
今夏公開(予定)の最終話に合わせて、オリジナル小説『夢守教会(ゆめもりきょうかい)』を本日よりブログにて再連載開始させて頂きます。
少しずつ掲載させて頂きますので、新しい読者さんなども、これを機会に携帯などで空き時間にちょくちょく読んで頂けたりしたら大変嬉しいです。
以下からが小説本文となります。
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『夢守教会(ゆめもりきょうかい)』・序文
――ネビル・シュートの『渚にて』という小説には、この世界の終わりにあたっての人間の生き方が描かれていたのだけれど、それは他者への愛情であるとか自分への誠意であるとか、人間が生きていく上での尊厳なんて呼ばれる物を、世界が終わるその瞬間まで真摯に守り抜く人々の姿であったな。
正義であるとか、情であるとか、一昔前までなら正しいとされていたことは一笑に付されがちで、それでいて誰もが自分が歯車の一部であると認識しながらも、それらの全てを忘却できるほどには誰もが無機的に成り切れない世界の片隅で、少女はそんなことを思った。
その電気街は多くの勤め人の帰り道になっていた。夕暮れ時をやや過ぎた時間のことである。人々は一方向へしか進み得ないエスカレータに運ばれていくように、一路、愛する家族が待つ各々の家へと歩みを進めている。流れに乗らないのは、少女一人だ。
閉店間際の電気店のショーウィンドウに飾られたテレビからは、この時間帯特有のバラエティー番組が流れている。帰路の途中のOLの中には、自分が贔屓にしている芸能人でも出ていたのだろうか、足を止めてしばしの間、道中のテレビに見入っている者もある。
しかし少女は素通りする。少女はバラエティー番組に興味がない。バラエティー番組というよりも、テレビというものを観る習慣を少しばかり前に捨ててしまっていたからだ。今の自分には、無駄にできる時間は少しもない。その一念は、随分と前から均衡を欠いている今の少女の精神機構の中では、割合上位に位置する確かさを持っていた。
――私は。
少女が自問する頃、少女は電気街の終着点へとたどり着いた。
幸せへと流れ着く河の流れのその中心に、一点、流れを堰き止めるように一人の女性が立っている。
薄紫色の正装。どんな流れの中でも揺るがないような確かさを持ちながらも、視線は穏やかな美しい女性だ。
顔見知りの少女は、その同性の女性にわずかばかり恋人へ寄り添うが如きしぐさを見せると、そのままゆるやかに女性を抱きしめた。
いささかだけ欲情を込めたような動悸で、少女は言う。
「もう全て、全ては変わってしまったわ。私の夢には、この世界は理不尽過ぎる」
そうした少女の独白に対して、少しの敬愛と情愛の眼差しを向け、静かに少女の額にキスをすると、女性は答えた。
「そうだね、でももう少しだけ、もう少しだけあなたは足掻いてみることができる。いつか私はあなたにマーク・C・ベイカーの『瞳の比喩』の話をしたね。人間が何故『瞳』を二つ持っているのかってあの話さ。右瞳と左瞳、どちらか一つでもいいのに、どうして我々は『瞳』を二つ持っているのだろうっていうあの話。私はこう言ったよ。『右瞳と左瞳、どちらかが優れているという事はない。だけど二つの『瞳』があると、世界が立体的に見えるんだ』とね。いいかい、今のあなたには片瞳しかないの。それはとても弱々しいことだと私は思うの。だから、最後の足掻きとして、私はあなたのもう片方の瞳を捜してみるべきだと思うの。とても、これはとても小さな可能性でしかないけれど、もしもあなたの片瞳が見つかることがあるとすれば、あるいは……本当にバカバカしいくらい小さな希望かもしれないけれど、私は今、本気でそう思っているの」
そう言って女性は瑠璃色の双眸から涙を流した。
――この少女が世界を立体的に見ることができたなら、あるいは……。
正義であるとか、情であるとか、一昔前までなら正しいとされていたことは一笑に付されがちで、それでいて誰もが瞳を瞑ってしまえば楽になれると認識しながらも、それらの全てを忘れて瞳を閉じてしまえるほどには誰もが何かを諦め切れない世界の片隅で、女性はそんなことを思った。
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本日掲載分の本編はここまでとなります(^_^;
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パープルタイズ
→次回:『夢守教会(ゆめもりきょうかい)』第1話「少女のケニング」1/「言葉について」へ
→オリジナル小説『夢守教会(ゆめもりきょうかい)』目次ページ(まとめて読む時用など)