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記事中に劇場版本編およびTVシリーズ本編最後までのネタバレを含むのをご了承ください。
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お話の冒頭でほむらがまどかに、家族とか友人とか、今ある幸せを大事だと思うか、みたいなことを聞くのですが、やっぱり『まどか☆マギカ』はそういう「ありふれた幸せな日常を過ごす」と「過酷な非日常的現実で戦う」ことの「選択」の物語なのだなと改めて思いました。
二つのリボンのどちらを選ぶかとか、印象的に挿入される二つに分かれてる道の描写とか、「選択」に重要な意味が込められている作品だと思うのですが、最終的に、テーマはこの
「ありふれた幸せな日常を過ごす」―「過酷な非日常的現実で戦う」
の選択に収斂されていく、というような。
「ありふれた幸せな日常を過ごす」という方で語られていくのは、よく揶揄的に語られがちな、「終わらない日常」みたいなゼロ年代作品の問題意識みたいな感じです。実際、まどか達が住んでいる街はとても高度に近代的で人間が衣食住を過ごしていくのにあたって、何ら危機を感じるような要素が一見なく描かれています。余剰物的、娯楽的な電飾が施された広場の中の噴水とか、立派な校舎に住宅とか、風力発電の描写とか、それこそ電力ばっちり、的な。
だけど、そういう中で人は幸せかというとそうでもなくて、孤独だったり自身の無価値感だったりを抱えながら生きている。マミさんは孤独だったし、死んでしまった後の「気付いて貰えない」、「空き部屋のまま放置されるマンションの一室」みたいな要素は無縁社会的な話が連想されますし、上条くんは夢を絶たれて絶望してるし、まどかですら、自分には何の取りえもないから、このまま誰の役にも立てないで生きていくのはつらい、みたいなことを言っている。「ありふれた幸せな日常」のはずが、そう言われると、ちょっと迷う。
この話が、「ありふれた幸せな日常」の中でも、選ばれる人と選ばれない人がいる、という切ない話と繋がっていきます。劇場版「前編」の主軸をなしていく、過酷な非日常的現実で戦う(魔法少女になって利他的に戦う)方に行ってしまうさやかと、ありふれた幸せな日常の側に残ったままのまどかとの、交流と、訪れてしまう断絶、という流れは、残酷にさやかは「選ばれなかった側」の人だったという所に繋がっていきます。
「選択」が重要な作品において、リボンや道の比喩の他にも、劇中で最初にまどかがさやかと仁美に出会うシーン自体が「さやかと仁美、どちらかが選ばれてどちらかは選ばれない」を暗示させているのだと思ってるのですが、さやかはあれだけ利他的に献身と自分なりの正義の形を求めたのに、上条君が「選択」したのは仁美の方だった、という現実。
そこを突き付けられた時、思ってしまう。自分は選ばれないのに、こんな「ありふれた幸せな日常」であるらしい世界に、守る意味なんかあるのか、と。上で書いたマミさんの孤独描写なんかもゼロ年代社会の病理だった的描写ですし、さやかが魔女化する時に出会う女性を道具扱いで語る男たちなんかを目の当たりにした時、やはり思ってしまう。「ありふれた幸せな日常」? 本当にこの世界に価値があるのか? と。結果、絶望したさやかは魔女化。劇場版前編はここまで。
TVシリーズに忠実な感じだったので、後編もTV版準拠だろうという想定で続きも書いてみると、最終的には、『まどか☆マギカ』はまどかが「ありふれた幸せな日常を過ごす」の方から、一人で色々背負って「過酷な非日常的現実で戦う」の方に行っちゃうラストだと思ってるんですよね。非日常的現実というか、なんか神的な存在にまで行っちゃうんですけど、家族や友達と過ごす幸せな日常的な時間を、まどかは結局捨ててしまうのは同じです。全ての魔法少女を救うと、利他的に自分の日常時間は捨ててしまう。ワルプルギスの夜戦の時の、お母さん(日常でちゃんと頑張ってる人の象徴)に引き止められるのに、結局戦ってるほむら(非日常的現実で戦ってる人の代表)のもとに駆けることを「選択」してしまうのが、クライマックスです。
ただ、だから片方側が正しいということを言いたい作品かというとそれも違う感じで、「幸せな日常」側にある種のリスクや歪みがあるのは上述の通りですし、さやかを筆頭に非日常的現実側に行った「選ばれなかった側」の人にも救済措置が付いていたりもするんですよね。
比喩表現としては、大事なシーンなので劇場版でも削らなかったのだと思うのですが、まどかの弟が二つのトマトのうち片方を落とすのだけど(片方が選ばれなかった)、まどかのお母さんがそれをキャッチして救い上げる、というシーンがあります。そういう感じで、劇中本編にも、「選ばれなかった」人に若干の救済が描かれます。
さやかには、たぶん伝わってはいないのですが「一緒にいてやる」と最後に杏子が寄り添ってくれますし、ラストも、一人利他的に犠牲になったとも取れるまどかを、ほむらだけは覚えている、とも取れます。そういう意味で、一つ、片側の価値観を大々的に掲げる感じの作品でもない。
冒頭の、「ありふれた幸せな日常を過ごす」と「過酷な非日常的現実で戦う」の、どちらの選択が正しいのか、正直一視聴者の僕としても分からない感じです。震災以後は(『まどか☆マギカ』TV本編は放映終盤は震災と重なったけれど、作られていたのはそれよりも前のはず)、もう終わらない日常で幸せとか言ってられないので現実で立ち向かわないと、とも思うし、とはいえゼロ年代的な一見ありふれた幸せな日常的な時間から生まれたもの(娯楽作品など)に価値がないのかと言えば、そんなことはない、とも思うし。実際、震災以後は今までとは生き方を変えて色々現実や社会で立ち向かっていこうという方に舵を切った人と、逆に引き続き日常続行で娯楽消費に耽溺するよ、というような方向へ舵を切った人とに、分かれた感じも抱いています。僕のように曖昧なまま2012年の後半まで来てしまった人もいますが(え)。
そういう意味で、TVシリーズ全体のラストとしてはまどかは幸せな日常を手放す側に行っちゃったんだなと解釈してるのですが、それはそれとして、今回の劇場版で期待したいのは、震災以後の文脈で作られるであろう完全新作となる「3作目」が告知されていることです。
期待としては、選択の結果分かれてしまった日常で頑張る側と非日常的現実で戦う側の分断とを、補うような話が観たいかなぁ。いずれにしろ前後編で振り返った後の、新たなる「3作目」を楽しみにしたいと思います。
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