ネタバレ注意です。
作品名『UQ(悠久) HOLDER!』が、不死人一家の共同体名だったことが明らかに。
この作品、共同体再構築ものだったのか!
物語の隅々に、壊れてしまった共同体が描かれていると思います。第1話冒頭の、『ネギま!』の3-A共同体が悠久の時の流れで解体されていく寂しさ。今話なら滅びたローマ帝国、人口減で都会とインフラが弱った田舎に別れた日本。
そんな寂しさを遠景に、エヴァンジェリン、刀太、九郎丸という新しい共同体が作られるまでが第6話。やってることは『Free!』や『黒子のバスケ』と同じなんですよ。壊れてしまった共同体を、再構築して、新しい形で前へと進んでいく物語。ただ、部活共同体などよりは、スケールが大きい。共同体『UQ(悠久) HOLDER!』は世界の秘密結社みたいな感じだよな。主人公が秘密結社側なのかよ! というのも合わせて面白い。
『ネギま!』のクライマックスである、ネギがフェイトに友達になりたいんだと伝える箇所の、次の物語でもあると思う。ここ数話で、九郎丸(最初は敵対)と友達になったよ。今話で悠久的な面々は色々出てきたし、みんなそれぞれ事情も背景もあるよ。でも友達になる、共同体の再構築やってやんよ、というとりあえずの(たぶん)作中目的。
この流れの共同体再構築物語は「無縁社会」とか「格差」がキーワードになりがちな世相を反映して最近のトレンドと言えばトレンドで、上記の黒バスやFree!もだし、ディケイド以降の平成仮面ライダーやプリキュアシリーズ(特にスイート以降)、さらには『あまちゃん』、村上春樹の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』など、多くの最近のヒット作も、大きくはこの流れの中にあると思う。論としては、地域・場に限定された共同体は解体され、趣味や共感で集まる新しい共同体がネットやSNSを介して新しいレイヤーになっていくんじゃ、とかは言われていて、僕もそっちの実感も確かにあるのだけど、そういうのが「悠久」の共同体かと言われると、中々難しい。『ネギま!』という作品でできてたネット上の共同体とか、連載終了と同時に徐々に解体されていっていたと思う。じゃあ、悠久を志向する共同体って何だろう? みたいな作品なのかと思うとワクワクする。刀太が志向している塔の上へとかオリンピックとか、そういう上昇志向自体が、どちらかというと一般的に共同体維持とは別の衝動なんですよ。一人、上昇志向で上京していけば、田舎の共同体とは別れることになる。『UQ HOLDER!』でも既にそこは描かれていて、田舎の4人の友達とは、現時点で刀太は別れた状態にある。でも田舎の4人との共同体が壊れてしまったのか? と言ったら、ここは作中の今後でかなりドラマチックな部分に思えます。
家族とか仲間とか、一昔前だったら無謬に確かだと思われていたことが時に一笑にふされてしまう時代さポイズン。あえて「一家」という言葉を持ち出してきて、悠久の共同体とは? という物語にチャレンジする『UQ HOLDER!』非常に面白いです。
●応援:Jコミ
→前回:「UQ HOLDER!(ユーキューホルダー)」Stage.5「旅の休息、男のロマン」の感想へ
→次回:「UQ HOLDER!(ユーキューホルダー)」Stage.7「UQホルダー」の感想へ
→「UQ HOLDER!(ユーキューホルダー)」感想の目次へ
→「魔法先生ネギま!」マガジン連載分感想の目次へ
→『魔法先生ネギま!』/コミックス感想の目次へ
→クーネギ推奨!ネギと結婚するのは古菲説・まとめ