基本的には、10年弱ほど前の本放送時に書いた、当時1日で2000ユニークアクセス超えで読んで頂いた、僕のネット上のテキスト歴で通時的にはおそらくもっとも有名なテキストがあるのですが、
これ↓(今読み返すと文章が若くて恥ずかしいですが)
●34話の作中メッセージ/フリーダムなキラ
その時書いた感想と中核は変わってません。やっぱりこの二話は凄いし面白いなと。
あとは、今回HDリマスターで改めて視聴して浮かんできた雑感などをば。
●第34話「まなざしの先」
10年弱前の本放映時は、ラクスはもうちょっと超越者的なポジションでキラを導いてる感じなのかなと思ったんですが、今回改めてじっくり見ると、ラクス本人もけっこう迷いを含んだまま第34話までの数話は進んでるんだな、と思いました。細かい表情のカットまで視るようになったので、そういう点に気づきます。
このキラとラクスと導師しかいない空間っていうのは、第1話の時のヘリオポリスと同様、「偽りの平和」空間の比喩なんですよね、おそらく。
そして、ラクスはキラにこのままここにいてもいい、と言うし、おそらくラクス本人もまだ行動を本格的に起こすまではふっきれないでいる。
で、第1話の時は自分の意志とは関係なくあやふやにカテゴリ依存思考のまま戦争に巻き込まれていったけれど、今度は同じシチェーションでも、依存思考を脱却して、自分の意志で個人としてキラは守りたい人たちのために戦場に戻ると。
「大切な人たちを守りたい」という動機は変わってないのも今回気づきました。変わったのは、カテゴリ依存か自身の意志かというパラメータのみ。「大切な人たちを守りたい」の方はDESTINYでもキラがもう一度フリーダムに乗る動機だったので、キラは本質的にそういう人なんだ感が伝わってきます。
で、「星のはざまで」でも、カガリにどうして戦場に出たんだと問われて、ラクスが
「でもキラが 泣いていたのに それでも戻ると言ったので」
と答える箇所があるだけに、作品全体のコアのシーンだと思われますが、キラが泣きながら、それでも、偽りの平和空間は出て、傷ついても大切な人たちを守るために戦うと自分個人の意志で答える、という。
本当に苦しくて実際泣いてるんだけど、個として自身で決める、と。
それを聞いて、ラクスも覚悟(自身も個として戦う)を決める、と。
そこから、例の「君は誰?」「私はラクス・クラインですわ」に繋がっていく流れは今回改めて観ても感動もの。「コーディネーターだから/ナチュラルだから」「ザフトだから/地球軍だから」といったカテゴリ依存の呪縛によって導かれる悲劇へ対する、反抗のはじまり。カテゴリが関係ない、ただのラクス・クラインとキラ・ヤマトの対話。この一話のこのシーンから物語構造が転換するシリーズ構成は本当見事。
●第35話「舞い降りる剣」
カテゴリ依存の呪縛に翻弄された結果としての悲劇、カテゴリにいいように誘導され、利用されて、捨石にされて消されます、現実はそんなものさ、とアークエンジェルが沈みかけたその時、個としての意志を決めたキラがフリーダムガンダムを駆って降臨するというカタルシスが大きい伝説の一話。
DVD第8巻のジャケ絵にもなってる「Meteor」が流れ始めるシーンもいいけれど、マリューさんとの通信を終えていよいよフリーダムガンダムが前進するシーンが今回はカッコいいと思いました。表面的にはロボットが描かれてるわけだけど、キラの強い意志を感じさせる重厚な前進。たぶんここまで力強い前進のシーンはここまでの話数では描かれてないんですよ。ついに、という強い決意を持った人間は強い、というような前進。
あとはおそらく今回のHDリマスターで追加された、フリーダムが撃ちまくったあとに背面で煙が流れるシーンがエラくカッコよかったです。
これは、日本の武道でいう「残心」のカッコよさだよな。ロボットのバトルシーンに残心的なシーンを盛り込んだ作品が日本圏以外にもあるのかというのは興味深いので、映像論で卒論とかやる方いたら調べてみて!(他人任せ)
そして、助けたザフト兵に理由を問われて、「(自分が個人として)そうしたかったからです」と答えるキラというラストも見事。「しょうがなかった」的に他人任せ、カテゴリ任せだった所から、ようやっと本当のスタートに立った。ちょっと比喩が飛ぶけれど、子供時間が終わって、大人時間が始まった(全部自分の責任)、みたいな印象のラスト。結局ザフト兵は救えなかったという、個に立ったとしても理想は叶えがたい、という所でこの第35話を結んでるのも好き。
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