どうやら『ツバサ』作中で未解決だった「百目鬼に託されたもう一つの卵」の用途は、四月一日から侑子さんの記憶を消すためのものだった模様。
『ツバサ』が関係性の記憶を対価として差し出す所から始まる物語であったり(写身サクラが写身小狼の記憶を失う所から話が始まる)、クライマックスでは四月一日が両親の記憶を対価に差し出していたことが判明したりと、切々と「大事な人との関係性の記憶はとても大切なもの」というのを描いてきた作品だっただけに、侑子さんが最後に残していたものが、「大事な人との関係性の記憶を消すもの」だったというのは深い。
失われた命は覆るのか問題が、『ツバサ』が完結した後も少し続いていたのが『xxxHolic籠』だと思うんですが、結論としては、「やっぱり失われた命は覆らない」だったのかな、と。『ツバサ』で飛王は侑子さんの蘇生を願ってあんな世界を巻き込んだことをやった訳だけど、28巻分の物語で、「その願いだけは叶わない」と否定されたのが、「失われた命を覆す」ことでした。
となると、『ツバサ』完結後の四月一日の「侑子さんともう一度逢いたい」という願いは、主人公キャラが願ってるからアリなのかと言われれば、それはやはり飛王と同じ「侑子さんの失われた命を覆したい」ということなので、やっぱりそれはダメだった。主人候補正で何だか侑子さんも生き返って感動の再会……とはならなかったのが、ある意味シビアで、だけど作品の主題に対して真摯だと思いました。
確かに大事な人との関係性は尊いけれど、それでも、優先される度合いは、
失われた命は覆らない>大事な人との関係性は大切
だったんだなと。
侑子さん自身が一番それを理解していて、時が来たら(四月一日の魔力があの場所を出られるくらい高まったら)見られる侑子さんの夢として、「そこから出なさい」というメッセージを残していた(籠から出る小鳥はたぶんそういう意味)のが切ないがカッコいい。「愛しているから自分のことを忘れてもイイ」と、『ツバサ』冒頭で写身小狼がとった行動とシンクロしている構成美も美しい。
結局今しばらく四月一日は侑子さんとの再会を願って「籠」の中に残ることを選ぶ……というラストだけど、同時に百目鬼に侑子さんと四月一日の関係性の記憶を消すかどうかを委ねる形で、この四月一日の選択の是非は読者に委ねている感じ。確かに大事な人との関係性を拠り所に留まり続けるのは尊いかもしれないけれど、一方で「命は覆らない」というのを尊重するなら、四月一日はそこから出るべきだとも言える。
百目鬼の「まだ保留」というラストが、「縁切り」みたいな題材を扱ってる今度連載が始まったCLAMPの『GATE7(ゲートセブン)』に主題として続いていってる感じで、上手いなと思ったのでした。
『ツバサ』から入りつつ、大変堪能した作品でした。ちょっと人生観に影響を受けたレベル。シナリオの大川さんをはじめ、CLAMPというクリエイター集団に感謝を。
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