ネタバレ注意です。
「世界を己の色に染める」っていうキーワードが第1話で強調されていたのだけれど、今回は自分のため、部屋で自己陶酔したりバイトでの自己顕示とかで変身しても意味がなくて、誰かを守りたくて変身した時に意味がある、というような流れが描かれます。自分一人のことから他人のことまで関われるようになった、という点では第1話で紘汰が悩んでいた「(仕事とか)自分のことで手一杯で他人のことまで助けられない」状態から「変身」によって一歩成長したようでもあり、でも一方で禁断の果実の衝動的に、自分の色で他人を染めはじめたようでもある。キーワード「世界を己の色に染める」は意味深なのです。
バロンに変身すると事前告知されてる戒斗の方が言ってる「強いやつが勝って弱いやつは淘汰される」的な話は分かりやすくて、世界は戦国時代さファッキン、世界を己の色に染めようと弱肉強食バトルし合って、染めた方が勝ち、染められた方は勝った方の言うこと聞くしかない、みたいな話に今の所感じられます。一方で、第1話と第2話で、「少年を助ける」という点が紘汰と戒斗で重なりつつ、少年に諭す言葉の内容が少し違っているという。相対正義で戦い合う仮面ライダーか……。ますます「龍騎」「555」の頃の雰囲気で懐かしい感じに。
まずは戦国時代的に、色々な側面で殺伐とした「世界を己の色に染める」キーワード的な支配競争が行われてる世界だよというのを描いていると思うのですね。ダンスチーム同士の勢力拡大競争が一番比喩的だと思うのですが、強い錠前を沢山集めた方が勝つ、勝敗は人気投票で決まる、などのパワーゲーム感も、限られたリソースの支配し合いという点で、「世界を己の色に染め」合う戦国乱世感です。そして、まだ子供の遊びサイド感があるダンスチーム同士の支配ゲームのもう一層奥に、街を支配しているユグドラシルコーポレーションがあるんだよ、というのを描いてるここまでというか。
2011年以降のヒーローものは以前にも増して「ヒーローって何」というのを描かざるを得ないと感じていますが、戦国世界観、しょせん支配ゲームな世界さ的な世界観は、そういう点で面白いです。単純に勝ち抜いて支配者になればヒーローかと言えば違う気がするし、でも戦いに参加しないでミクロな身の回り(紘汰なら自分と姉の生活など)だけ守ってればそれいいかと言えば、それも違う気がする。じゃあ戦える力を手にして、何をするんだっていう話は興味深いのです。
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→次回:仮面ライダー鎧武第3話「衝撃!ライバルがバナナで変身!?」の感想
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