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 美しいと思った仙台の風景の写真を二枚ほどぺたり。
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 自分の生まれ故郷という補正もあるだろうけど、美しい街だと思うんだよなー。道を行けば壊れていたり修復中の建物が散見される状態だけど、美しい風景は美しい風景のまま。

 『思想地図β2――震災以後』に収録されている藤村龍至氏の建築論考「復興計画β:雲の都市」には、国土レベルのリスク分散の観点から、第二国家軸としての「東北-日本海ベルト」が提案されていて、その場合は中心には仙台が想定されているのだけど、そんな方向に進むのだったらできる範囲で協力したい。少し大袈裟に言えば、この街で生まれた意味とか、一度関東圏に出たのに、思う所があってこの街に帰ってくる決断をしたことにも、何か運命的なものがあったのではないかなどと考えたりもするのでした。

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 「コンテンツ立国」には、残りの人生をかけて末端を担おうかくらいのことを考え始めています。口に出して連呼してみると陳腐な響きだけど、確かに映像、漫画(特にデジタル)、テキスト、語学(英語やら日本語やら)は放射能の影響は受けないし、地震などでもそれほど深刻なダメージを受けない産業であるのは確かなんだよなー。コミケなんかを見ても層の厚さは現時点でも相当のものだと思いますし。普通のサラリーマンや主婦が夜中の時間を使って神同人誌を作る国とか、中々ないですよ。

 結局コンテンツ、というか文化的な輸出には言葉、語学の占める割合が大きいので、自分の専門で役に立てることもあるだろうと思っています。とりあえず、今年の後半から来年にかけてやろうとしてることの一つがそれ関係です。

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千早下描き110906

 一昨日勢いで描いた千早の下書き。

 鉛筆下書き、ペン入れまではアナログです。デジタルペン入れもできるようになりたいとは思ってるのですが、今の所やり直しが効かない一回性の紙へのペン入れの決断性みたいなものが好きなのでした。まだ生きてる線が引けてるとはまったく言えないですが、この辺りは追求していきたい部分。

 あとは、僕の大事な体験として、学生の時に海外で文化的、思想的背景が違う外国の方々と、絵を描いてコミュニケーションして、漫画やらアニメやらの話をした、というのがあります。絵と音楽に国境がないのを実感した経験でした。そういう意味で、デジタルペン入れだけじゃなくて、その場にペンさえあれば描ける絵の即興性みたいなものも大事にしたいとは思い続けてるのでした。

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●魔法先生ネギま!第337話「力になりたい」/感想(ネタバレあり)

 文化や思想背景が違う二つの世界を繋げるための、壮大なプロジェクトに色んな人達がコミットし始めるお話。

 ラストの「いいところなんでしょ?日本」と風景画のコマには思わず涙が出ました。「いいところなんでしょ?麻帆良」でいいはずの所を、あえて「日本」という言葉を使ってる。作者さんが「みんなで一つに」「がんばろう日本」とかをことさら連呼するタイプじゃないだけに、さらっとこういう所に力入れてるのがカッコいい。異世界の人に、行ってみたいと思って貰える場所であり続けられるかどうか。作者さんにも思う所があるのではないかと思う。黙々と日本を救うかもしれない「Jコミ」を準備してるだけはあります。赤松健は常にカッコいい。

 先にあげた「思想地図β2」には竹熊健太郎氏の『「終わりなき日常」が終わった日』という論考も載っていますが、サブカル評論の世界で、『ラブひな』の永遠に回り続ける山手線のシーンが、「終わりなき日常」に比喩されてると解釈されてたりする、当の赤松先生の作品です。

 それが、終わりなき日常の続きのごとくはじまった『ネギま!』一学期編は終わりを告げ、今始まった二学期編は演出上一学期編と似た感じを取りながら、実質そこに生きる登場人物達はもう「終わりなき日常」が終わった精神性の中で生きている。

 平和な日常が前提だったハーレムギャルゲー的なフォーマットが捨て去られて、劇中の女の子キャラ達が、世界の存亡をかけたプロジェクトに徐々にコミットしはじめるという流れは、これも時代性があり過ぎます。赤松先生自身がこういうのを描いてるのに、萌えは世界は救うかもしれないけど、ただ平和な日常を前提に萌えてるだけでよいフェーズは終わったのだなというのを強く実感します。萌えるにしても、「終わりなき日常」が終わった後は、色々考えていかないとという。

 「Jコミ」との両立は大変そうですが、『ネギま!』はこの先の世界でどう萌え続けるのかをタイムリーに示し続けるために、描き続けて欲しいな……。

DVD付き 初回限定版 魔法先生ネギま! (35) (講談社キャラクターズA)
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