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 雑誌『papyrus (パピルス)』2011年08月号に掲載された、東浩紀さんの新作小説『パラリリカル・ネイションズ』の感想です。
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 めがっさエンターテイメント小説でした。バトルあり、萌え少女ありで展開していくんだけど、背景には飛鳥時代の世界観や現代科学・現代思想の知識が広がっているという。これくらいのバランスの小説が、今の僕には何かと心地よい感じです。飛鳥時代の日本人が詩を使ってバトル、そこに萌え美少女を投入みたいなバカっぽさにニヤニヤして、無駄に精密なアカデミックな衒学に二度ニヤニヤする的な面白さ。「波動関数」とか「存在論的ゲーデル数」とかのワードがナチュラルに飛鳥時代と融合してるテキスト世界はそれだけでニヤニヤ。

 東さんのTwitterなどを見ていれば、やはり震災を大きい出来事として意識しているのは分かるので、評論的に読み解いていこうとすれば、色々と想像はできます。震災は日本という国の根幹が揺らぐ出来事だったんだから、だからこそ舞台が日本が概念として出来てくる飛鳥時代辺りなんだろう、とか(この国のルーツ、核を見直してみたいというような)。でもってそれが現代と完全に断絶していては意味がないから、その世界は色々な喪失感を抱えた主人公と過疎の街の現代パートと繋がっているんだろう、とか。主人公と叔父の「こことは違う異なる世界」や「メタ世界」に関する対話のシーンで、今つらい現実において、虚構の世界(漫画やアニメの世界でもいいかもしれない)に浸ることの意味についてどうしても考えさせられてしまうとか(叔父は現実世界では排斥されていて、だからこそ異なる世界に浸っている人に感じられる)。

 そして、東さんがKEYが好きなことも著作やらTwitter経由で知っているので、この劇中でも言及されている存在論的な「今、ここ」と、「異なる世界」についての関係に、例えば『CLANNAD』における現実パート(一応)と「幻想世界」パートとのリンクで描かれたことについてなど考えてしまう。個人的には、アレは「幻想世界」の少女にも意味はあるんだよっていう話だと思ってるんですが(幻想世界と繋がった所でオープニングに入る原作ゲームの演出は神だよね)、本作では、とりあえず主人公は現代から見れば「異なる世界・遠い世界」である所の飛鳥時代パートにどうやら行ってしまう所から物語が始まるらしい。現代パートの方に閉塞感やら喪失感やらがあることを考えると、中々刺激的な出だしです。

 久々にガチで読んでみたいと思った小説。次の掲載も楽しみにしたいと思います。

papyrus (パピルス) 2011年 08月号 [雑誌]
papyrus (パピルス) 2011年 08月号 [雑誌]