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 思ったよりも夏休み期間にやろうと思っていたことが進んでないです。明日は姉さんとその子が帰省してくるので、本日は軽く部屋の片づけだけでもやってしまわないと。

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 昨日の朝日新聞の朝刊に珍しくAmazonの物流基地のルポが載ってたのですが(Amazonめったに公開しないので)、この合理力で全力でかかってこられたら勝てないなと思いました。
 見出しは、「作業目標は分刻み」でしたが、記者のバイアスを加味しても、人間力とか排せるものなら排したいくらいの、「合理、速度、サービス」の思想を感じました。同じ頃にネットで話題になったのは国内に「書店のない街」が増えているという記事でしたが、これ、同じ思想(合理、速度、サービス)で勝負したら勝てないよな、と。

 あんまり対抗方法も思いつかないんですが、一つは地味に人間力とかアナログ感を押していくしかない、というもの。ビジネス的に言えば、ブランディングの見せ方を変えて勝負するということ。合理、速度、サービス(価格など)では負けていても、私はこの人から買いたいなと思ってもらう、ということ。

 僕の語学業はもうほとんどこっち側の作戦です。僕の性にも合ってる。残念ながら、「合理、速度、サービス」的に、もっと短期間で身につけさせて価格も安い、という人は、上を見ればいくらでもいる。そもそも英語でかつネイティブ志向、アメリカ人のように考えて話したいみたいなのが目標の人の場合、僕はネイティブ講師に勝てるはずがない。

 その分、「合理、速度、サービス」の異相とは異なる点で自分だけが持ってる特殊価値を深めて、それにしっくりくる生徒さんにだけじっくり向き合って教えてる、みたいな感じになってます。特殊能力としては、日本語と英語の発想を行き来して繋げるような力が身に付くこと、とかですが(例えばネイティブ講師は日本語古語なんか知らない。その源流の発想も文法も教えられない。)。

 ただこういう、一人一人の人間を大切にという考え方は、とにかくお客さんの母数を拡大して大多数に影響を与えたいという思想とはトレードオフの関係にあるので、実質上の拡大競争の中での敗北宣言でもある。例えば一定の時間というリソースの中、1000人に影響を与えられるコンテンツを準備する時間を減らし、1人の人のために使う割合を増やす、ということなんで。ペイ的にはその分価格も上げないと成り立たない。その点、アナログな地方書店は、中心商品(商業流通の書籍)の価格を勝手に上げるわけにはいかないので厳しく、何か別の作戦が必要になってきています。

 最近追ってる電子書籍の話題もこういう話に関わってくるのですが、publicとpublishの原義からの再考というのは、現在色々な人たちに迫られている課題だと感じます。

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 コミケは参加できなかったですが、縁ある人たちが本当頑張ってるなというのは伝わってきたので(こういう点に関してはSNS社会よいと思う)、僕もやること少しでもやっていこうと思います。死ぬまでは生きる所存だし、姉さんの子どもとか大きくなる頃にはぺんぺん草一本も生えてないというのも忍びない感じなので。