疲れがちな日々の出来事、断片など。
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●交流

 Facebookで高校時代の後輩と再会してやり取りをする、海外の漫画・アニメファンの方などと新しい交流が少しずつはじまる、地域での活動で新しい人と知り合う。だいたいこの三つが最近では大きいです。

 SNSなどはただの承認欲求供給メディアとしてのマーケティングに踊らされるのではなく、有意義に使っていきたい。次の災害も起こりえるので、その時に役立てられるメディアとして構築、漸進的進展をさせていきたいのでした。


●ロボット

 作りたい。

 防災と介護を個人的には目的に考えています。いきなりジョブズみたいな世界を変える製品を作るというような話ではなく、自分に提供できるものは提供したい。音声、言語回りの調べ物を少ししたりしています。高度な音声利用のデバイスって、たぶん認知科学と物理学を媒介する音声学みたいな領域が重要だと個人的にはあたりをつけてるのですが。


●やれること

 恋愛と性を大量消費主義の価値観に乗せて煽るくらいでしか母数を狙えない旧来型TVメディアなどには未来はないと感じています。しょせんはメディアなので、コンテンツの質が向上すればいきなり有意義になる可能性もありますが、現在の構造上ビジネスとしてちゃんと回りながら十分な時間や資金を投入した番組は作りづらくなってるのは聞いたことがある人は聞いたことがある通り。

 やはりアニメは頑張っている。WEBによる人類総発信者時代、その中でも現状大きい母数に見て貰うにはまだアドバンテージがあるTVメディアなどは、圧縮や編集性を推して母数が見るに足る番組を作っていく方向が一つはあり得ると思うのですが、TVの中でも前述の恋愛と性ネタなど、もはやアニメの方が圧縮率、編集性、漠然とはこだわりやそこの表現にかける気持ちが充実してるように思える(そして同時にアニメはWEBでの同時性発信、世界規模発信にいち早く舵を切り始めている)。飲み屋でやるようなcontroversiveな話を流すだけならそれこそ飲み屋からユースト中継でもすればいいので、母数の多さゆえに一種の公共性が発生してしまうメディアでは圧縮や編集や洗練化が効いた作品を発信する方向性を一つは目指してほしい気がする。

 一方で、うちの母親のような老齢で要介護の人など、どうしても旧来型のメディアにしか触れられない人間がいるという、デジタルディバイトや広義のバリアフリーが実現していない問題にも関心を払わないといけない。旧来メディアの利用者と最近のメディアの利用者とで戦争をしてもしょうがない(使うメディアが違えば、価値観の相違は広がっていきやすい、という前提がある)。架け橋を造れないか、という模索と、どのメディアでも関係ない普遍性がないか、という視点が大事に思え、また矛盾するようだけど、同時にメディアごとに適した発信についても考えていく、という何とも地道な作業が必要なように思います。