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NHKなんかでは、一歩進んで多死社会という言葉も使うようになってきました。
莫大な人数の超高齢者に今度は死ぬ間際の医療・介護が必要な状態になってくるわけですが、ポイントは……
病院に代表される国内の公的な医療機関はもうスペックオーバーで、莫大な人数の死ぬ間際の高齢者たちをもうそこだけでは支えられない状態だということです。
結果、自宅で超高齢化時期、あるいは死ぬ間際の時間を過ごして貰う方向に国も舵を切ってきています。春からまた介護関係のルールが変わったりして、一つは自宅にいても地域で支えられるネットワーク作りに主眼が置かれているのですが、裏を返すと、もう自宅でみてもらうくらいしかリソースが残ってない、ということです。当然、そこには介護労働が発生します。そろそろ、国内においては若い世代でも高齢者介護生活をしないで逃げ切れる人の方が少ないというフェーズに入ってきました。僕は七年くらい前からそのフェーズで過ごしてきましたが、幸いなことにまだちょっとそこに突入するまでには余裕がありそうだという方は、今からしっかり準備しておいてくださいね(経験上重要なのは労働形態あたりです。)。病院とか施設を増やそうにも、もうこの国にはそれらを準備するための経済的リソースが原則ない状態ですので、たぶん逃げ切れません。明示的にしろ、遠回しにしろ、親や祖父母を置いてアトム化していった世代に、何とか介護負担も負ってもらう方向に国をはじめ全体の流れも向かっていくかと思います。
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超介護需要と同時に、前から言ってるようにそろそろ移民というか外国の方の介護労働者受け入れが本格的に議論されはじめると思いますが、僕的に最近開眼したのは、「共有体験を重視する」ということ。
欧州の移民導入政策を失敗した文脈で語る批評は現在多いのですが、僕の分析では共有体験がないままに自由な部分を広げ過ぎて移民導入をスタートしてしまった、という点にあります。スイート文法的に共有体験がないと違う文脈を背景に持つ同士は解りあえませんので、対立やら衝突もある種必然だった。個々人の移動力が地球の歴史上もっとも上がっている現代グローバル文脈において、そこは注意する必要がある。
なので、日本語力テストとか介護能力テストとかももちろん大事なんですが、段階的導入になっていく流れになったら、重要視してほしいのは共有体験があるかどうかテストです。
つまり、熊本に介護労働に来て頂くなら、くまモン体操くらい踊れるようになってから来てもらう、みたいな、僕も踊るみたいな、そんな感じ(くまモン公式サイトとRubygillisさんのくまモン記事(なんでいきなりマラソンなの!?)にもついでにリンク。)。
山積する問題に立ち向かっていくにあたって、本当「共有体験」のカスタマイズ・最適化は大事な視点。いやこれ、スイートプリキュア♪観てて思ったんだけど。
逆の視点から、介護労働に来て頂けるだけの、国内から提供できる価値は何かというのも真剣に考えていかないといけません。昨日はカタールで個展をやってる村上隆さんのニコ生を視聴しましたが、考えなしで作っていればイイというフェーズは確かにもう終わってるとの考えを新たにしました。新自由主義的な輸出(&資本)拡大主義にまでいかなくても、うまく価値を届けて交換していくやり方は組織から個々人まで真剣に考えていかないといけない段階に入ってると思うのでした。
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