ネタバレで書いてるのでまだ観てない方は注意です。
この前TV放映されたリメイク版『鉄人兵団』を観てからちょくちょく原作コミックスを買って読んでた浅い原作ファンですが(『大長編』は子どもの頃にコミックス読んでたけど)、原作のいくつかのエピソードの話をうまく組み込んでいて(のび太の名前の由来、絶滅したドードーの話、など)、作り手が藤子Fスピリットを尊重してるなと思いました。
内容も、世界史上の帝国主義や科学文明傾倒主義に一言物申したい、的な、原作大長編に通底するテーマで訴え続けていた感じ。
のびやかに育って欲しい(のび太の名前の由来)、と願っても、支配文明は容赦なくやってきて、ドードー他、幾種の自然動物は絶滅してしまった。
なので、「金のためだ」と言い切る支配科学文明側の悪役と、のびやかに自然の遺伝子を伝えたい側、多様性地域文明側との対立の構図のお話になります。例によってのび太やドラえもんは、科学文明の結晶たる秘密道具を持ちながら、後者側につく、というポジション。
これだとより強い科学文明力で敵役を圧倒しては自己矛盾なので、例によって大長編のフォーマットで、ドラえもんの秘密道具が次々封殺されていきます。空気砲やショックガンのような支配文明側っぽい道具はもちろん、どこでもドアやタケコプターといった定番道具まで壊れた時は、これさすがにどうするんだとハラハラしました。
結論は、二世代、三世代で闘っていけ、だったのかと思いました。上手い。科学技術の発展が「個人で何でもできるようになる」ためのものだった側面があるので、ちゃんと対抗する考え方になっている。
「弱くて小さいものは勝てない」鬱屈した現代から来たのび太と、昭和力が満ちてた時代から来たのび太パパ。他、ジャイアンにスネ夫にしずかと、いつものメンバーが、現代人の傲慢を振りかざしたりはせずに島の住人と友人になり、自分たちも島の民族衣装に身を包む。
銃とか巨大メカとか持ってる相手に、空気砲もなしで勝てないだろって感じなんだけど、色々工夫して戦う様子が熱かった。ジャイアンのバッドでドラえもんが単体で敵地突入した所は笑ったけど燃えたよ。タケコプター使えないんだからしょうがない。
ラスト、「勝てない弱者」の象徴たるカブ太が、偶然浴びたビッグライトの光で虚飾の巨大さを纏ってリアル巨大メカに向かっていく所は大変熱かった。空気砲はないが、まだ生身がある! みたいな。
解釈を委ねてるところがあるけど、おそらくゴールデンカブトムシとカブ太は血縁、というか遺伝子で繋がってる関係だった! という展開だったのだと思う。のび太とのび太パパ(少年時代)の共演、絶滅させないで遺伝子を伝えていく、という今作のテーマ的にそれがしっくり来る。ビッグライトの虚飾の大きさに、ゴールデンカブトからリアル生命パワーが注入。序盤の虫相撲では大きいものには勝てなかったが、ラストでは巨大な科学文明メカを凌駕し得る、という風にもっていくのも上手かった。これはアリだな……。科学やお金で武装した個人でも、二代、三代、その背後にある文明や自然に全力で来られたら厳しいだろう。
あと、一緒に見に行った姉さんも爆笑してたけど、ドラえもんがみんなと一緒に温泉に入ってる所が面白かった。ロボットも昭和パパも、現地民族的な人も、一緒にお風呂に入るよ! という作中でも結構重要な場面だと思うけど、絵的にシュールだった。まだまだ、僕はドラ力的修行が足りない。考え始めると、ドラえもん、映画の時は民族衣装とか纏ってるけど、そう考えると普段は裸なのか!? とか、色々深い。
しずかちゃんも、敵役の自我肥大して支配欲にまで転化されてしまってる女性キャラの対照になってる感じで面白かった。しずかちゃん、映画版ではわりと先進的な考えを持ってる女性として描かれる気がするんだけど(『鉄人兵団』の時など)、あくまで「和」を大事にしながら個人を考えてる感じなんだよな。今作のテーマ的に未来軸まで考えるとのび太の奥さん、ということなので、一言のび太に「ドラえもんの道具がないと何もできないの?」的なことを言うのも熱い。しずかちゃんは道具(科学文明)で武装したのび太を好きになるわけじゃないんだな、というような。

ドラえもん (1) (てんとう虫コミックス)