なので、できればその一時間を、現在の自分のもっとも大切にしてる活動をする時間に充てる。他の義務感を伴う時間は、出力60%から70%くらいで、社会と共に生きていくにあたり、標準点はクリアできるように過ごしていく、そのくらいのバランスが良いように思います。
一般論で言えば、前者の時間がライフワークにあたり、後者の時間がライスワーク(ご飯を食べていくための仕事)にあたるケースが多いです。
大事なのは、60%から70%は使って、ライスワークも標準点は超えるレベルでちゃんとやる、ということです。塾の先生なら学生が腑に落ちる形で分かりやすく教えるのは当然だし、バスの運転手さんなら安全に時間通りに乗客さんをお連れするのは標準点。そこを手を抜いて、50%より下くらいでテキトーにやっておけばいいや、としてしまうと、社会全体の仕事のクオリティや時には安全がダメになってしまって、わりとどうしようもない世の中になっていってしまって、結局自分自身もダメージを負うことに繋がります。また、中には常時100%を求められる尊敬されてしかりという職種もありますが、それらは今回はまた別の話ということで。
また、逆にライスワークは60%から70%は使うくらいの仕事の方がむしろよい、という視点もあります。ライスワークが50%以下の出力でできるようになってしまうと、退屈や油断、なんでこんなことやってんの的な虚無感、などなどの魔の手が忍び寄ってきたりします。そういう意味で、最近ライスワーク的仕事が楽過ぎるんだけど、と感じた場合は、そろそろ自分のライスワーク的仕事のレベルを上げて先に進んで今の仕事は後続に譲るか、あるいは今度は生まれた余裕をライフワーク的な仕事を開発していく方に回すか、そういうタイミングが来ているのかもしれません。さらに逆に、ライスワークに明らかに常時120パーセントとか150パーセントとか持って行かれてしまっている、という状態の時は、何とかその状態を60%、70%でできる状況に改善できまいか、と真剣に考えるタイミングに来ているのかもしれません。
もちろん職種によるので一概に言えませんが、自分のレベルを上げるというのは比較的恒常的に有効な方法です。経験上、対象や他人を変える、よりも堅実にストレスなく進められることが多めの方法です。仕事ではないですが義務感を伴うという意味で、僕の場合介護生活は最初は常時200%くらいの大変さでしたが、色々と自分がレベルアップした結果、現在は70%くらいの出力で出来ている気がします。少し余裕が生まれた分を、少しずつ他のことに回し始めて、ようやく人間らしい暮らしになりかけてきています。このケースの場合は、対象や他人はほぼ変えられないというのがポイントになります。中々、いきなり母上が元気になってまた歩いたりできるようになる、というのは難しい。現実的に選択として自分の方を改善していくしかなかった。仕事の場合も、こういうレベルで実はどうやっても他人は変えられないケースもあったりします。論駁などの方法で(若い人がやりがちです)他人を変えようとする方に割くリソースと、自分の改善、あるいは代案の創出などにリソースを集中させるのと、トータルでどっちが有効か、などはわりと考えた方が有効な視点かと思います。
うまいこと標準点超えで責任を全うしつつ60%、70%くらいで義務的なことがクリアできるようになると、嬉しい100%で一時間くらいは一番大切なことに集中できるターンがやってきます。世間の最近の優れた仕事のいくつかは、こういう、一日一時間の黄金のライフワーク時間が積み重なって生み出されているケースも多いです。ゼロ年代ムーブメントの金字塔、『ひぐらしのなく頃に』もサラリーマン生活の中の深夜の一時間、二時間の執筆からはじまった、という竜騎士07氏のインタビューがあったりです。
以上、久々に日常徒然コラムでした。色んなケースの抜けは承知の上で(出力が出せない外部要因が非常に強力なケースなど)、参考になる人の参考になりましたら。