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オリンピック選手級を自分自身が目指すのはいいとして、そのレベルを他人にまで求め始めるのには慎重になった方がよいと思う。これは、ジョブスが亡くなった時にビジネス系の人たちがジョブスになろうみたいなことを熱心に語っておられた時にも感じたことですが。
おそらくは世の母数としては、オリンピック級にもなれない人や、ジョブスにもなれない人の方が多い。それでも、この逆境下何とか生存したり、大事な人を守っていかないといけない。
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僕世代だと2ちゃんねるの管理人をやってた人というイメージがまだ強いひろゆきが、Twitterで原爆投下は正しかった視点もあるのではないかというような話を連続ツイートしていたのも目にとまりました。引用するならこの辺りからのツイート↓
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(引用)
Hiroyuki Nishimura
原爆以外に、第2次大戦を終わらせる方法はあったんですかね? >「原爆投下は正しい」のか? http://bit.ly/MpjTHr
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一次ソースが大事なので、話の流れなどはひろゆきのTwitterページなどで。
ひろゆきはよくこういうやり方をしていますが、今回も自分の意見として表明して世に訴えるというより、自分はあくまでメタ位置のポジションから問いかけるようなやり方をしています。
僕として感じたのは、人類が色々考えてきたことのうち、ひろゆきは(近代)合理性(今回、この言葉かなりアバウトに使ってますので、厳密に学問やってる方にはご容赦頂けたら幸いです)からすれば正しい(かも)というようなことを言っていて、同じく人類史の中で長いこと考えられてきた「倫理」などの側面が抜けている、か、意図して捨象したフィールドに持ち込んで語っている。
前提として、こういう自然科学よりは社会科学に属する側の話題は検証が難しいので(二つの歴史をミニマルペアで厳密に比較検証したりできないから)、歴史のifを語っても、本当に犠牲者が少なくなったのはどっちだったのかは厳密には証明できないというのがあるのだけど、仮にそこが証明できたとして、近代合理のより(数的に)多く、(質的に)強くだけで全てが語れるかというと、そこは人類が積み重ねてきた知のかなりの部分を捨象し過ぎていると思う。
具体的にはそれが「倫理」とかの領域だけれど、例えば思考実験として、
・現代でリソースを食う老人100人を殺せば、200人の若者が助かると証明されたとして、老人100人は殺していいのか。
・300人乗ってる船が沈没寸前で、100人は救命ボードに乗れると分かった。200人は無作為に殺していいのか。
あるいは、
・より強い人間が生まれることが分かったので、強靭なアスリートや天才の学者などに限り、一夫多妻制を導入しよう(女性の数が一定という前提だと、強者の男性に多く分配されるので、弱者の男性は結婚に不利になる)。
とか、こういうのが「倫理」が絡んだりする問題。目をぐりぐりさせて全部より多く、より強くの方が正しいと言い切れる人は相当な近代合理主義者でそれはそれで凄い気もしますが、それだけではないでしょと長いこと色んな人が色々考えてきた歴史も尊重したいのが僕の立場。
ただひろゆき自身はもの凄く頭がいい人だと思うので、今書いたこんな話は当然承知の上で、論理思考とかの大切さを少し世間に鼓舞したくて言ってる、という可能性が大きく感じますが。いや、分からないか。一方で、「倫理なんて形式化できないじゃないですか?」とか素で言いそうな人というイメージもある……。
でも途中のツイートの、これ↓
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(引用)
Hiroyuki Nishimura
「原爆は正しい」と黙認するか、反論するかの2択ですが、その遺族の方がどちらを取るのか聞きたいです。 RT @yuznak2 実際に被害にあわれた方の関係者さんもいらっしゃると思うので、正しいか正しくないか、とい議論論自体その方達の神経を逆なでしてしかうかと思いますがどうでしょう
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は典型的なAorBの二択しかないと錯覚させて自分の側に有利に論理を展開する手法なので、読む側で気をつけたい。歴史上のエラい人とかが様々な場面で使ってきて、民衆も大きく動かされたりなテクニックです。
震災後の早い時期にあまりにこのテクニックを使う(相対的)知的強者がネットに多かったのでその時も書きましたが、Aという命題の反対は、その語り手が勝手に規定したBではなく、「A以外の全ての可能性」です。それこそ、「論理的」原則としては。
近代合理(主義)はそれこそここ200年くらいの文明を(よかったのかはともかく)進めてきた考え方ですが(別に僕が言ってるわけでもなく、そう指摘する人は多い。新書とかのレベルから学問書まで)、いくつか気をつけておいた方がよいことはあって、例えば近代合理的考え方がよい、という人は、その考え方で進む社会システムで恩恵を受けてる側の人がほとんどだということ。そういう意味では、以前自分は近代合理主義者だとツイートされていた脳科学者の茂木健一郎さんも、近代合理のシステムで基本勝ってる側の人かと思います。問題は、近代合理のシステムだと淘汰される側の人の立場に立った場合です。合理的には、あなたには消えて貰った方がいいと証明されました! と言われて、はい、その方が合理的ですね! と死ねる人は滅多にいない感じで、その辺りに僕は限界の一つを感じます。
僕はといえば、強く否定する能力も気力もないので、何とか淘汰されない程度に自身の生存をはかりながら、心持ち淘汰される側の心情(特にお年寄り)に立ってるみたいな微妙で曖昧な立場です。車椅子で一人でトイレにいけない僕の母親とか、合理性やより大きくより強くを求めるだけの世の中では淘汰される側だからね。8年くらい介護してるので、合理的じゃない、より多くの強くなれる素性がある人間のためにもっと経済活動すべきだみたいなことを言われたとしても、もう何も考えずに頷いたりはできない心情です。
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今週のジャンプの「こち亀」がえらく面白かったです。こういう昭和回帰願望は残念ながら僕にもあるなー。
車に乗ってたのは8年前くらいまでなんですが、その時はまだマニュアル車でした。今ってマニュアル車は受注しないといけないのか。また乗ることがあったらマニュアル車がいいなとか思ってたのでちょっとショック。
劇中で両さんが昭和願望おじさんたちにターゲティングしますが、「こち亀」という漫画自体が、かなりの程度その手の昭和願望や「古き良き」に価値を感じる人をターゲットに入れてる漫画であろう辺りも面白かったですね。僕も最近はまたCDラジカセ準備して音楽聴こうとか思ってるんで、もろに「こち亀」のターゲットに入ってるっぽい。
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本や音楽を買う経路が全部海外資本プラットフォームになるのもナンな感じなんで、近所のローカルゲームショップさんで購入↓

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イイ曲。
LiSAさんはガルデモ、Fate/Zero主題歌を通して今ではすっかりファンになりましたね。