗示されている「バッドエンドを覆す」という思想自体を覆しえる思想。エンド(結果)は関係なく、つまりあるいはバッドでも過程に価値を見いだせる。それは、今話ででてきた音楽家だけど何かしら悲劇があった(バッドな結果があった)らしい彼にとっても、何らかの解答になり得る考え方な気がする。どちらにせよ、第1話の描写からしてお母さんはキーパーソンっぽい感じではあります。

 「このままじゃバッドエンド」問題は、エラく現実世界の諸々と対応して考えさせられる部分です。日常賛歌の中に留まっているだけじゃ本当に未来はバッドエンドになるから覚悟決めなきゃいけない気はするし、かといってありふれた日常はやはり尊い気がする。なんやかやで時代性もある作品だと思うのでした。

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