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クロック数の遅さが問題になる局面はもちろん多々あるけれど、例えば僕の母親のような半身不随の老人に対して「クロック数が遅い」と言っても、中々抜本的な改善は難しい。
障害や病気といったケースを少し横に置いておいても、普通に生きていても、クロック数上げ上げでノリノリの時もあるかもしれないけれど、少しクロック数下げて休みたい時も、普通はある。
仏教の説話だけれど(中村元氏のどれかの書籍で読んだと記憶している)、覚醒して眠れないという悩みを抱えてる患者には、心が落ち着く良く眠れる薬を処方する。一方で、いつも眠くてしょうがないという患者には、少し覚醒する気つけ薬のようなものを処方する。これが物事の両側面で、人間はどちらかだけで生きている訳ではない。なので社会全体としては、クロック数を上げて頑張れる場所と、クロック数を下げて休める場所と、両方あった方が良い。
クロック数上げ上げ状態の時は遅い状態の人をダレている怠けていると非難しがちで、逆にクロック数下がってあんまり動けない状態の時は、上げ上げな人を高圧的だとか弱者の気持ちが分からないと非難しがちなので、この点は注意が必要に思う。特に、中途半端に論理に強い人ほど、どちらかに一貫しなくては矛盾だと、自分側の状態を突き詰めて他人にも要求しようとしがちなので、ここも注意が必要に思う。片側のクロック数を他者全般に大きく押し付けた行為が、歴史上は後に暴力と呼ばれたケースも多々あるように思うし、先ほどの仏教の説話を持ち出すまでもなく、論理の世界だけでもそんなに単純ではない。論理学最前線にはまだまだいくつもの考え中の問題があり、哲学だって世界は一元論か二元論かすら、統一見解というのはまだまだ難しい。単純であるし、単純でもないのだった。
イケイケ状態の人が、帰って休める場所まで失うくらいに上昇に舵を切ってしまうと、アニメ『アイドルマスター』で美希が言っていた「このままでは迷子になる」状態になってしまうし、一方で、例えば介護が必要な老人でも、一切の上昇志向を取り上げてTVでも見てて下さい、寝ててイイですよ、ここでずっと安心していてイイですよ状態に置いてしまうと、ボケがぐっと進んでしまうというのもほぼ証明されている(この辺りはフレディ松川さんの本が読みやすくてお勧め)。
進み過ぎないで休んだ方がよい局面もあれば、少し自分に鞭打ってでも安心の場所から出て自分に淘汰圧をかけないといけない局面もある。
たぶん、生においてはクロック数は変動制の中、というのが真実めいているのではないかと最近は思っているのでした。
ただここまで書いておいて、上げられる人は上げていかないと今この国ヤバいんじゃないの感は茂木先生に同意でもある。色んな事情で、上げられない状態にいる人たちの分も。
幸い、僕はある程度は上げられる環境にあるので、今日も寝た後は仕事して介護して勉強しようと思います。